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美しく複雑な島・金門島

2009年08月24日 14時24分41秒 | 台湾ニュース

 今月15日、中華民国福建省の金門県烈嶼郷と、中共の中華人民共和国福建省アモイ市との間で、遠泳大会が行われました(上の写真:提供はCNA)。
 大金門と呼ばれる金門本島や、小金門と呼ばれる烈嶼郷など、いくつかの小さな島からなる金門県は、中国大陸南部の沿岸に極めて近いところに位置する、中華民国台湾の離島です。
 中国大陸により近い小金門からは、対岸のアモイ市まで直線距離にして僅か6キロ程度。小金門の海岸からは、対岸アモイ市のビル群が肉眼ではっきりと確認できます。

金門とアモイはこんなに近い!
(地図写真提供:金門県政府)


 小金門からは、金門本島もアモイもほぼ等距離。 金門県もアモイ市と同じ「福建省」という行政区分になっている事からも分かるように、金門は、中華民国と中共の争いの狭間で複雑な歴史を生きてきました。
 中華民国政府がまだ中国大陸にあった時期、金門は対岸のアモイとおなじ中華民国福建省として、共同生活圏にありました。ですが、内戦の結果中華民国政府は台北に移転、金門は中華民国政府の支配下となりましたが、中国大陸は中共の支配下に入りました。
 中華民国政府にとって、台湾本島やその周辺の離島以外に、「福建省」である金門を支配しているという事実は、長い間「全中国大陸を代表する正統政権」としての象徴でした。支配地域のほとんどが台湾のみになっても、福建省という行政区分を残し続けたのはそのためです(現在、運用の上では事実上凍結。中華民国福建省にはもう一つ、中国大陸沿岸沿い、金門よりも北に位置する連江県(馬祖島)がある)。

 また、中国大陸に近い金門は言わば、国防の最前線です。中共が中華人民共和国の建国を宣言した直後の1949年10月には、中共人民解放軍が金門に上陸侵攻、中共は3日で撃退されましたが、金門は激しく攻撃されました。
 1958年の昨日・8月23日に勃発した第二次台湾海峡危機では、中共が金門への集中的な砲弾攻撃を行い、今回の遠泳大会の会場となった小金門にも、数え切れないほどの砲弾が降り注ぎました。
 中華民国政府が台湾に移って以降、金門はずっと、「軍の島」であり続けてきました。

金門の海岸には今も、敵(中共)の上陸を防ぐための防護柵が並ぶ。
今回遠泳大会の会場となった小金門の雙口ビーチでは、一部の柵を取り除いたが、元に戻すかどうかはまだ不明。
(写真提供:金門県政府)

 金門は台湾本島やその周辺の離島と違って日本の統治を経験しておらず、また元々、台湾本島よりも対岸のアモイとの関係の方が深かったため、住民の意識なども台湾本島などとは大きな違いがあります。
 以前は共同生活圏だった対岸のアモイ市に、強い郷愁の念や、台湾本島よりも深い親近感を覚える人は少なくないそうです。
 台湾海峡での戦争の危険性が徐々に低下するにつれて、金門は少しずつ、軍の島からの脱却を始めました。今では金門は人気の国内旅行スポットの一つ、「金門」と言えば、軍のイメージよりも先に、名物の高粱酒を思い浮かべる人もずいぶんと多くなったのではないでしょうか。

金門の名産・金門高粱酒を造る金門酒厰実業(股)が、1949年の両岸分裂から60年目となる今年発売した「両岸和平記念酒」。
ネーミングやコンセプトに違和感を覚える台湾の消費者も少なくないかもしれない。が・・・

 
 両岸間にまだ直行ルートがなかった2001年には、小金門とアモイ市を船舶で結ぶという「小三通」が始まり、中国大陸に進出している台湾のビジネスマンらの利用でにぎわいました(馬祖島でも小三通が行われていますが、利用者数は圧倒的に金門の方が多い)。
 台湾本島からの中国大陸直行便の開通で利用者減が心配されていましたが、小三通の方が値段が安いため、それほど大きな影響は受けていないようです。


 
金門本島の港から対岸のアモイまで船で数十分。
便数も多く、外国人でもその場で気軽にチケットが買える。
でもパスポートを忘れずに!
(台湾の人は「台湾居民來往大陸通行證(台湾の人が中国大陸に入境するための証書)」も必要)

シンプルな通関ゲート

 
 8月15日に行われた金門・アモイ遠泳大会では、台湾の選手50人と中国大陸の選手50人が一緒に、スタート地点のアモイから小金門の雙口ビーチまでのおよそ7.1キロを泳いで渡りました(体調などの事情で最終的に着岸したのは台湾48人、中国大陸49人)。
 金門県政府とアモイ市政府の共同主催で、かつて砲弾が行き交った海域を、両岸の選手が共に泳いで渡る。現在の両岸関係の改善をまさに象徴するような、歴史的なイベントでした。

一番早く到着した李寅翰・選手(中国大陸籍)

水着のままビーチで入境手続きを済ませる中国大陸の選手。
手にしているのは、中国大陸の人が台湾に入境するためのいわゆる「入台証」。


 青い海に白い砂浜、小金門の雙口ビーチは、想像以上にきれいな場所でした。
 両岸関係の改善が台湾にもたらす影響についてはまだ未知数の部分も多く、肯定であれ否定であれ、今の段階ではまだ評価を下す事はできないでしょう。
 ですが、今回のイベントを通じて、台北にいるとあまり気づく事のない、歴史に翻弄されてきた金門の人々の気持ちが少し見えたような気がします。(華)

金門県政府のロビーにかかる額



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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
KI (Unknown)
2009-08-24 23:46:57
丁度3ヶ月半前、自分も金門とアモイの間をフェリーで往復しました。台湾と中国大陸の間を直接往来することにとても意義深いものを感じました。アモイから金門に返ってくる時、「三民主義」の看板を見て、胸が熱くなった事を覚えています。ようやく両岸双方の心と心の通い合いが自由に出来るようになったのだなあ、と。それにしても、今回遠泳した人たちは、どうやって入台証を身に付けたのでしょうか。泳いでいるうちに無くなったりしなかったのでしょうかね。
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入台証 ()
2009-08-25 15:56:03
コメントありがとうございます。
ご指摘の点、私も大変疑問だったのですが、さすがに頭の上にくくりつけて…ではなく、事務局がまとめて保管し、到着後に一人一人自分の分を受け取って入境手続きを済ませていました。
ちなみに、台湾や海外のメディアでも「一位の○○選手」というように伝えられているので勘違いされている事が多いようなのですが、合計100人の選手を番号順に20人ずつ5つのグループに分けて、順を追ってスタートしているので、趣旨はあくまでも競争ではなく「遠泳」なんだそうです。
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