風の回廊

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「普通の国へ」小沢一郎代表選出馬

2010年09月01日 | 日記
 小沢一郎(以下敬称略)が手を伸ばしたその指先に総理大臣の座があった。しかし、ふれることなく小沢は自ら辞さねばならない事態となった。昨年5月11日、西松建設の政治献金をめぐる会計担当秘書逮捕を受けて、夏の衆院選にかかる影響から、「生活第一」「政権交代」を掲げ衆院選に臨む民主党の代表の座を降りた。
 そして、国民に解りやすい09マニフェストを掲げた民主党は、圧勝し悲願の政権交代を成し遂げた。
 以前にも書いたが、二大政党制と政権交代をもたらした最大の功労者は、小沢である。
小沢を高く評価する人たちは、総理にはなれなかったものの、幹事長として党の采配を振るう小沢に期待し、鳩山・小沢体制に「国民の生活第一」「対米対等」「官僚改革」「国連主義」という真の民主主義独立国への夢を託した。しかし、アメリカと官僚の壁は高く、厚く、壁の象徴とも言える普天間基地海外、県外移設で敗北し、第一段階での望みは消えた。
 この間、小沢・鳩山に対するマスメディアの「政治と金」という不条理なピンポイント非難は凄まじく、多くの人たちはメディアの論調に呑まれるように呼応し、参院選への影響から、鳩山、小沢は総理と幹事長からそれぞれ辞すこととなる。
 そして、鳩山の総理の代表任期を継承した菅総理と小沢の後を任せられた枝野幹事長ラインで参院選を戦い、望んでいた議席数を大きく割り込む大敗を喫した。
あまりあてにはならない世論調査ではあるが、鳩山、小沢が辞めたことで支持率のV字回復を果たしたにも関わらずである。
 そして今日、民主党代表選に、菅総理と小沢が正式に立候補表明の記者会見を行った。
与党民主党の代表選は、イコール総理大臣を決定する選挙でもある。
これが昨年5月からの、小沢を中心に大雑把に民主党の流れである。

 そこで小沢はなぜ代表選に出馬したのか?ということを考えてみる。
マスメディアは相変わらず好き勝手なことを書き、小沢出馬を貶めているが、理由は明確である。
 菅政権が、政権交代を果たした時の国民との約束である、09マニフェストを大幅に修正し、政策を次々と変えていったことにある。
官僚改革の要である国家戦略局の軽視。財務官僚に取り込まれた消費税アップへの言及と支持。各省庁族議員と官僚の力を削ぐために行った陳情の幹事長室一本化の廃止。いち早く声明したアメリカ追従外交。
そして参院選大敗の責任を菅総理も枝野幹事長も党執行部がとらなかったこと。代表選以降に持ち越したこと。小沢排除により挙党態勢を崩壊させたこと。

 このことは同時に、今回の代表選の政策的対立軸として争われることになる。政策論議は積極的に表だってしてもらいたいし、その政策と実行力で代表を判断してもらいたい。
その結果、菅が勝てば09マニフェストは修正されるだろうし、小沢が勝てば09マニフェストに沿った改革が、行われるはずだ。どちらにせよ『ねじれ』というひじょうに困難な状況の中で政権運営が行われることになる。
しかし、この『ねじれ』という現象を生み出したのも私たち有権者である。その影響は私たちが真摯に受けなければならないことは理である。

 小沢とすれば、このような時期に出馬することに躊躇いがあったはずだ。選挙のスペシャリストと言える小沢が二大政党制と政権交代を政治生命をかけて描き、言われのない非難を受けながらも実行してきた戦略で、前回の参院選で勝ち、衆院選で勝ち連立を結ぶことで、参院選で過半数を可能とした。そして今回の参院選で単独過半数にはいかないにしても連立政権で完全に過半数を勝ちとり、政権交代を揺るぎないものにするということが、代表時代も幹事長時代も小沢の最大の目的だった。だからメディアが無謀と非難した二人区に二人の候補者を立て、ひとりでも多くの当選者を確保しようと考えたのである。そして立てた。しかし菅政権はそれを活かせなかった。

 政権交代が完全に成った。と思っている人も多いと思うがそれは認識不足である。
衆院選に勝てば政権は獲れる。たしかに政権交代である。しかし真の政権交代は、参院選で過半数を獲って初めて完結される。
 
 衆院で可決された法案は、参院へ回る。参院で与党が半数に満たなければその法案は否決され消える可能性が高い。衆院の優越性から参院で否決された法案は衆院へ戻り再議決されるが、2/3以上の賛成がないと可決できないからだ。衆院で2/3以上の議席は、民主党にはないし、今後自民党でも民主党でも生まれる可能性は極めて低い、極めて高い壁である。
 これまでの長い自民党政権の中でもそうなかった。直近では小泉郵政選挙で圧勝した自民党が、2/3以上の議席を保有して、参院で否決されても衆院で再可決した。
だから、長期安定政権を築こうとする賢いリーダーは、衆院選よりもむしろ参院選を重視し、参院選に全力を注いだ。佐藤栄作、田中角栄、中曽根康弘は参院選を重視し、特に田中角栄の参院選への気の配りようとダイナミックな戦略は、見事とも言えた。いわゆる田中軍団と言われた面々に参院議員が多かったことがそれを象徴している。

 今回の参院選敗北で、3年ごとに半数が改選される参院選で過半数を獲得するには、最低でも6年後となるだろう。次回の3年後の参院選だけでは無理だということは誰でも判るし、もしかしたら9年後になるかもしれない。小沢が温め描いていたシナリオは、ずっと先に持ち越されることとなってしまった。真の政権交代は最低でも6年後である。その間、任期満了による衆院選がある。解散による選挙も当然あっていい。
このような時期に67歳の小沢とすれば、立候補への躊躇いがあっておかしくない。しかし小沢は立った。
というよりも、だからこそ立った。というのが本音だと思う。
選挙のスペシャリスト小沢だからこその早めの着手を小沢は考えたと僕は見る。

 小沢の悲願は、自民党を飛び出した時から、二大政党制による政権可能な健全な政界の編成である。メディアが言うような単なる壊し屋でもなければ、壊すための剛腕ではない。いわばこの一点に捧げてきた剛腕である。
 そして政権交代の先にあるのが、明治以来120年続く官僚支配からの脱却と、アメリカ追従から対等な日米関係とアジア重視の関係の構築である。
これを阻むものと小沢はこれまで敵対してきた。最大の敵対者は、自民党などではない。
アメリカと官僚とそしてマスメディアである。
 小沢は、20年前の自民党幹事長時代から、強固な記者クラブ制度を度外視し、フルオープンの記者会見を続けている。これは画期的なことだ。メディアと官僚への挑戦でもある。小沢を古い政治家だと非難する、前原や仙谷などまだこの域にも達していない。記者クラブと官僚に取り込まれたままである。

 いずれにせよ、小沢が立った理由は、09マニフェストの実行と真の政権交代の再布石に集約されている。と僕は断言する。
真の政権交代がなければ、小沢の理念は完結しない……
年齢から言えば、小沢の理念は誰かが引き継がなくてはならないだろう。
もちろん菅政権に期待できれば、小沢は立たなかった。しかし、菅政権の実体は、小沢が嫌って出た自民党の政策に近づくばかりで、官僚にすでに取り込まれてしまった節がところどころに現れはじめ、見ていられなかった。
これは小沢だけではなく、鳩山にしても同じ思いであったろうし、09マニフェストを支持する民主党支持者から見ても目に余るほどだった。
菅をはじめ主だった大臣は、官僚に取り込まれすでに闘う気も見えない。これは僕の印象であるし、ネット上の多くの意見である。

 大手マスメディアの世論調査が行われ、代表選に立つと予想された菅と小沢の支持率結果は、軒並み菅が70~80%の高い支持を受け、小沢の支持率は、15%あたりという圧倒的な差がある。
(いずれの調査も有効回答者数は、1000人を少し超えるくらいである)
メディアも菅陣営もこの数字をもって、世論と言い、国民の声と言う。
しかし果たしてそうだろうか?

ここに面白い結果がある。ネット上でのアンケート調査である。

◇読売オンライン
小沢氏の出馬を支持するか?
支持する76% 支持しない24%

*結果が出た直後、直ちに結果を跡形もなく消してしまったところが読売らしい(笑)

さらに
◇livedoorニュース
菅首相と小沢一郎氏、どちらを支持する?(8342票)
小沢一郎60,5% 菅直人39,5%

◇Infoseek(内憂外患)twitterアンケート(1734表)
民主党代表選、あなたならどうする?
小沢一郎支持95% 菅直人支持4%

 ツイッター上でinfoseekが行ったアンケートは、小沢人気、待望感は凄まじく、菅人気の無さといったら絶望的である。これも世論の一部、国民の声の一部と言えるだろう。
しかしこうした事実はけして大手メディアからは流れない。

 ではなぜこのような乖離現象が起こっているのか考えてみよう。
大手メディアが行うRDD式という無作為抽出方法では、携帯電話しか持たない人は対象者とならないし、昼間家にいる人の回答しか得られないという欠点があり、明確な意見を持ちネットで意見を述べている人たちを拾い難いという側面がある。対象者の多くは、新聞とテレビだけを頼りにしている。新聞の論調が反映される。そして対象者の多くは自分の意見を持っていない。設問の流れに影響される。
これは、学生時代約4年間読売新聞社の世論調査部で、月に7日から10日ほどアルバイトした時の実感である。対象者の真意は世論調査では量れない。
 たとえばツイッター上で政治的な意見を交わす人たちは、新聞とテレビの報道だけに頼らない、どちらかと言えば、新聞、テレビの報道に疑問符を投げかけ、さまざまなネット上の情報を拾い集め選択し、自分の意見に活かしている人が多いことは、ツイッターをしていて実感できる。
 小沢の「政治と金」の問題。西松建設、水谷建設からの疑惑政治資金問題は、「政治資金収支報告書上の、登記の期ずれ」でしかないことは、ツイッター上の常識でもある。
 フリーランスのジャーナリスト、弁護士、元検察官、会計士などの解説を、しっかり読み、検察の国策捜査であること、メディアの不条理なピンポイント非難であると認識し、それに乗っている国民の愚かさ、思考停止状態を嘆いている。
 そうした中で、正当な小沢評価、菅評価が行われ、大手メディアの世論調査とまったく逆の結果が現出している。

 菅がなぜこれほどネット上で信頼されていないかと言えば、やはり大手メディアが伝えない事実が、フリーランスのジャーナリストや政治評論家、政治学者、政治家、経済学者、あるいはブロガーからの情報を詳細に噛砕き、自分の持っている知識や新聞、テレビからの情報を自己分析しながら自分の意見として構築しているからだ。言ってみれば、新聞とテレビだけに情報を頼っている人たちよりもそうした、自己訓練の中で、政治意識が高くなっている。
意見を人の目に晒すことはたとえ140字といえども勇気がいるし、それだけのものを内部で構築していなければできない。
必然的に真実に近寄れるようになる。そんなふうに感じている。

 菅が総理になってからの変節を大手メディアは伝えていない。だから、世論調査の支持率は高く、いわれもない「政治と金」の問題でピンポイント非難されている小沢の支持率が低いのは当たり前の話となり、ネット上では大手メディアの世論調査は、まったく信頼されていない。
そうした数字に信頼が置けないことは、次のような事実にもよる。

 菅は総理の座に就くと小沢に対し、枝野とともに「しばらくおとなしくしてほしい」と小沢を排除した。そして参院選に大敗した。大敗し憔悴した菅は小沢を頼り会おうとし、何度も電話をかけたと言われているが、小沢事務所ではそのような「会ってほしい」という電話はなかったと言われている。
電話の事実はいずれにしても、脱小沢路線は、選挙後も続いた。「挙党態勢」を一方的に菅と仙谷、枝野ラインが崩したのである。
 小沢が菅の政策を非難し始めると、菅と仙谷は「代表選に出て争うべきだ。それが民主主義だ」と言った。
小沢は代表選に出馬することを表明した。鳩山がそれを全面的に支持した。
するとどうだろう、菅は鳩山に縋り、「挙党態勢の維持」を申し出た。初めの鳩山の仲介で鳩山と小沢からいい返事がもらえなかった菅は、鳩山がロシアに立つ直前2度も電話をして再度仲介を依頼した。
 鳩山も自ら中心となり作った民主党の分裂を避けるために、伝書鳩となり、菅と小沢の間を飛び回り、挙党態勢の維持に力を尽くした。
ここに三人三様の『挙党態勢』が現出した。

 菅は小沢に重要なポストを与えて、挙党態勢を組み、自らの出馬を一本化しようとした。しかし、菅を支える、仙谷と前原、野田が、特に仙谷と前原は、「小沢に重要なポストを与えるなら支持しない」と宣告した。仙谷は「自分の首を差し出しても小沢にポストを与えることはできない」とも言った。菅は憔悴する。焦る。一本化が遠のく。

 鳩山の挙党態勢はいわゆる『トロイカ体制』が念頭にある。トロイカ体制で政権交代を可能にしたからだ。

 一方小沢は、すでに立候補声明を発し、代表選への準備をしている。問題はポストではない、選挙後の挙党態勢である。勝っても負けても、二大政党制と政権交代を崩すわけにはいかないという大局的な観点に立っていた。ここで意志の通じ合いが明確になったのは、小沢と鳩山である。
 もちろん、小沢周辺から菅に対して幹事長なり、代表代行、副総理などのポスト要求はあったはずだ。選挙の混乱を鎮めるために、そうした活動は当然生まれるし、小沢周辺でも代表選の争いを良しとしない人もいる。こうした要求に対して菅が答えたのは「最高顧問」という名誉職だと言われている。当然呑めるものではないし、その程度が菅を支える人たちの挙党態勢だった。

 三者三様の『挙党態勢』は、ぎりぎりまでまとまらず、ようやく菅は小沢と会談に辿り着いたものの、一本化は決裂し、鳩山が提唱した『トロイカ体制』の順守は、選挙前ではなく、勝っても負けても選挙後に約束するということで、民主党の分裂を防ぐこととなった。

 こうした菅の変節は、総理の座に固執した結果ともいえよう。僕にはそう見えたし、ツイッター上のアンケート結果はそれを表している。
 小沢が“変わらず生き残るためには、自ら変わらなければいけない”という想いで理念を大切にして誤解されながらも、所属を変節し20年間歩んできたのに対し、菅の変節は、総理になってわずか3ヶ月の間に生まれた、理念などどこへやら、という利己的な変節だったと思う。
 
 本来なら、参院選総括の両院総会の場で、敗北の責任として内閣の要の官房長(仙谷)、党幹事長(枝野)、選対委員長(安住)、会計責任者(小宮山洋子)を引責辞任させ、ここで挙党態勢を作るべきだった。
そうすれば、小沢や鳩山の協力も得られた可能性が高く、代表選を一本化で通過できたかもしれないし、その後の内閣改造でさらに挙党態勢を構築すれば、乗り切れたはずである。
菅は、「参院選が自らの信任の是非の場になる」とまで言い切ったのだから。

 さらに、菅の評判を落としたのは、新人議員の囲い込みともとられる面接だった。
結果的に菅支持に回るとみられる新人議員は、120数名中、23人と今のところ算出されている。
いまのところ大失敗と言える。

 つまり、菅はリーダーとしての能力に欠ける。視野が狭く近視眼的であり、難しい状況下で政権を運営し、日本の舵取りになりえない。これが僕の意見でもあり、ツイッター上に集約されている意見である。
 『短期間のうちに総理がコロコロ変わるのは、政治の空白を作ったり、政策の継続が損なわれるから、避けるべきだ』というまっとうな意見があるが、『短期間のうちにコロコロ変節する無能で信用が置けない総理は即刻退場すべきだ』という意見のほうが説得力を持つ。
 だから、小沢が立ったことに僕は歓迎しているし、修正されたマニフェストを09マニフェストに戻し、実現してほしいと思っている。
「生活第一」「対米対等」「官僚改革」「国連主義」真の民主主義独立国として、そして小沢の理念どおり「普通の国」を創造してほしいと願っている。

 いずれにせよ、目を見開き遠くを見まわすと、総理大臣として既得権力である官僚やマスメディアが歓迎するのは菅であり、敬遠するのは小沢である。というふうに感じるのは僕だけではないだろう。メディアの報道を見ても明らかである。

明日からは政策論争が始まる。メディアの論調に誤魔化されないように真実を見極めてください。
そして14日。どちらが勝っても挙党態勢であることを望みます。


武井繁明