ロッシー小川ブログ  MY FAVORITE LIFE

女子プロレス、ルチャ・リブレ、レトロなどなど、プロレス人生を謳歌するロッシー小川の仕事や趣味について大公開!!

全女時代お世話になった人たち<その6>宮本和則営業部長

2010年08月23日 09時35分32秒 | ROSSY's HISTORY
 吉田さんが営業部に異動してから、親しくしていたのが宮本さんだ。北海道の函館出身でかつてはローラー・ゲームでレフェリーをやっていて、アメリカで何度も試合をしたそうだ。ローラー・ゲームは昭和40年代後半に、東京12チャンネル(現テレビ東京)で放送されていたアメリカ発の走る格闘技。佐々木ヨーコというスター選手がいたが、そこで宮本さんはマネジャーも兼ねていたという。  その風貌はルパン三世みたいな感じだ . . . 本文を読む

全女時代お世話になった人たち<その5>吉田正行芸能担当

2010年08月22日 08時54分56秒 | ROSSY's HISTORY
 私が全女に入社した当初、公私共にお世話になったのが芸能部でビューティ・ペアのマネージメントをしていた吉田さんだ。当時の全女は営業部が4人いて、渉外部の黒川さん、そして芸能部というのがあった。私は芸能部に属し、吉田さんのアシスタントみたいな仕事をしていた。ビューティ・ペア以外にもゴールデン・ペアが歌を出していたし、TVのバラエティに選手が出演していたから、芸能の仕事は忙しかった。ミゼットが「8時ダ . . . 本文を読む

全女時代お世話になった人たち<その4>高橋三男営業本部長

2010年08月21日 00時06分58秒 | ROSSY's HISTORY
 絵に描いたような興行の世界に生きる親分肌の人。全女の年間250試合に及ぶ興行コースを仕切っていて、全国のプロモーターとの太いパイプを握っていた。何しろ松永兄弟はプロモーターを儲けさせることは頭に無かったから、高橋さんが間に入り舵を取っていたわけだ。そういえば、松永会長に独立を勧めた重要人物でもあるのだ。松永兄弟は絶対、逆らえないパワーを持った全女の守護神。よく兄弟批判をしていたが、真っ向から意見 . . . 本文を読む

全女時代お世話になった人たち<その3>黒川忠司渉外部長

2010年08月20日 00時00分35秒 | ROSSY's HISTORY
 私が全女に入社した時の直属の上司が、渉外部長の黒川さんだった。黒川さんは横浜地検の出身でその昔は三重の興行師の下で、日本で初めてミゼットをアメリカから呼んだことがあった。来日する外国人の担当をしていたから、部下の私はいつも送り迎えをさせられていた。70年~80年代の全女は年間6シリーズで毎回、2名の外国人選手を招聘していたから、羽田空港~成田空港と空港が代わっても初来日の外国人と出会うのは楽しみ . . . 本文を読む

全女時代お世話になった人たち<その2>松永国松社長

2010年08月18日 16時47分16秒 | ROSSY's HISTORY
 国松さんは松永4兄弟の3番目で、巡業の責任者いわゆるロード・マネジャーを30年以上も行っていた。松永会長が水戸黄門なら、国松さんは4男の俊国さんと助さん・格さんのような立ち位置と言えばいいだろう。強面だが、無類のお人好しで嘘の付けない優しい人だった。だから選手はみんな国松さんを師事していた。鬼コーチも兼ねていたから、そう、例えるならボクシング・ジムの会長かトレーナーにほど近く、丹下段平みたいな無 . . . 本文を読む

全女時代お世話になった人たち <その1>松永高司会長

2010年08月17日 16時01分09秒 | ROSSY's HISTORY
今から13年前、私は約20年勤めた全女を退社。夢と希望に満ちた旅立ちをしたのだ。今回から数回に渡り、全女時代にお世話になった人たちを思い出してみよう。 <その1>松永高司会長  ミスター女子プロレス、そしてミスター全女…この人がいなかったら、日本に女子プロレスというカルチャーは根付かなかっただろう。松永会長はマッチメークには関与していなかったが、独特の感性を持っていた。酒・煙草・男性の3禁や、2 . . . 本文を読む

(25)クラッシュ人気の実情

2009年08月12日 11時20分09秒 | ROSSY's HISTORY
  クラッシュ・ギャルズの人気は、ビューティ・ペアの時とよく似ていた。女学生がファン層のほとんどを占めていたり、芸能活動とリンクしたり。ファンクラブの会員だけでも1万人はゆうに越えていた。何しろ、パソコンなど無い時代だからイレクトメールや会報を送るのに宛名も手書き。実に3人がかりで対応していた。そこで働いていた東珠代(チャーリー東)川崎(乱馬翔)はその後、レフェリーとしてデビューしているのだ。ファ . . . 本文を読む

(24)クラッシュと極悪の付け人

2009年07月28日 08時50分25秒 | ROSSY's HISTORY
  クラッシュ・ギャルズと極悪同盟は、どの会場でも毎日のように対戦していた。それも毎日、誰かが流血する。観客の大半はティーンエイジャーの女の子だから、いつも大ヒートだった。昭和55年の同期だった飛鳥、千種、ダンプも芸能活動で売れっ子だったから、互いに顔を合わせるのはリング上のみ。そうなると、すれ違いが生じてくる。ダンプはブル中野、コンドル斉藤、ドリル仲間、影かほるといった子分を従え、団体の中でも巨 . . . 本文を読む

23 ダンプも売れっ子に

2009年07月20日 08時40分47秒 | ROSSY's HISTORY
  クラッシュの芸能が忙しくなり、三原順子の現場マネジャーをしていた竹原美佐が全女に入ってくると、私は極悪同盟の芸能活動のサポートを始めるようになってきた。それは、クラッシュ人気から少し落ち着いてのことだが、極悪にも仕事が大挙して舞い込んだのだ。ダンプはその頃には、クレーン・ユウと決別し、新たにブル中野をパートナーにしていた。ブルは髪の毛を半刈りにし、思い切った変身をしてイッキにダンプのパートナー . . . 本文を読む

22 クラッシュは体力でも芸能界で活躍!

2009年07月02日 08時51分10秒 | ROSSY's HISTORY
  瞬く間にスーパーアイドルとなったクラッシュは、ビクターの代表としてレコード会社対抗の運動会に出場もした。各社の人気歌手や新人アイドルが競い合う。クラッシュは体当たりの活躍で、ビクターに初優勝をもたらせたのだ。ここから3年間ほど、クラッシュはレコード会社対抗の運動会の花形だった。ビクターでの同期は荻野目洋子、長山洋子、麻生真美子とキャプテンがいた。クラッシュは桑田靖子や立花理佐にも慕われていたの . . . 本文を読む

21 クラッシュ人気が爆発!

2009年06月22日 14時00分13秒 | ROSSY's HISTORY
  昭和59年8月25日、後楽園ホール…この日は、クラッシュにとって本格的な開戦記念日になったのだ。試合前にはビクター音楽産業から発売されたデビュー曲「炎の聖書」の発表会がリング上であった。何度も書いたことがあるが、ビクターのプロデューサーは現エイベックス取締役の飯田久彦氏で、昭和30年代にはロカビリー歌手としてアイドル的な人気を誇示していた。飯田氏はピンクレディーを育てたことで、プロデュ―サーと . . . 本文を読む

20沖縄の旅

2009年06月09日 09時41分32秒 | ROSSY's HISTORY
  クラッシュ人気が爆発する前に全女軍団は、3週間の沖縄巡業に出た。この時はTV中継や、初のビデオ発売でクラッシュの取材があり、私も沖縄に飛び立った。その頃、基本的に私の仕事内容は、事務所でデスクワークが主な役割だった。興行用のポスター、チケット、優待券の企画、デザインを始め、選手の試合以外のスケジュール調整も行っていた。マッチメークは多少、口を出す程度だがプロレス頭のあるのは私だけだから、タイト . . . 本文を読む

19 雑誌編集への挑戦

2009年05月30日 10時21分47秒 | ROSSY's HISTORY
  女子プロレスはクラッシュによって、復興の兆しを迎えたが…相乗効果として、TBSが女子プロレスを題材としたドラマの放送を決定した。このドラマは山田太一脚本による「輝きたいの」である。菅原文太がトレーナーとして出演。新人女子プロレスラー役に、三原順子、今井美樹、現役レスラーから小倉由美が抜擢された。今井美樹は当時、モデルでこの作品が女優としての初出演。後には歌手となったが、女子レスラー役が芸能界の . . . 本文を読む

番外編 写真専門学校

2009年05月25日 09時57分41秒 | ROSSY's HISTORY
 私は写真の専門学校出身だったが、特にカメラマンになりたかったわけではなかった。高校を卒業後、大学に行ける当ても無く、仕事をする気もなく…1歳年上の友達が専門学校に通っていたため、私も真似て入学したわけだ。学校の名称は東京写真専門学校(現・東京ビジュアルアーツ)といい、水道橋と御茶ノ水の間に位置していた。「御茶ノ水で石を蹴ると、カメラマンの卵にぶつかる」と先生が言っていたほど、カメラマンを夢見た青 . . . 本文を読む

18 ミミ萩原の引退

2009年05月22日 08時54分52秒 | ROSSY's HISTORY
  クラッシュ・ギャルズの人気は日増しに上がっていった。結成した昭和58年の暮れには、タッグトーナメントでデビル雅美&山崎五紀を破り優勝。翌年の正月決戦では、ジャンボ堀&大森ゆかりのWWWA世界タッグ王座に再挑戦。60分時間切れ引き分けで、あと一歩のところで戴冠はならなかった。ここで新たにクラッシュのライバルとして浮上したのが、同期の松本香とマスクド・ユウだった。松永会長の一声で、松本はダンプと改 . . . 本文を読む