ロッシー小川ブログ  MY FAVORITE LIFE

女子プロレス、ルチャ・リブレ、レトロなどなど、プロレス人生を謳歌するロッシー小川の仕事や趣味について大公開!!

PART24 ティニエブラス

2009年11月16日 16時50分00秒 | マスク・コレクション
 ティニエブラスと言えば、昔のゴング誌で”暗黒の獅子王仮面”とか称され、ライオンを引き連れてリングに登場するなんて逸話のような、おとぎ話が載っていた。それから何年か経って本物が新日本プロレスに来日。果たして、どんな凄い選手かと思ったが、ホテルに訪ねると長身のメキシコ人だったと記憶する。彼はマスクをズラリ並べたが、17歳の少年にとって入手出来るような金額ではなかったのだ。同じ額が今、提示されたらそれ . . . 本文を読む

PART23 フェリーノ

2009年05月06日 08時38分47秒 | マスク・コレクション
  ネグロ・カサスの弟でヘビーメタルの兄であるフェリーノは、有名なカサス一家の次男だ。そして唯一のエン・マスカラード(マスクマン)でもある。ここに紹介するマスクは中央の赤は、1994年8月に私のメキシコにおける結婚パーティーに出席してくれた際に、プレゼントしてくれた1枚。右の紫はCMLL JAPANのツアーに参戦した時に入手したもの。左は初期バージョンだ。現在、フェリーノはルチャドーラのプリンセサ . . . 本文を読む

PART22 アビスモ・ネグロ

2009年04月28日 09時17分36秒 | マスク・コレクション
 不慮の死を遂げたAAAのトップ・ルードだったアビスモ・ネグロの使用済みマスクを紹介しよう。これは2000年9月29日に行われたAAAのビッグショー「ベラノ・デ・エスカンドロ」で使用したものだ。私はこの大会に遭遇したが、試合後のバックステージで入手した。ここではAAAのクリエイティブな部分を目の辺りにしたが、アバウトなメキシコ人とは思えない念密なものがあった。さすがはアントニオ・ペーニャの世界観だ . . . 本文を読む

PART21 メディコ・アセシノ

2009年02月19日 08時01分19秒 | マスク・コレクション
 このマスクは1950年代に活躍した”暗殺医師”メディコ・アセシノのものだ。アセシノは大型ルチャドールで、米国テキサスでもベルトを獲った実力者。若くして亡くなったが、これは私が90年12月に初めてメキシコ旅行した際、どこかのマスク屋から入手した。ボロボロだが作りはしっかりしており、骨とう品として現在までコレクションしている。 . . . 本文を読む

PART20 ルチャドーラ

2009年02月15日 15時39分50秒 | マスク・コレクション
 マスクマン王国のルチャ・リブレだが、女子の場合は逆に貴重価値がある。ここに紹介したチキータ・アステカ(中)、ペケーニャ・アステカ(左)は日本専用のマスクウーマンとして私が作ったものだ。チャパリータASARIのライバルとして登場した、この正体はエステル(チキータ)とアルダ(ペケーニャ)のモレノ姉妹であった。  もう1人のプリンセサ・スヘイ(右)はアルシオンに招聘したことがあったが、今や最も充実した . . . 本文を読む

PART19 タイガードリーム

2009年02月13日 20時50分40秒 | マスク・コレクション
 キャンディー奥津は天才的なセンスの持ち主で、その雰囲気は佐山サトルに酷似していた。アルシオン初のビッグマッチである、トーナメントARSに優勝したご褒美として、私はタイガーキング(当時はこう名乗っていた)に練習をつけてもらう企画を実行。その流れで佐山公認による、”女虎戦士”タイガードリームが誕生したのだ。この名前は奥津自身が命名し、初代タイガーの動きを直接指導してもらったのだ。公認ということは、オ . . . 本文を読む

PART18 ラ・ギャラクティカ

2009年02月11日 08時56分45秒 | マスク・コレクション
 今回から数回に渡って女子シリーズを・・・まずはジャガー横田の外国人ライバルだったギャラクティカだ。正体はパンテラ・スレーニャで、初来日は素顔だったが2度目の来日から宇宙仮面に変身。当初はレイナ・ガレゴスとコンビでラス・ギャラクティカで登場したが、チームでの来日は一度だけ。1983年5月、ジャガーを破りWWWA世界王座を奪取すると同時に、髪の毛も奪ってしまったのだから、この一戦でその名を轟かせた。 . . . 本文を読む

PART17 エル・コマンド

2009年02月06日 14時04分09秒 | マスク・コレクション
 今回、紹介するのは昭和50年6月に国際プロレスに来日したエル・コマンドのマスクだ。コマンドはタッグチームだったが、といっても馴染みのある名前ではない。一緒に来日したのが、ジョン・クイン、ギル・ヘイズら曲者ヒールだったが、コマンドの印象は薄かった。当時はルチャが全く浸透していない時代で、コマンドは寺西勇やスネーク奄美とよく対戦していた。このマスクは来日の際、入手した物だが、この価値がわかる人はほと . . . 本文を読む

PART16 アルシオンで生まれたマスクウーマン

2009年01月30日 11時31分28秒 | マスク・コレクション
 アルシオンという団体は”ハイパー・ビジュアル・ファイティング”を提唱し、格闘技色とルチャのテーストをミックスし新しいスタイルを創ることを模索していた。中でもマスクはファンタジーで、私の真骨頂でもあった。  noki-AはAKINOの化身で、メキシコ遠征から帰国後に変身。これまで軽量級のイメージが強かったAKINOは、noki-Aになることで逞しさを増した。ある意味、最もアルシオン的な選手がAKI . . . 本文を読む

PART15 全女のマスクウーマン

2009年01月27日 12時02分10秒 | マスク・コレクション
 全女史上には何人ものマスクウーマンが存在したが、ビューティー・ペア時代からクラッシュ・ギャルズの登場までの期間に出現したのが、この3選手だろう。左からシルバー・サタン、タランチェラ、マスクド・ユウだ。サタンは普通の洋裁屋がマスクを制作したが、タランチェラとユウは初代タイガーマスクを作ったシマ・スポーツ製だった。 . . . 本文を読む

PART14 マスカラ・マヒカ

2009年01月25日 10時18分23秒 | マスク・コレクション
 初代がエディ・ゲレロだったが、こちらは2代目で00年代初期はショッカー軍団で活躍。毎週、アレナ・メヒコで大暴れしていた。正体は2代目タリスマンで愛称はトーニョという。闘龍門MEXICOのスタッフであるペオノノの姉の息子にあたるから、私もよく知っている間柄だ。マスカラ戦で敗れ、素顔になってからも、このリングネームを名乗っている。  マスクは本人から貰った物だが…現在は生まれ故郷のグアダラハラに帰り . . . 本文を読む

PART13 カト・クン・リー

2009年01月21日 21時24分03秒 | マスク・コレクション
 映画「グリーン・ホーネット」の加藤というキャラクターを真似て、カトを名乗ったが、ルチャの世界ではカンフーの達人でまかり通っているのだ。ルチャの映画でも空手家として出演することもあるほどだ。マスクはいたってシンプルなデザインで、メガネのような模様が入っている。この3枚のマスクは1990年11月にカトがユニバーサルに来日した際に、私が持参したカメラと交換したものだ。  先日、久しぶりにカトと対面した . . . 本文を読む

PART12 アメリカ製

2009年01月19日 08時29分58秒 | マスク・コレクション
 マスク=ルチャというイメージだが、昔は時々アメリカからもマスクマンが来日していた。左からブルー・インフェルノス、パトリオット、マイティ・ヤンキースだ。インフェルノスは日本プロレスと、新日本プロレスに来日。パトリオットは初代で昭和49年1月に全日本プロレスの新春シリーズにやって来た。そしてヤンキースは日本プロレスの末期に来たが、正体はインフェルノスと同じだったと記憶する。マスクの素材もデザインも、 . . . 本文を読む

PART11 ソリタリオ

2009年01月16日 13時17分21秒 | マスク・コレクション
 日本ではマスカラスほどの評価はされなかったが、メキシコでは指折り数える名ルチャドールだったのがソリタリオだ。”孤狼仮面”という異名が付いていたが、ソリタリオとは孤独という意味。NWA世界ライト・ヘビー級王座をめぐってマスカラスとの対戦が、当時のゴング誌に掲載され一躍、日本でも存在が知られた。  ここにあるマスクはマスク・メーカーのウンベルト・アルカラスから入手したもので、シルク地のマスクは色褪せ . . . 本文を読む

PART10 レイナ・フブキ

2009年01月09日 00時21分39秒 | マスク・コレクション
 メキシコ・マットでデビューし、CMLL世界王者にもなったレイナ・フブキ(北斗晶)の初期バージョン。サインには日本語で、吹雪と書いている。直訳すると、吹雪の女王ということになる。1994年から2年以上も、世界王座を保持していたが、長らく防衛戦をしなかったため、王座を剥奪された。その後、GAEA JAPANで蘇ったが、マスクも新しいデザインになっていたものだ。 . . . 本文を読む