ロッシー小川ブログ  MY FAVORITE LIFE

女子プロレス、ルチャ・リブレ、レトロなどなど、プロレス人生を謳歌するロッシー小川の仕事や趣味について大公開!!

18 ミミ萩原の引退

2009年05月22日 08時54分52秒 | ROSSY's HISTORY
  クラッシュ・ギャルズの人気は日増しに上がっていった。結成した昭和58年の暮れには、タッグトーナメントでデビル雅美&山崎五紀を破り優勝。翌年の正月決戦では、ジャンボ堀&大森ゆかりのWWWA世界タッグ王座に再挑戦。60分時間切れ引き分けで、あと一歩のところで戴冠はならなかった。ここで新たにクラッシュのライバルとして浮上したのが、同期の松本香とマスクド・ユウだった。松永会長の一声で、松本はダンプと改名させられた。当時の松永兄弟は、洒落っ気が強く、よく冗談から新しい発想が出てきたものだ。本当にアナグロの良き時代だった。松本とユウは俗に言う落ちこぼれ。欲がなく、お人好しの松本とユウにヒールが出来るか?と疑問もあったが、このチャンスを生かすも殺すも本人次第。このダンプ&ユウは後に極悪同盟を名乗ることになった。クラッシュと極悪が大きな時代を築こうとは、誰も察知していなかっただろう。
  さてこの頃には、女子プロレスの低迷期を支えてきたミミ萩原が引退を表明した。ミミは6年間のプロレス生活を送り、怪我で体がガタガタとなり、リングを去ることを余儀なくされたのだ。セクシーパンサーの異名で男性ファンに支持されてきたが、いわゆる典型的な女子レスラー像でもあった。かつて大阪府立体育会館で興行があった際には、観客がミミを揉みくちゃにし、そのときの様子を松永会長は、「いや~もう大変だった。お客がミミの水着に手を入れて、リングに上がったら、下の毛まではみ出していたんだよ!」と、とても嬉しそうに話していたことがあった。観客が選手の体にタッチ出来る女子レスラーなんて有り得ないが、話はドンドン飛躍された。植田コミショナーはそんな松永兄弟を、「話が、めだか鯨だから…」と表現していた。めだかのような小さな話が、鯨のように大きくなる。そんな感じだった。初めての人は面白いに違いないが、これに毎回付き合わせられるのは結構大変だ。
  後に、バンビがミミに憧れて、“平成のミミ”を目指していたが…確かミミは私より1歳年上だから、もう53歳になった。今でも現役でタレント活動をしているから、その寿命は長いものだ。いや~時間が経つのが早いことを実感しなくてはならない。ミミの引退と時を同じくして、タランチュラこと伊藤浩江も引退を決意した。タランチュラはデビルの名パートナーとして活躍したが、ダンプ&ユウの台頭、デビルが五紀を新パートナーとしたことで、居場所を無くしていた。タランチュラは名脇役だった。正確な試合運びは、五紀が継承したが、筋肉質で今ならマッチョボディの代表選手になっていただろう。二人の名優の引退は、時代の移り変わりだった。
 
▲同時に引退したミミとタランチェラ。

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1 コメント

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セピア色の思い出 (DDY)
2009-05-22 22:21:20
私の女子プロ初観戦はちょうどその頃でした。
クラッシュ前夜で、小倉選手と中野選手の新人王決定戦もありました。実はこの試合が凄く印象に残っていて、同じ色合いを感じる某大会には、可能な限り会場に足を運んでいます。
その時に、女子の選手から初めてサインをもらいました。ミミさんからでした。子供のくせにドキドキした記憶があります。
私も、当時のARSと栗原選手をリンクさせて、その活躍を確信しつつ、今の時代でそれ以上の輝きを魅せて欲しいと期待もしています。
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