ロッシー小川ブログ  MY FAVORITE LIFE

女子プロレス、ルチャ・リブレ、レトロなどなど、プロレス人生を謳歌するロッシー小川の仕事や趣味について大公開!!

(24)クラッシュと極悪の付け人

2009年07月28日 08時50分25秒 | ROSSY's HISTORY
  クラッシュ・ギャルズと極悪同盟は、どの会場でも毎日のように対戦していた。それも毎日、誰かが流血する。観客の大半はティーンエイジャーの女の子だから、いつも大ヒートだった。昭和55年の同期だった飛鳥、千種、ダンプも芸能活動で売れっ子だったから、互いに顔を合わせるのはリング上のみ。そうなると、すれ違いが生じてくる。ダンプはブル中野、コンドル斉藤、ドリル仲間、影かほるといった子分を従え、団体の中でも巨大勢力を形成していく。極悪同盟の移動用に小型のバスが用意されたり、ダンプの経済効果は多大なものがあった。といってもダンプは元来のお人好しだから、軍団員はかなり慕っていた。近年でもダンプが何かをやるとき、必ず当時のメンバーが手伝いに来るのがそれを物語っている。それだけ縦というより、横の関係がしっかりしているのだ。
  クラッシュも、千種派と飛鳥派に若手選手が分断された。これは付け人を二つに分けたと言った方が正しいだろう。千種派は年度順に、小倉由美、永堀一恵、堀田祐美子、鈴木美香(みなみ鈴香)、高橋美華、山田敏代…飛鳥派は西脇充子、前田薫(KAORU)、神谷美織、工藤めぐみ…といった具合に。千種は男子の団体を常に意識していたから、付け人制を最初に導入した選手でもある。道場でちゃんこをやらしたり、会場では藤原教室ばりに合同練習をしたりした。最も千種や飛鳥は一人では外を歩けないほど、凄まじい人気を誇っていたため、付け人の存在は必須だった。千種はプライベートでも付け人を連れ、あちこち連れまわしていたが、飛鳥は仕事と私生活を分けていたのだ。
  売れてくると尖っていくのが常だ。千種はいつもピリピリしていたし、会場でお客さんが体を触るものなら大変だった。若手が痴漢呼ばわりして控室に連行し、そこで千種の説教が始まる。そして腕立て伏せをやらしたり、スクワットをやらしたりする。とにかく体を触れるお客さんには厳しかった。レスラーって、一般人にとっては相撲取りみたいな感覚もあり、ベタベタと触ることがある。男子は体も大きいし、微動だにもしないが、女子では痴漢行為と見なされる。ここが難しい点だが、女子レスラーはやっぱり、女だから見知らぬ男性から触られるのはご法度なのである。これも人気者の宿命だが、千種の機嫌を損ねては自分たちにとばっちりが来るので、若手にも非常に緊張感があった。小倉由美は何かあると決まって千種から殴られる役回りだったから、これが苦痛でいつも泣いていた。逆に堀田や山田は怒られても、それ以上はなかった。千種にとって、小倉は身近な後輩だったのだろう…
  千種はその当時、北品川に住んでいた。私が東五反田に住んでいた関係もあり、後楽園ホールや近郊の会場に行く際は、必ずといっていいほど私の運転する車に同乗したものだ。そこでは100パーセントに近いくらいプロレスの話で終始する。後楽園大会なら、試合後マスコミに何てコメントしようとか、話をしながらシュミレーションを描いていた。帰りも一緒で、よく私用に付き合わされた。約5年間、私は千種の専属運転手の如く走り回った。これも今では良き思い出だ。とても密度の濃い5年間だったがこれが選手と接触する上での財産にもなっているのだ。
(つづく)
      
▲千種の付け人軍団。     ▲結束の強い極悪同盟。

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