ロッシー小川ブログ  MY FAVORITE LIFE

女子プロレス、ルチャ・リブレ、レトロなどなど、プロレス人生を謳歌するロッシー小川の仕事や趣味について大公開!!

全女時代お世話になった人たち<その3>黒川忠司渉外部長

2010年08月20日 00時00分35秒 | ROSSY's HISTORY
 私が全女に入社した時の直属の上司が、渉外部長の黒川さんだった。黒川さんは横浜地検の出身でその昔は三重の興行師の下で、日本で初めてミゼットをアメリカから呼んだことがあった。来日する外国人の担当をしていたから、部下の私はいつも送り迎えをさせられていた。70年~80年代の全女は年間6シリーズで毎回、2名の外国人選手を招聘していたから、羽田空港~成田空港と空港が代わっても初来日の外国人と出会うのは楽しみの一つ。何しろ宣材写真しか資料は無いから、間違えて声を掛けてしまうこともあったのだ。黒川さんは外国人からは「タッド」と呼ばれた。
 黒川さんは無法地帯の全女にあって、会社としての秩序を保っていた。契約事の席に立ち会っていたし、松永兄弟も一目置く存在。ちょっと堅苦しさがサラリーマン的だったが、体が弱くハードワーカーではなかったので部下としては楽だった。時間から時間まで判で押したような仕事は、無理をしない典型的なタイプ。営業本部長の高橋さんと共に事務所を支える両大関って感じだが、酒が大好きな割には酒の席にはあまり出陣しなかった。
 クラッシュ時代に定年を迎えたことを理由にセミリタイア。その後は週に2~3回、非常勤で通った。入社当時、あんなに小言を言われたが、晩年は何も言われなくなっていた。1993年1月に病死。確か、大阪府立で訃報を聞きデビー・マレンコ&テリー・パワーに告げると「オーマイ・ゴッド!…」としばし沈黙したものだ。全女で社会の規律を教えてくれた方だった。

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