イタリアの風に吹かれて ~con te partiro~

前世(かこ)から未来(いま)へと紡がれし時の記憶
あなたと交わした約束の欠片を辿る遥かなる愛しき旅

ようこそ、天使 我が希望のLuce(光)

2013年06月01日 23時37分19秒 | 墨 アート

001
     【 本来母性とは、対等の関係や
    目上の者に対して向けるものではなく
    子供などを含めた 目下の弱き存在や
   小動物などに対して向けるもの】と ある時 
ある方のお話を聞いた時 「そうそう、私もそう思う」と
      妙に腑に落ちたのを覚えている。

  持論であるが、友人、男女、家族、職場etc・・・・
 を含めた対人関係において 強い者同士が添う、
という場面をあまりみた事がない。中には大人として
 本音は納得していなく 心の中でモヤモヤしていても
   上手くいっているように見せているような
  どちらかが本来の質を抑えている様なケースも
         あるかもしれないが・・・・

     いい意味においても そうでなくても
    それぞれに備わった強さはスパークし、
   添う、というのは難しい気がするのである。

   広義の意味において 強いものと弱いもの 
      強靭な者と優しい者とがむしろ、

 自然に補い合えるイイ関係のように思わされる。

     私という人間を私なりに分析した時、
     表面的にあらわれている部分では
     ある意味 強いというのかもしれない。
       それは人と群れることは好まず、
        一匹狼的な部分も心地よく
   自分の心を偽って 相手に迎合してみたり
    はたまた どうみても ん?というような
おかしな調和の中に 身を置くこともしなければ
 弱い者いじめをするような者は 大嫌いなので
     私がそうされているのではなくても
      我慢の限界を越えると 相手が
  どんな肩書であろうとそんなことは関係なく
         大切な弱き存在を護る為 
 おかしい事はおかしいと伝えるような所もある。
     勿論、私が得をすることはないが。

 けれど表面的に表れにくい内面的な部分では、
 むしろ平和主義であり、ウエットで繊細であり、
 自分が、自分が、と 常に前へ前へと駒を進め
      自己主張をしたりするような、
押しの強いタイプではなく、控えるところは控える、
       ということを大事にしている。

       昨日、我が家の一員となった 
    可愛い天使とこの2日間 暮らす中で
自身の中に備わる【母性】をみせられた気がした。
     数か月前までは確かに 弱き存在に
      自然に寄せていた慈しみであり 
         無償の愛である母性。

      彼女との必然の出逢いによって
        また、思い出させて貰った。

       彼女の名前はイタリア語で
 光や明り、輝きを意味する Luce(ルーチェ)

       あなたを大切にするからね
         出逢ってくれて有難う


最新の画像もっと見る