イタリアの風に吹かれて ~con te partiro~

前世(かこ)から未来(いま)へと紡がれし時の記憶
あなたと交わした約束の欠片を辿る遥かなる愛しき旅

私の場合

2022年01月17日 06時16分44秒 | 日々思い感じること

私は「言葉」を敏感に捉えます。
なので相手が何の気なしに放った言葉でも
(私を批判する言葉と言う意味ではなくて)
自分の中で「ん?あれ?」と引っ掛かり
更にザワツクと今後その相手と距離を縮めていいかを考えます。
というのは「されど言葉」であり
相手が何の気なしに放った言葉はそれが短いフレーズであっても
相手の本質であり 人との関わり方を如実に表していることが
往々にしてあると経験上気づいたからです。
ある言葉をリピートする人は (本人は無意識) 
案の定、「ここから先は入らないで」という境界線を
平気で越えてこようとします。(これまた無意識)
人には多かれ少なかれ
踏み込まれたくない聖域であり
踏んではならない地雷のようなもがあるように思わされます。

また「申し訳ないなぁ~」と恐縮し負担を感じさせるような

「貴方のためにやってあげてマス」
「聞いてあげてマス」
「~してあげてマス」的な
恩着せがましさを全面に出すような方も辟易します。
(これまた本人は無意識)

「助けて頂けませんか?」と言っていないのに
あの手この手でソフトに でも しつこく
聞き出そうとするような人は親切心というより
ただの知りたがりさんのように感じます。
こうした方にうっかり気を許してしまうと
 あとあと ややこしくなりそうなので
大事なことや
踏み込まれたくないことは警戒し話しませんが(苦笑)

親しさ=境界線を越える

と、思いこんでいる方は
「親しき仲にも礼儀あり」の対極にいる方と感じる場面が多く
そうした方の特徴は何でも共有しようとしたり
親しくなると「あーでもない こーでもない」と
口出しするのも目に見えています。
また、自分に関することを自分の口で
直接開示したわけでもないのに
そして、もう何年と会っていなくて
直接言葉のやり取りもしていないのに
blogなども含めた ある一部分から憶測で勝手に
「~だったのね」と断定し 
一見、労うように関わろうとすることも
違和感を覚えます。

余談ですが、厳しめの言葉はサクサク出てくるのに
「友達だよね~」と、仲良しアピールしながら
( ↑ 私の関わる人達ではありません)
本当の所はライバル心メラメラ🔥なのか?
目の前のその仲良しな友達の、素敵な部分は
絶対言わない、言ってなるものか!!といった頑なさ、
ジメッとする冷ややかな視線を目の当たりにする時、
「なんだかなぁ~」と不思議に思います。
私は単純なので 心が動き感動した時は
敢えて黙っているなんて出来ないので
素敵とか素晴らしいと感じたことは
自然に口をついて出てきます。
思ってもいないことは勿論言いませんが。

ことあるごとに「応援してる」とか「友達」だからと
リピートする人に限って
その逆が多いということも近年気づかされました。


幸せの青い鳥はすぐそばに🐦

2022年01月17日 05時51分32秒 | 日常のあれこれ

人生の後半に 

「わぁ✨」と感動する出逢いが用意されていることもあれば

社会人になり

 見るもの 聞くもの 全てが新鮮で交遊関係が広がる時に、

願わくば ずっとお付き合いを続けたいと思う

佳き出会いが用意されることもあって

途中経過の段階で

「最も自分を鍛え成長させてくれた出逢いはこれです」

とは言えないけれど

今の私にとって 

安心して素の「わたし」を出せて

コロコロ笑い 悲しみなどの感情も

チラリと見せられるのは

10代~20代に出会った方々です。

何気ないやりとりの中に

「あ!」というヒントが鏤められていたり

ある一言が心の支えになったり

地元の小学校からの同級生、

中学、高校の恩師 etc

20代後半、入院していた母の同室だった

私と同世代の女性と親しくなり数年間

「この本いいよ」とか「⚪⚪知ってる?」とか

学びあい、互いの恋愛相談をしたりと

親しくしていたのですが

その後、何となく疎遠になっていました。

一昨年、思いがけず連絡をくれたことから

また、ご縁が復活しました。

メールや手紙でやり取りを重ね

誤解を招く活字ではなく電話で色々話しました。

彼女と20年ぶり位に今月ランチします。

楽しみです。

私と出逢ってくれてありがとう✨