11月22日のブログで、
大内順子さん、池田晶子さん、宇野千代さんのお言葉=つぶやきみたいなものですが、、、
をUPさせて頂きました。
その中のお一人・池田晶子さんは、日本の哲学者であり文筆家です。
哲学エッセイというジャンルの草分け的存在です。
容姿にも優れており、雑誌『JJ』の読者モデルをされた事もございます。
本当にお綺麗な方です。
ですが、今から6年前2007年2月23日に、
腎臓ガンのため46歳の若さで逝去されました。
11月22日にこのブログにUPした
季節とは、
過ぎゆく
人生の
句読点のような
ものだろう。
という彼女の言葉が、
人間とは、
過ぎゆく
空間の
句読点のような
ものだろう、、、に置き換えられます・・・。
彼女が残した15年も前の言葉が、
充分今現在にも当てはまるように感じましたので、
一部抜粋させて頂きます。
以下です。
現在の日本に生きる人々は、自分が何のために何をしているかを自覚していませんね。
自分の精神性以外の外側の何かに価値を求めて生きているから、いったんその価値が崩れると慌てふためくことになる。
精神性の欠如という点で、かなりレベルの低い時代と思う。
~~~ 略 ~~~
この世に存在した時から、生存していることの意味を問おうとせず、
生存することそれ自体が価値だと思って、ただ生き延びようとしてきた。
~~~ 略 ~~~
ただ生きるのが価値なのでなく、善く生きること、つまり、より善い精神性をもって生きることだけが価値なのです。
内省と自覚の欠如が、人類の失敗の原因だが、手遅れだといって放棄していいのではない。
常により善く生きようとすることだけが価値なのだから、それを各人が自分の持ち場において実行するべきなのです。
~~~ 略 ~~~
世の中が悪いのを、常に他人のせいにしようとするその姿勢そのものが、結局世の中全体を悪くしていると思う。
政治家が悪いと言っても、その悪い政治家を選んだのは国民なんだから。
にわとりと卵で、どうしようもないと気づいた時こそ、「善い」とは何かと考えてみるべきだ。
一人ひとりがそれを考えて自覚的に生きる以外、世の中は決して善くならない。
~~~ 略 ~~~
半世紀戦争がなかったことが大きいと思うが、みんな自分が死ぬということを忘れている。
人がものを考えないのは、死を身近に見ないからだと思う。
と言って、永遠に生きると考えているわけでもない。
漠然としたライフプランで、なんとなく生きている。
一番強いインパクトは死です。
人がものを考え、自覚的に生き始めるための契機は死を知ることです。
制度を変えても、精神の在り方が変わらなければ、世の中は決して変わりません。
以上です。
~~~ 略 ~~~ が多すぎて、内容が分かりずらいかもしれませんが、
37歳で、ここまで言い切れる女性・・・すごいと思いました。
『ただ生きる事ではなく、”より善い精神性”を持って生きる事が価値ある生き方』という事ですね。
『精神の在り方』が大切なのだという事ですね。
勉強になります。
ーby事務長ー


