母の一周忌の法要によせて。
『2006年8月4日、92歳のあなたは永遠に旅立ってしまいました。さよならも言わずに・・・。
7月に再入院してからというもの、毎日仕事帰りに病院に寄り、いろいろな話をしましたね。あなたの子供の頃の話、あなたの子供や孫たちが小さかった頃の話。季節柄、花火大会やお祭りの話もしました。浅草のほおずき市の頃、真っ赤なほおずきを病院に届けたら、それをみてにっこり微笑んだあなた。
ひと通り話が済むと、あなたの入れ歯を洗って帰宅するのが日課になっていたので、「さあ、歯磨きしようか。」というと、あなたは決まって、「まだいいよ。」「今夜は大丈夫。」などといってなかなか歯を外さずに手こずらせましたね。もっと側にいて欲しかったのですね。
そんなあなたから私は二度命をもらいました。最初は勿論私が誕生した時。続けて流産した後だったため、私を産むかどうか迷ったと聞きました。でも、あの時産む決心をしてくれたおかげで、今の私がいます。そして、3人の立派な娘たちにその命をバトンタッチしました。ありがとう。
二度目は、私が18歳の時。人生に絶望して湖に身を投げようと思った時、ふっとあなたの顔が湖面に浮かび、「私より先に逝ってはいけない。」と語りかけてきました。それであなたより先に逝くのは思いとどまりました。
今はあなたが逝ってしまったから、私はいつでも後を追える。でも、18歳の時と違って、あれから数十年経った今は、あなたから受け継いだ命を精一杯生きたいと思っています。あなたのように長生きして、曾孫の顔も見たいと思っています。そして、いつかまた天国で会えますね。だから最後まで「さよなら」って言わなかったんだと思い至りました。だから、あなたに再会するその時まで、あなたからもらった命を大切にします。』
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北鎌倉駅のすぐ側に東慶寺があります。四季折々の花で人々に愛されていますが、ここに知る人ぞ知る「水月観音菩薩像」が安置されています。
水辺に座して、水面に映る月を眺める姿を表しているところから水月観音様と呼ばれていて、そのお姿の前に座るだけでなぜか心が安らぐような気がします。
実際、水月様は過去600年にわたり、このお寺に駆け込んできた女たちの苦悩を包み込んできたのです。そう、東慶寺は開山以来、明治6年に寺法が裁判所に引き継がれ、女性も離婚の申し立てができるようになるまで、「駆け込み寺」として多くの女たちを受け入れてきたのです。
その昔、「三行り半」さえ突きつければ、夫は妻を簡単に離縁できました。でも、妻の方はたとえ虐待されていても夫から離縁状をもらわない限り、死ぬ以外に別れる道はありませんでした。そんな時代、「駆け込み寺」は女たちにとって最後の救いだったのです。
現在は、この東慶寺境内で結婚式をするカップルもあるそうで、時代はずいぶんと変わりましたが、DV法ができるなど、今でも夫からの暴力に苦しんでいる女性は少なくないようです。お寺の方の話では、かつての駆け込み寺の名残で、今でも悩みを抱えた女性たちが時折このお寺にやってくるそうですが、寺法が無い以上、今は、シェルターを紹介するしか助けてあげる方法がないということでした。
時代は変わっても、女性の涙の原因は引き継がれてしまっているようで切ない思いをしました。皆が、水月様のように穏やかで柔和な気持ちで生きていけるようにと祈らずにはいられません。
紫陽花が見事な色合いを見せてくれている中、小林秀雄、西田幾多郎、和辻哲郎などそうそうたる人々がひっそりと眠る墓苑には、初夏の風が気持ちよく吹き渡っていました。
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