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いまにして思い至ったこと「未知との遭遇」

2010-12-26 16:02:24 | 映画
「未知との遭遇」、家人がレンタルして来た。
時々家人は、小さい人たちに名画を見せる、なかば強制的に。
いまの映画は、速い展開と派手な演出、連続する刺激を与え続ける。
小さい人たちにしてはゆっくりとしたストーリー展開に、前半あきれ気味。
漸く主人公がデビルスタワーに出発する頃になって、本気で見始めた具合だ。

コンピューターによって、映像効果を得やすくなり、編集もし易くなった。
DVDにつける予告版などの広告効果を考えてみると、キャッチーな場面が必要なのは理解できる。
いくら娯楽を第一目的にしていても、映画の作り方がヒット確実マニュアル参照的に行われるだけでいいのだろうか?

自分は今まで、テレビで放映されたものしか「未知との遭遇」を見たことがなかった。
見るたびに、何かひっかっかるものがあって、そのもやもや感が今ひとつ掴めなかった。

主人公が、なぞの光源体に遭遇し、それからそのときに受けた強烈な何かに取り付かれ振り回されていく。
他にも似たような体験をし、一様に頭に湧き起こるイメージを絵や形に定着する執念を持つ。
彼らは、抑えきれない衝動で、本来持っていた環境や人間関係を破綻させてしまう。
ある日、一地域が非常事態宣言を受け封鎖されるニュースが、テレビに映し出される。
そこには、あの異常体験をした人たちのイメージ物=デビルスタワーを映していた。
より強い言い知れぬ衝動に駆られるものが、さまざまな障害を乗り越えて核心に向かっていく。
途中で諦める者は、衝動が弱かったのだ。
デビルスタワーで待ち受けていたものは、光の正体・UFOと確信を持った科学者や機密関係者だった。
主人公=導かれし者、科学者=予見する者は、同じくUFO=導く者・核心を見ている。
主人公は、躊躇なく向こう側に踏み出す。
科学者は、核心を掴みながらも留まる。

この流れと構図が、自分を苦しくさせた正体だった。
何かを極め得ようとしたら、全ての重力を振り切らなければならない。
それをするための強い衝動は、誰にでも訪れるものではないし、その先には幾重にも乗り越えなければならない障害がある。
また、時の運も関わってくる。

スピルバーグが何を意図していたのか、本人に尋ねなければ分からない。
新進気鋭の映画監督として活動をしているときだから、表現者としての意気込み・決意・苦悩を込めたのかもしれないし、最新のテクノロジーを駆使した新たなSF娯楽作品を作りたかったのかもしれない。

人は、自分の持つ関心事と力量で、物事を捉える傾向にあるのは、重々承知しているつもりだ。
勝手に作品を解釈するのもされるのも好まないが、「未知との遭遇」が、自分の気持ちを分かりやすい形で提示してくれたように、この作品を見ての今までのもやもやの正体が、すとんと腑に落ちた感じを抱いたのは、紛れもない事実である。

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