今週の「世界ふれあい街歩き」、イタリア:アオスタ。
アルプスの谷間に出来た交通と交易の要衝で、古代ローマの遺跡がそこここにある。
2000年前に造られた城壁は、切り出した石ではなく、あたりから集めてきた角のとれた石をセメントで固めた具合になっている。
街は、いささか地味で、観光地化していないように見受けられた。
それでも、モンブランのお膝元らしく、登山の重要な拠点として栄えている。
市内の店には、登山用品を扱うところもちらほらあり、このあたりの住民は、登山を山をこよなく愛し楽しんでいるようだ。
たしかに、そうそうたる峰峰に囲まれ、どこにいても山が見えるのだから、自然の成り行きだろう。
天空に聳え立つ怏々しい山の頂は、ゴシック様式の教会の尖塔のように、神々しく見えて、宗教的感情を抱いてしまうのは、自分だけではないと思う。
旧市街に入る前の肉牛を飼っていた所で、この街の名物フォンティーナチーズと牛肉と生ハムを重ねてパン粉をつけて焼き上げる料理は、ずっしりと重い食べ物だといっていた。
夏でも山の頂に雪を冠している冷涼な気候の土地柄ゆえの、高たんぱく高脂肪料理であろう。
フォンティーナチーズ、丸く大きいチーズだが、加熱してとけたものはまろやな濃厚で絶品という。
牛肉&生ハムと合わせるほかに、どんな食べ方があるのか、気になってしまった。
また、寒さの厳しい風土により、「友情の杯」という、アルコールに弱い日本人には少々きつい風習がある。
飲み口のたくさん付いた土瓶のようなものに、濃い珈琲と砂糖、柑橘類などの皮、アルコールの強いぶどうの蒸留酒”グラッパ”を入れて、中身がなくなるまで器を置いてはいけないらしい。
みんなで回し飲む酒と、アルコールで体温上昇を促す、そんな「友情の杯」は、心も体も温める効能があるというのだ。
男の世界では。
では、女の世界は。
市内の広場にたつ青空市場においては、酒など無しに交流を深める女たちがいた。
買い物をするときは、商品を仲立ちとして、旧知の仲のように話を交わす数姿が多くあった。
女たちは、なんとたくましいのか。
そのたくましさと明るさで、周りを照らし出す。
女も世界には、なくてはならない存在だろう。
どちらか一方などは、ありえない、補完しあう不可欠な存在。
そんな、下々の生きる下界を一望できる見晴台があった。
驚くほどの急勾配を上っていくロープウェーを使い、展望台へ。
見渡す限り、どこまでも連なる山を見ると、人間のちっぽけさを知り、人の住めるところの希少性に驚く。
高い視点から眺める、いろんなことを客観的に考えるのには、大切なのかもしれない。
いまもなお発掘調査をしている、地下回廊。
高い土木建築技術を誇った古のアオスタの人たちによって造られた。
2000年のときを共有しながら、哲学するのも素晴しそうである。
歴史の痕跡は、人に誇りと思索のきっかけを与えてくれる。
「メメントモリ」のしゃれこうべではないが、いつもそばにあり目に触れることは、哲学的思考を育てるのに一役買いそうだ。
過去を踏まえた未来は、きっと人類にプラスになるはず。
アオスタは、そんな哲学的条件をかなり満たしている街なのだと思う。
アルプスの谷間に出来た交通と交易の要衝で、古代ローマの遺跡がそこここにある。
2000年前に造られた城壁は、切り出した石ではなく、あたりから集めてきた角のとれた石をセメントで固めた具合になっている。
街は、いささか地味で、観光地化していないように見受けられた。
それでも、モンブランのお膝元らしく、登山の重要な拠点として栄えている。
市内の店には、登山用品を扱うところもちらほらあり、このあたりの住民は、登山を山をこよなく愛し楽しんでいるようだ。
たしかに、そうそうたる峰峰に囲まれ、どこにいても山が見えるのだから、自然の成り行きだろう。
天空に聳え立つ怏々しい山の頂は、ゴシック様式の教会の尖塔のように、神々しく見えて、宗教的感情を抱いてしまうのは、自分だけではないと思う。
旧市街に入る前の肉牛を飼っていた所で、この街の名物フォンティーナチーズと牛肉と生ハムを重ねてパン粉をつけて焼き上げる料理は、ずっしりと重い食べ物だといっていた。
夏でも山の頂に雪を冠している冷涼な気候の土地柄ゆえの、高たんぱく高脂肪料理であろう。
フォンティーナチーズ、丸く大きいチーズだが、加熱してとけたものはまろやな濃厚で絶品という。
牛肉&生ハムと合わせるほかに、どんな食べ方があるのか、気になってしまった。
また、寒さの厳しい風土により、「友情の杯」という、アルコールに弱い日本人には少々きつい風習がある。
飲み口のたくさん付いた土瓶のようなものに、濃い珈琲と砂糖、柑橘類などの皮、アルコールの強いぶどうの蒸留酒”グラッパ”を入れて、中身がなくなるまで器を置いてはいけないらしい。
みんなで回し飲む酒と、アルコールで体温上昇を促す、そんな「友情の杯」は、心も体も温める効能があるというのだ。
男の世界では。
では、女の世界は。
市内の広場にたつ青空市場においては、酒など無しに交流を深める女たちがいた。
買い物をするときは、商品を仲立ちとして、旧知の仲のように話を交わす数姿が多くあった。
女たちは、なんとたくましいのか。
そのたくましさと明るさで、周りを照らし出す。
女も世界には、なくてはならない存在だろう。
どちらか一方などは、ありえない、補完しあう不可欠な存在。
そんな、下々の生きる下界を一望できる見晴台があった。
驚くほどの急勾配を上っていくロープウェーを使い、展望台へ。
見渡す限り、どこまでも連なる山を見ると、人間のちっぽけさを知り、人の住めるところの希少性に驚く。
高い視点から眺める、いろんなことを客観的に考えるのには、大切なのかもしれない。
いまもなお発掘調査をしている、地下回廊。
高い土木建築技術を誇った古のアオスタの人たちによって造られた。
2000年のときを共有しながら、哲学するのも素晴しそうである。
歴史の痕跡は、人に誇りと思索のきっかけを与えてくれる。
「メメントモリ」のしゃれこうべではないが、いつもそばにあり目に触れることは、哲学的思考を育てるのに一役買いそうだ。
過去を踏まえた未来は、きっと人類にプラスになるはず。
アオスタは、そんな哲学的条件をかなり満たしている街なのだと思う。
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