rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

家族との語らい、子供を交えての

2011-06-12 00:49:15 | 随想たち
中くらいの人が、どうしたことか歴史の教科書を持ってきて、勉強を始めた。
何でも、中間テストで失敗したのが悔しいらしい。
家人が、何を失敗したのかと訊ねたら、地理で県とその県庁所在地を答えるのに2つ分からなかったのと、〇〇県の後に、なぜか「市」を付け加えてしまったとのこと。
どうやら、流れでの単純ミスだけでもなさそうなのだ。
小さい頃より、町<市<県の分類が苦手だったのだが、いまだにそれを引きずっているようだ。
このことから始まって、歴史の時代の流れの名称や、三大文明と河の名前を聞いてみると、やはり分類分けとその順列に怪しさがあった。

成績の云々や、勉強しなさいと言うばかりでなく、日頃の会話で教養としての学問を採りあげることで、学問することの楽しさや、客観的に自分の能力を認識する機会をもうけるのは、とても大切だと思う。
その場合、親も自分の学び足りないところ苦手なところを晒すのを、恥ずかしがってはいけない。
完璧な能力を持った人間は、稀なのだし、自分の強みをより確実なものにしながら苦手なものも底上げしていくことが、重要なのだろう。

今の世は、親たちも仕事などで忙しく、時間も心も余裕がない。
子供たちも、塾や習い事で、のんびりする暇がない。
家族そろっての食事をとれない家庭が、いったいどのくらいいるのだろうか。
家族が、それぞれ余裕を持って会話できる時間を共有するのが、とても困難な時代なのだ。
携帯ゲームに携帯電話、インターネットなどのメディアツールが、個人化していて、時間を貪欲に喰い盗ってもいる。

時には,煩わしく感じる家族であるが、子供にとっての安住の場所だ。
家族での語らいは、なくてはならない心の栄養源に。
物やイベントだけでは、乾いた大地に降る豪雨お如く、地表を削りながら流れてしまう水となり、中までは浸透できない。
いっぽう、乾いた大地でも、長くそぼ降る雨のほうが、表面を削ることなく、確実に地中に浸透する。

むやみやたらに子供を干渉するのは、放置するより害があるかもしれないけれども、日常の何気ない語らいは、是非とも時間を作ってするのがよかろう。
人は、言葉も万能ではないが、言葉なくして真のコミュニケーションは得られない。
その人の振る舞い生きる姿勢を見て、汲み取って学べというには、世の中が性急過ぎる。
家族での語らいは、塾やお稽古事よりも有益な場合も多いことを、見直そうではないか。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿