rock_et_nothing

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リスク分散のすすめ

2012-11-29 11:46:12 | つぶやき&ぼやき
あの東日本大震災の起こる数ヶ月前、我が家にあるセールスマンが訪れた。
「オール電化にしませんか?」
物腰柔らかく丁寧な言葉使いと説明をする、営業の鏡とも言えるようなセールスマンだった。
しかし、オール電化の話は、丁寧に断った。

その年の夏、ひどい落雷で、この近辺一帯数時間の停電を余儀なくされた。
我が家でも、近くに落ちた雷の影響で、ブレーカーをショートする被害が出た。
夕食の支度をしなければいけない時間になっても、まだ電気は復旧しない。
6時過ぎまで明るい頃だったのと、ガスで煮炊きをするから、早めの夕食ならば困ることはなく停電の時間をやり過ごすことができた。
それから7時過ぎに停電は、解消された。
翌日、オール電化の住宅に住む職場の同僚が、停電でたいへん困ったとこぼしているのを耳にする。
「平常時は、給湯のための灯油を買い給油する手間が省け、消し忘れや過剰加熱による天ぷら油の発火に燃え移りを気にしなくていいので、とても便利と思っていた。
今は停電になることは稀で、停電になったとしてもすぐさま復旧するから問題ないと思っていたけれど、何か大きな事故などがあり、通電しなくなるとどうにもこうにもいかなくなる。」
確かに、考えてみれば、そうなのだ。
手段を一極化すると、アクシデントが起きたときの振り替え対応は難しくなる。
日々の生活の中でも、手段を分散させることが必要なのだと、痛感した経験だった。

そのこともあって、スマートで見栄えのするオール電化を憧れはするけれど、現実的でないと判断したのだ。

今回、北海道で猛烈な風により送電する鉄塔が倒壊し、電気が3日経っても復旧しなく、不自由な生活を耐えている方々がいる。
今の生活は、何かにつけて電気が深くかかわっている。
照明はもちろんのこと、井戸水を汲み上げるポンプ、暖房器具の温度管理や制御など、普段気にしないところにも電気は使われているのだ。
電気の供給法に違いはあるが、自動車の窓の開閉、ドアの開錠などもそうで、もし、電気系統が故障したら自動車に閉じ込められる危険性がある。
もしものための手段の分散は、電気に偏っている今の状況からして、考えなくてはならないことだろう。

「電気」とは、近代から現代にかけて、飛躍的に文明を発展させたエネルギー。
でも、電気を発生させるためには、一つ以上の段階を経ないとエネルギーの転換ができない、ある意味非効率的なエネルギーでもある。
たぶん、今、電気に代わる新たなエネルギーを模索する転換期にはいったのではないかと思うのだ。
リスク分散、人が永く繁栄し、地球と共存するためのエネルギーを開発できたなら、未来は明るくなるかもしれない。