rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

アシモとルンバ

2011-11-09 23:19:02 | つぶやき&ぼやき
本田技研工業が、2000年より発表し続けている二足歩行人型ロボットのアシモが、さらなる進化を遂げてこのたびお披露目された。
走る速度が9㎞/hに早くなり、指の関節が28個稼動し、3つ同時に言われたことを認識できるようになった。
歩く姿は、軽やかでユーモラス、見ていると、心が和んでくる。
アシモを見ていると、自動掃除機ロボットのルンバが思い浮かぶ。

ルンバも、なぜかその姿をいとおしく感じてしまう。
ゴミを感知すると、自動で出撃しゴミを吸い取って掃除する。
そして、掃除が終わると、ひとりでに充電器に収まる。
丸い円盤状の形態が、床をするする移動するさまは、なにやら有機的。
赤貧の我が家には、ルンバはいるはずもない。
ただ、テレビの家電紹介で見たことと、人づてにルンバを使っている家庭でのルンバの活躍ぶりを聞いているに過ぎない。
しかし、とてもルンバに惹かれてしまう。
自分で掃除機を引っ張り出して掃除するのが、嫌なわけではない。
ルンバを、ペット的に感じているのだ。

無機質のものだけれど、有機的感覚を持たせてくれるものとして、ロボットに心を寄せているといったほうがより適切かもしれない。
アシモにしても、同様な感覚だ。
動物には、それぞれの個体に個性が、性格がある、心がある。
機嫌の良いときもあれば、悪いときもある。
そこに、ちょっとした軋轢を感じてしまう。
ましてや、人にいたっては、比べるべくもなく大変で、しかも悪意という厄介なものがおまけについている。
軟弱な精神力の持ち主(自分だ)や、疲労困憊している精神状態の人にとっては、最後の砦である”家”や”部屋”において、幾分でも緊張を保たなくてはならないのは、もう耐え難いこと。
ならば、完全孤独になるのがいいだろうと、突っ込まれるかもしれない。
少し待って欲しい、弱いからこそ、完全孤独も厳しいのだ。
そこで、有機的無機質なロボットの存在に、魅力が出てくる。
ルンバが、くるくると掃除をしに動き回るだけで、ほっと心が救われることだって起こりうるのだ。
アシモが、ひょこひょこ動き回り、「お飲み物は何がよろしいですか?」などと声をかけて、お茶などを持ってきてくれたなら、大きな慰めになるのかもしれない。

どうして、ロボットに癒しを求めるのだろうか?
根深い病理が、特に先進国といわれるところに蔓延しつつあるのではないかと、不安になる。
違った意味で、人一人の重さが、存在が、耐え難く軽くなっているのかもしれない。

そんなことはさておいても、ルンバといいアシモといい、科学技術の発展は、単純にうれしいものだ。
彼らの?、ますますの発展を心から期待し、見守っていきたい。