今日は、よく晴れて、刷毛で掃いたような雲が空に絵を描き、それだけで幸せな気分になれる日だった。
鳥達の浮き立つような囀りが、あちらこちらから響き渡り、まるで自然のコンチェルト。
美しくセッティングされた今日のステージに、心も軽く、家事を気持ちよくこなすことが出来た。
ねこは、そんな私のころあいを計って、ときどき擦り寄って甘えてくる。
そうしながら、ぼんやりと未来を夢想した。
今朝のニュースで、パレスチナがユネスコに正式加盟が賛成多数で可決したとあった。
反対票を投じたのは、アメリカとドイツ、イスラエルなどで、日本は棄権した。
ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)は、教育文化の振興育成を通して戦争の悲劇を繰り返さない理念の基に設立されたもの。
ならば、パレスチナが加盟することは、その理念に叶っているだろう。
しかし、イスラエルとその同胞アメリカは反対票を投じ、なおもアメリカは、ユネスコへの拠出金を停止する意向を示した。
ユネスコ予算におけるアメリカの拠出金の割合は、22%を占め、ユネスコ活動に支障をきたすレベルに当たる。
この世界の流れは、憎しみと争いの負のスパイラルを助長させるものだ。
もともと人間には、欲という厄介で御しがたい性質がある。
それを少しでもコントロールする為に、正しい教育は欠かせない。
もし、パレスチナをテロ国家と思っているならばこそ、偏りのない正当な教育を未来を担うべき子供達に受けさせなくてはいけない。
ユネスコが、その役割を果たせるならば、パレスチナ加盟をどうして阻害できようか。
造られる過程に非のないものはない文化と文化財ではあるが、人間の誇れる創造性を示すものである。
それを大切に守り、後世に伝えることで、人間が己に幻滅を抱くのを防ぐ最終防衛線になるかもしれない。
確かに、教育とは難しいものだ。
為政者によって不都合なことは、正しく中立な教育である。
世界中、何処の国をとっても、真に冷静客観的な教育を施されている国はない。
比較的それに近いと思われる日本も、かなり歪められた教育を子供達に施している。
歴史観ばかりではなく、正しい判断をもたらす科学についても、思い当たることはないだろうか。
いま、自分の子供達を見ていて、なおさらこの考えを強く抱く。
また、世界は加速度的にダイナミックに変化してきている。
地球環境ばかりでなく、社会のシステムが前世紀と違うものに移行しようとする過渡期として。
まるで、原始の海に投げ出された生命の種だ。
この種も守るものは、”考える力”。
誰も、国も、システムも、この種を守ってはくれない。
自らの”考える力”で、己が身を守るしかないのだ。
稲妻の如く飛び交う情報を分析処理し、自分の行く末を切り開いていく。
実に野蛮な時代が、今まさに始まっているのだ。
でも、全くの暗黒時代ともいえなくもない。
正しい教育を受け、錯綜する大量の情報を見極め、宗教・民族・文化などに抱く偏見を取り払い、寛容の世界を導けるところに、やっとたどり着いたのかもしれないのだ。
それまでには、幾多の試練をくぐり抜けなくてはならないだろう。
だが、世界が狭くなったいまだから、可能になったと思えるのだ。
さて、どう世の中が変わっていくのか分からないが、天気が良くて暖かく、鳥の元気な囀りとねこのくつろぐ姿に、心救われる日であったことは確かだ。
今日の美しい日に、感謝。
鳥達の浮き立つような囀りが、あちらこちらから響き渡り、まるで自然のコンチェルト。
美しくセッティングされた今日のステージに、心も軽く、家事を気持ちよくこなすことが出来た。
ねこは、そんな私のころあいを計って、ときどき擦り寄って甘えてくる。
そうしながら、ぼんやりと未来を夢想した。
今朝のニュースで、パレスチナがユネスコに正式加盟が賛成多数で可決したとあった。
反対票を投じたのは、アメリカとドイツ、イスラエルなどで、日本は棄権した。
ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)は、教育文化の振興育成を通して戦争の悲劇を繰り返さない理念の基に設立されたもの。
ならば、パレスチナが加盟することは、その理念に叶っているだろう。
しかし、イスラエルとその同胞アメリカは反対票を投じ、なおもアメリカは、ユネスコへの拠出金を停止する意向を示した。
ユネスコ予算におけるアメリカの拠出金の割合は、22%を占め、ユネスコ活動に支障をきたすレベルに当たる。
この世界の流れは、憎しみと争いの負のスパイラルを助長させるものだ。
もともと人間には、欲という厄介で御しがたい性質がある。
それを少しでもコントロールする為に、正しい教育は欠かせない。
もし、パレスチナをテロ国家と思っているならばこそ、偏りのない正当な教育を未来を担うべき子供達に受けさせなくてはいけない。
ユネスコが、その役割を果たせるならば、パレスチナ加盟をどうして阻害できようか。
造られる過程に非のないものはない文化と文化財ではあるが、人間の誇れる創造性を示すものである。
それを大切に守り、後世に伝えることで、人間が己に幻滅を抱くのを防ぐ最終防衛線になるかもしれない。
確かに、教育とは難しいものだ。
為政者によって不都合なことは、正しく中立な教育である。
世界中、何処の国をとっても、真に冷静客観的な教育を施されている国はない。
比較的それに近いと思われる日本も、かなり歪められた教育を子供達に施している。
歴史観ばかりではなく、正しい判断をもたらす科学についても、思い当たることはないだろうか。
いま、自分の子供達を見ていて、なおさらこの考えを強く抱く。
また、世界は加速度的にダイナミックに変化してきている。
地球環境ばかりでなく、社会のシステムが前世紀と違うものに移行しようとする過渡期として。
まるで、原始の海に投げ出された生命の種だ。
この種も守るものは、”考える力”。
誰も、国も、システムも、この種を守ってはくれない。
自らの”考える力”で、己が身を守るしかないのだ。
稲妻の如く飛び交う情報を分析処理し、自分の行く末を切り開いていく。
実に野蛮な時代が、今まさに始まっているのだ。
でも、全くの暗黒時代ともいえなくもない。
正しい教育を受け、錯綜する大量の情報を見極め、宗教・民族・文化などに抱く偏見を取り払い、寛容の世界を導けるところに、やっとたどり着いたのかもしれないのだ。
それまでには、幾多の試練をくぐり抜けなくてはならないだろう。
だが、世界が狭くなったいまだから、可能になったと思えるのだ。
さて、どう世の中が変わっていくのか分からないが、天気が良くて暖かく、鳥の元気な囀りとねこのくつろぐ姿に、心救われる日であったことは確かだ。
今日の美しい日に、感謝。