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中国のネット検閲に米大手協力 “企業倫理”二国間問題に (西日本新聞) - goo ニュース
ヤフーやグーグルなど米インターネット関連大手が中国政府の言論統制や検閲に協力している問題が、米中間の新たな摩擦の火種になる様相を見せている。当初は「言論の自由か、企業利益の優先か」という個別企業の倫理問題だったが、米政府が介入し、法制化の動きも出てきた。一方、中国政府はネット検閲を貫く方針で、言論統制をめぐる議論が今後、ネットを舞台に激化するのは必至だ。
中国週刊紙の停刊、ネット上に当局批判相次ぐ (朝日新聞) - goo ニュース
中国の週刊紙「氷点週刊」の停刊問題で、報道関係者や元党幹部、学者など国内から次々と抗議文が発表されている。抗議はいずれもネット上で公表され、規制のすき間を縫って広く伝わった。当局が報道規制と共にネット規制も強める中、メールやブログを自在に使って対抗する新たな動きが起きている。
複数のメディア関係者によると、停刊処分が決まった先月末、当局は全国のプロバイダーに一切情報を流さないよう命じた。李大同前編集長のブログも直後に閉鎖された。
しかし、停刊処分翌日には多くの海外メディアがこれを報道。李氏は「当局はネットの封鎖が事実上不可能だということをまだ知らないのだ。私は読者にメールを送っただけなのに、翌日には世界中が知っていた」と話す。
その後、ネット上で当局への批判が相次いだ。いずれも中国からの接続が規制された米国の中国語ニュースサイトに掲載されたが、ほどなく国内でも内容が広く知られるようになった。
自分の手紙やメールが『検閲』されたり、電話が『盗聴』されたりという経験があったりするわけです。政治や体制への批判なんかをおおっぴらに書いたり話したりしてたわけじゃないので、規制や処分の対象には運良くならなかったけど・・・もちろんいろいろな理由で見逃してもらえてた、とも思ってますけど。
企業の利益を考えると、中国という市場は無視するにはあまりに大きいです。ネットの規制はどの国でも多かれ少なかれあることだとは思いますが、それに企業がどう関わっていくのかは考えていく必要はあるかもしれません。
中国という国がこういう国であることがわかっているわけなので、それを承知のうえでの行動については、誰もなにも言いようがない気がしますが…どうなんでしょうか。
16日朝日さん。
処分が連発される背景には、新聞界の変化がある。もともと中国の新聞は、党や政府の意向を伝える宣伝機関と位置づけられてきた。だが、市場経済化とともに新聞社も独立採算を求められるようになり、庶民が読みたいと思う記事を載せないと競争に生き残れなくなってきた。
読者が知りたい事実を速く、正確に伝える。そうした報道姿勢が強まれば、党や政府とぶつからざるを得なくなる。当局が感染の実態を隠蔽(いんぺい)したために被害が広がったSARS禍などを通じ、人々の「知る権利」への要求も高まってきた。その権利をどこまで広げられるか、新聞と当局が火花を散らしている。
経済発展とともに中国社会は急速に多様化している。インターネットで瞬時に世界ともつながる。国民の間に様々な意見が出てくるのは当然の流れだ。
思想や情報の管理を緩めれば、共産党政権の足元が揺らぎかねない。当局はそう恐れているのだろう。だが、この変化を無理に押しとどめれば、国民の間に不満がたまり、社会が不安定になるだけだ。多様な考え方を尊重し、報道の自由を広げる。それが自然な流れだ。
すごく基本的な疑問なんですが、『庶民が読みたいもの』は本当にそれなんでしょうか?『新聞社が書きたいもの』なのでは??
思想はともかく情報は多かれ少なかれ『管理』されているものだし・・・なんてことを思うのは、あふれる情報の取捨選択に苦労しているから??でも『選択できる』ってことは大切なことですよね?
17日産経さん。
米国のインターネット検索大手ヤフー、グーグルなどが中国政府のネット検閲に協力することを条件に中国に進出している問題への批判や議論が一段と高まってきた。
企業の利益優先姿勢は批判されて当然だが、中国政府もネット検閲の強化は中国の言論情報統制の実態を世界に知らせ、国際社会からの反発と警戒感をさらに高めるという逆説的効果を生んでいることを知るべきだ。日米政府も傍観すべきではない。
(略)
昨年秋には、ヤフーが中国当局に迫られて中国人記者のメール接続情報を渡したため、この記者が禁固刑に処せられたという事件も明るみに出た。
下院の公聴会では、議員から「企業は中国の人権抑圧の法律でも従うというのか」と、企業倫理を問う批判も出たという。当然であろう。
一方、企業側は「一企業や産業が対応できる範囲を超えている」とも弁明し、政府の対応を求めたというが、これにも一理はある。
米国務省は公聴会に先立ち、中国などのネット規制に対抗する特別対策チームを立ち上げたと発表した。日本政府も米政府と連携し、対応策を検討すべきだ。ことは中国政府による言論情報統制、宣伝工作戦略にもかかわることだからである。
アメリカにとっての問題は、中国がアメリカ好みの国じゃないってこと。全世界を『アメリカ』にしたい国の意向も全世界の富を手に入れたいアメリカ企業の意向も中国が考慮するとは思えないけど、中国という国が、良いか悪いかはともかく、どこか『歪んだ』国だってことは今回のことからも伝わってきます。
19日読売さん。
胡錦濤政権を統制強化へと駆り立てているのは、全土で続発する騒乱事件や重大事故で揺らぐ体制への危機感だ。化学工場爆発による昨年末の松花江汚染問題は、国民の命さえ軽視する中国の情報隠しの実態をさらけ出した。
統制強化と情報隠しは表裏の関係にある。情報の隠蔽(いんぺい)は、中国の国際的な信用を失墜させた。同時に国民の政権不信にも拍車をかけている。
当局の介入を受けた「新京報」では記者らの抗議ストが起きた。「氷点週刊」編集長は当局を糾弾する公開書簡をネット上に発表した。さらに党の元幹部らが、当局の言論弾圧を批判する声明を出した。どれも過去にはなかった動きだ。
報道統制に綻(ほころ)びが見える中、中国当局のネット検閲に協力している米インターネット検索各社への批判が、米国内で高まっている。米政府は各社に情報管理に協力しないよう要請するとともに、対抗策の検討に入った。
旧態依然の言論統制に執着する中国への圧力が、内外で高まっている。
報道統制がなければ成り立たない国というのはいったいどういう国なんだろう?と思いますが・・・国を動かすってきっとすごく魅力的なことなんだろうなぁと思ったりもします。
どんな体制であっても、国民が幸せならいいのではないかと思います。そしたら、体制が非難されても国民が支えてくれるでしょう。でも、その国民の命をないがしろにしていては・・・。
20日毎日さん。
実はこの社説は何回読んでもどこが重要なのかつかみかねています。
なので、全文引用してみます。
『社説:ネット検索規制 言論統制だけが問題ではない』
もちろんそうなんですが…。
米国のネット企業が、中国政府のネット規制に協力していることが問題となっている。米議会の突き上げを受け、国務省は外交交渉で解決を図るべく特別チームを発足させた。
天安門事件や台湾独立、法輪功といったサイトが検索結果に表示されないようにしたり、電子メールの送信記録を当局に提供していることを人権団体などが強く批判している。
中国国内でビジネスを行うには中国当局がとる法的措置に従わざるを得ないと、ネット企業側は弁明している。中国のネット利用者数は米国に次ぐ規模で、今後も急成長が見込まれる。
当局の規制があるからといって中国市場から撤退するわけにいかないということなのだろう。しかし、ネット検索にまつわる問題はもっと複雑な側面を持っている。
インターネットの規模は日々拡大している。膨大な情報の中から必要な情報を効率的に選別するのが検索サービスの役割だ。そして、検索内容に関連した広告を掲示したり、商品の販売サイトに誘導するなどのビジネスを展開しており、検索サービスの存在感も、ネットの規模に比例する形で拡大を続けている。
検索し、その結果が何ページにもわたって表示される場合、実際に見るのは上位のページにリンクされたサイトに限られがちだ。例えば、商品情報を検索すると、一部のネットショッピングのサイトだけを恣意(しい)的に上位に表示するということになると、公正競争の観点から問題となるだろう。
一方、商用とは違う目的でもネット検索は利用できる。世界中のブログサイトをチェックし、テロリストの素養を備えた人物を見つけ出し、その行動を監視するという利用法もある。
検索などのネットビジネスは米国企業が圧倒的なシェアを占めている。こうした企業は世界中から優秀な技術者を集める一方で、国家安全保障局(NSA)や国防総省との関係も指摘されている。
米国では「愛国者法」により裁判所の許可なしに盗聴が行えるが、同時多発テロ事件をきっかけにした監視社会化とネット検索との関連を懸念する声もある。
実態はよく分からないが、米英を中心にエシュロンという世界的な盗聴システムが運営されているという。インターネットがコミュニケーションの中軸になりつつある中で、ネットの世界で繰り広げられている情報戦も気にかかる。
文字列の検索が主体だったネット検索だが、ネット上にある音声や動画の検索についても研究が進められている。
検索サービスがメディア産業の中核を握るという見方もある。このため米国優位の構造に対抗しようと、独仏両政府が共同でマルチメディア検索システムの研究を開始し、日本でも経済産業省が研究会をスタートさせている。
中国の言論統制は論外だ。しかし、それだけにとらわれると、ネット検索をめぐる問題の全体像はつかめない。
ブログを『検索して監視する』ということはRSSリーダーで最新のエントリをチェックするのと大差ないように思えます。利用する人の目的によって同じ行為なのに言葉が変わる。もちろん個人を特定するとなるとまた違った意味をもつようになってくるとは思うけど・・・。
公正な公平な競争なんてものは条件が同じだからこそ言えるわけで、テレビや新聞等に大々的に広告が出せる企業の商品と、同じような商品を売る小さな企業が『勝てる』可能性を考えるとしたら、検索で上位に出てくることはかなり有効なんじゃないかしら?とも思ったりしてます。
最後は、20日道新さん。
中国当局による新聞などメディアを規制する動きが最近、強まっている。
(略)
歴史認識問題なら論争をすればよい。一方的に断罪し、メディアを停刊するやり方には憂慮を禁じえない。
(略)
党宣伝部への異議がメディア内部から公然と出たことに注目したい。
(略)
メディア規制強化は、これまで進んできた報道の自由化、多様化にブレーキをかけかねない。誠に遺憾だ。
(略)
ネット規制はどの国にもあるが、中国の場合はかなり広範囲とみられる。三万人の「サイバー警察」がネット監視を続け言論をチェックしているとされ、米議会などから「人権侵害につながりかねない」との批判も根強い。
ネットを通じた国際社会との交流はもはや一国で統制し切れるものではない。中国のネット人口は一億人超。規制をくぐりぬけるソフトを使って世界とつながっている現実もある。
中国は政治改革を進めるためにも、重要な柱である報道、言論の自由を広げていく必要がある。
規制をする国としない国が共存できない世界なんだなぁと思ったりします。規制の内容に問題があるのは認めますが、ネットに限らず、どこかの大国が『これは規制する』『これはしない』と決めたら、そのとおりにならないと不満・・・というのはどうなのかと。
規制することに対して正当な理由もあります。
規制が必要な部分は確実にあります。
言論の自由、報道の自由。
大事なことだけど、他人が押し付けるのはそれも受け取り方によっては違うかたちの『規制』かなと思ったりします。
こういう聞こえのいい言葉に意外ときつい『本音』が隠されてる気がします。
中国の言論統制について『それはどうなんだ!?』と思うし、好きか嫌いかときかれたら嫌いだし、すごいやり方で国を運営しているなぁと思ってもいるけど、ほかの国にできることってすごく少ないんだと思うのです。
ただ、ネットは現実よりずっと国際的。
だからといってその部分だけ切り離して考えるのはとても難しいです・・・。