今回のニュースはこちらです。
女児の難病移植募金めぐり2ちゃんで「祭り」-ITニュースイザ!
重い心臓病に侵された4歳女児の救済募金をめぐり、巨大掲示板サイト「2ちゃんねる」が連日、「祭り」となっている。女児を救おうと両親と有志が手術に必要な1億3600万円を目標に募金活動を始めたが、サイト上では募金呼びかけの内容に疑問を投げかける声が相次ぎ、さらに別の難病患者の募金活動でも経緯や収支に不透明さがあったとの書き込みも。「巣食う会」との揶揄も飛び出すなど、善意も大金が絡むと思わぬ火の手が挙がるようで…。
さくらちゃんを救う会のHPはこちらです。
さくらちゃんを救う会
昨日、ご両親が3000万円の負担をするというお知らせが掲載されました。
それでもやっぱり『祭り』は続いています。
どうしてなんでしょう???
重病の子供がなんとか助かればいいと思わない人はいません。
どの子供も健康で幸せに育てばいいと思っています。
自分の募金がそのためになれば…と思う人は少なくないはずです。
なのに…。
今回の『祭り』は問題がひとつじゃないから、話しがややこしくなってきてるように見えます。
ひとつめは『募金』のことです。
今回のことがきっかけで、その使途についての疑問が一気に表に出てきました。
どこかの募金の使途内訳にはボランティアさんへの交通費、宿泊費、お弁当代、事務局の家賃(維持費)が含まれていました。
どんな活動でも、なにをするのにもお金がかかります。その費用をどこから捻出するのかはどんな団体にとっても大きな問題のはずです。でも、それを募金から捻出するというのは『ボランティアは無償であるべき』というイメージが強い人たちにとっては理解しがたいものなのかもしれません。
募金を集め、そのお金で事務局を運営し、活動を推進し、またさらなる募金を募る…というその形態はボランティアなんかじゃなく『募金ビジネス』なのではないか??というのは、某巨大掲示板の住民でなくても考えることなんじゃないかと思います。
そういう形態があってもいいとは思います。ただし、募金が集まってまた別の誰かの命が助かるというかたちならともかく、誰かが儲かるという『ビジネス』のかたちであっては反発を招くのは当然のことと考えます。
不透明な会計で本来の目的以外のことにも使用・利用されている。『募金』に対してそういうイメージを植えつけてしまったことも残念だと思います。
もうひとつは『ご両親』です。
『移植でしか助からない命を助けるために、移植のために必要なお金を集めること』が親の務めのひとつだとしたら、まずはご自身でなんとかしようする(あるいは、した)姿勢、例えばご自身のblogとかHPとかが先にあったら違ってたと思います。
だからこそ、あまりにできすぎてる救う会の設立、そのHPや広報活動、さらには移植に必要な金額とに『募金ビジネス』的なものを感じるんだと思います。
できない、できなかったからこそ『募金』のはず、本当はみんなわかっているんです。
最後は、『移植』そのものについてです。
さくらちゃんに限らず海外へ行き移植を受けることそのこと自体は悪いことじゃないし、それにお金が必要なら必要なだけかけたらいいんです。
『移植』は助けられる命を増やすものではありません。提供される臓器の数以上の命はどうがんばっても助けてはあげられないのです。
それは助けられる命が替わることでもあります。その順番を変更するのにお金がかかるということです。同時に誰かがさくらちゃんの『横入り』で移植が受けられなくなるのです。
どうしてさくらちゃんに『募金』が必要なのか、どうして海外へ行く必要があるのかを考えると、『移植』に関わる問題も考え直す必要がありそうです。
全員が募金に頼らなくても助かるようになれば一番なわけですから。
重い病気の子供のための募金をお願いされたことがあります。
ちょっとだけだけど、協力しました。
そのとき、募金の集まった子供が助かって、そうじゃない子は助からないというのは不公平だなと思いました。
お金で買える命もあるんだと思いました。
でも、買えるなら買っていいと思います。大事な大事な自分の子供の命ですから。
ふと、『(いろんな人を)救う会』の人は他の重い病気の子供さんたちのために募金したことあるのかなぁ…と思いました。ほんとは『知ってる子供』が助かればそれでいいと思ってるんじゃないのかなぁ…。
・・・なんて、相変わらず斜に読みすぎ、ゴメンナサイ。
女児の難病移植募金めぐり2ちゃんで「祭り」-ITニュースイザ!
重い心臓病に侵された4歳女児の救済募金をめぐり、巨大掲示板サイト「2ちゃんねる」が連日、「祭り」となっている。女児を救おうと両親と有志が手術に必要な1億3600万円を目標に募金活動を始めたが、サイト上では募金呼びかけの内容に疑問を投げかける声が相次ぎ、さらに別の難病患者の募金活動でも経緯や収支に不透明さがあったとの書き込みも。「巣食う会」との揶揄も飛び出すなど、善意も大金が絡むと思わぬ火の手が挙がるようで…。
さくらちゃんを救う会のHPはこちらです。
さくらちゃんを救う会
昨日、ご両親が3000万円の負担をするというお知らせが掲載されました。
それでもやっぱり『祭り』は続いています。
どうしてなんでしょう???
重病の子供がなんとか助かればいいと思わない人はいません。
どの子供も健康で幸せに育てばいいと思っています。
自分の募金がそのためになれば…と思う人は少なくないはずです。
なのに…。
今回の『祭り』は問題がひとつじゃないから、話しがややこしくなってきてるように見えます。
ひとつめは『募金』のことです。
今回のことがきっかけで、その使途についての疑問が一気に表に出てきました。
どこかの募金の使途内訳にはボランティアさんへの交通費、宿泊費、お弁当代、事務局の家賃(維持費)が含まれていました。
どんな活動でも、なにをするのにもお金がかかります。その費用をどこから捻出するのかはどんな団体にとっても大きな問題のはずです。でも、それを募金から捻出するというのは『ボランティアは無償であるべき』というイメージが強い人たちにとっては理解しがたいものなのかもしれません。
募金を集め、そのお金で事務局を運営し、活動を推進し、またさらなる募金を募る…というその形態はボランティアなんかじゃなく『募金ビジネス』なのではないか??というのは、某巨大掲示板の住民でなくても考えることなんじゃないかと思います。
そういう形態があってもいいとは思います。ただし、募金が集まってまた別の誰かの命が助かるというかたちならともかく、誰かが儲かるという『ビジネス』のかたちであっては反発を招くのは当然のことと考えます。
不透明な会計で本来の目的以外のことにも使用・利用されている。『募金』に対してそういうイメージを植えつけてしまったことも残念だと思います。
もうひとつは『ご両親』です。
『移植でしか助からない命を助けるために、移植のために必要なお金を集めること』が親の務めのひとつだとしたら、まずはご自身でなんとかしようする(あるいは、した)姿勢、例えばご自身のblogとかHPとかが先にあったら違ってたと思います。
だからこそ、あまりにできすぎてる救う会の設立、そのHPや広報活動、さらには移植に必要な金額とに『募金ビジネス』的なものを感じるんだと思います。
できない、できなかったからこそ『募金』のはず、本当はみんなわかっているんです。
最後は、『移植』そのものについてです。
さくらちゃんに限らず海外へ行き移植を受けることそのこと自体は悪いことじゃないし、それにお金が必要なら必要なだけかけたらいいんです。
『移植』は助けられる命を増やすものではありません。提供される臓器の数以上の命はどうがんばっても助けてはあげられないのです。
それは助けられる命が替わることでもあります。その順番を変更するのにお金がかかるということです。同時に誰かがさくらちゃんの『横入り』で移植が受けられなくなるのです。
どうしてさくらちゃんに『募金』が必要なのか、どうして海外へ行く必要があるのかを考えると、『移植』に関わる問題も考え直す必要がありそうです。
全員が募金に頼らなくても助かるようになれば一番なわけですから。
重い病気の子供のための募金をお願いされたことがあります。
ちょっとだけだけど、協力しました。
そのとき、募金の集まった子供が助かって、そうじゃない子は助からないというのは不公平だなと思いました。
お金で買える命もあるんだと思いました。
でも、買えるなら買っていいと思います。大事な大事な自分の子供の命ですから。
ふと、『(いろんな人を)救う会』の人は他の重い病気の子供さんたちのために募金したことあるのかなぁ…と思いました。ほんとは『知ってる子供』が助かればそれでいいと思ってるんじゃないのかなぁ…。
・・・なんて、相変わらず斜に読みすぎ、ゴメンナサイ。