烏鷺鳩(うろく)

切手・鉱物・文学。好きな事楽しい事についてのブログ

秩父鉱山の黄鉄鉱(パイライト)

2018-04-09 | 鉱物
2017年は私にとって秩父鉱山に縁のある年だった。


夏頃のこと。知り合いが「石好きなら、うちに転がってる鉄鉱石をあげる」とおっしゃって、私のいとこに託してくれた。「鉄鉱石」と一口に言っても色々ある。黄鉄鉱、赤鉄鉱、硫砒鉄鉱、菱鉄鉱・・・。どれが来るのだろうと楽しみにしていたところ、いとこが家に届けてくれた。





なんと大きな黄鉄鉱だろう。長さが30cmくらいある。重い。鉄だから重い。黄鉄鉱特有の立方体の結晶がみっしり付いている。所々に白い結晶が混じっているのは方解石だろう。




その知り合いの方も、秩父鉱山に働いていたという方から大分前にもらった物らしい。しかし、「うちに転がってる」とおっしゃっていただけに、ほこりをかぶって、いささか・・・。どうしたものかとしばらく放置していた。


ネットなどでクリーニング方法を探るも、なにやら薬品を使うとか、水は使っちゃいけないだとか、水を使うと崩壊するだとか、色々こわいことが書いてある。このままでもいいかなあと思ったが、せっかくこんな巨大な結晶を頂いたのだから、多少はきれいにして飾りたい。


ということで、思い切って「埼玉県立自然の博物館」にお電話してみた。お忙しいとは思うが、確か鉱物に詳しい学芸員さんがいらっしゃったはず。本当はメールの方が良いのかもしれないが、断られるのを覚悟で電話をかけた。


すると、お忙しいにもかかわらず、親切丁寧にお答え下さったではないか。
私   「秩父鉱山で働いていた方から黄鉄鉱を頂いたのですが、なにせ埃やら泥やらか
     ぶっているので。どうやってクリーニングしたら良いか教えて頂けますか?」
学芸員さんは標本の状態を質問してから、
学芸員 「水で流して汚れを少しふやかしてから、クレンザーで磨いてみて下さい。
私   「あの、家庭によくあるクレンザーですか?」
学芸員 「はいはい、それです。そもそも、水や湿気で崩れてしまうような黄鉄鉱だと、
     標本としてはあまり意味がないかもしれませんよね。しばらく放置して特に
     崩れている様子がなければ、水で洗うのが一番です。鉄が含まれてますから
     薬品などを使うと溶けてしまいます」
なるほど。ネットの情報を鵜呑みにして黄鉄鉱を溶かしてしまうところだった。危ない。


その他にも、色々貴重な情報を頂いた。産地や、同じ産地でも鉱脈によって、黄鉄鉱は劣化の度合いが異なる事。博物館では超音波洗浄機を使ってクリーニングしている事。それから、黄鉄鉱は日光を避けなければならない事。それでも、崩壊を止める事は残念ながらできない事。


最後に学芸員さんは「どうぞ楽しんで下さいね」と言って下さった。優しい。ちなみに女性の学芸員さんで、お名前をお聞きするのを忘れてしまったのが残念だ。


というわけで、教えて頂いたクリーニング方法で多少なりとも見栄えが良くなった黄鉄鉱がこちら。



少しは輝きが増したのではないだろうか。



立方体の結晶がきらめいている。




しかし、鉱物の写真を撮るのは大変難しい。私の技術がへなちょこなせいもあるのだが、そしてスマートフォンのカメラで済ましているせいもあるのではないかと思うのだが、撮影が難しい。なかなか標本の美しさをお伝えできないのが残念である。鉱物の撮影は今後の課題としよう。


ちなみに、埼玉県立自然の博物館で開催していた「秩父鉱山 140種の鉱物のきらめき」という特別展(現在は終了)を見に行ってきた。140種もの鉱物が産出する鉱山というのは大変珍しいのだそうだ。機会があればそちらの方もご紹介したいと思っている。そして、秩父鉱山の鉱物にはもうひとつ縁があったのだ。そちらもまた今度。



埼玉県立自然の博物館
〒369-1305 埼玉県秩父郡長瀞町長瀞1417-1

本庄普寛霊場(埼玉県本庄市)

2018-04-08 | 日記
埼玉県本庄市に、普寛霊場がある。地元の人達に「普寛様」と親しまれている神社である。私も機会があると時々参拝させて頂いてる。修験道の大行者・普寛上人が入寂した地である。密教の上人を奉っているが、廃仏毀釈の際に神道になったため、神社と言っていいだろう。


お参りをする時に少し上を見上げると、素晴らしい竜の彫刻がある。






竜の下に親子の亀がいて、子亀がフンをしているところまで彫刻されている(笑)迫力のある力強い竜の下だけに、このギャップがすごい。これを彫った人はなかなか大胆なユーモアをお持ちだったようだ。一瞬、「亀のフンだけに、金運がつくかな」などと思ってしまう。が、そんな邪念を必死に振り払い、心を清らかにしてお参りする。


それにしても見事な彫刻が施されている。




本殿正面の竜も見事だが、このお賽銭箱の上からにらみをきかせている竜も素晴らしい。横に目をやると、あちこちに精巧を極めた彫刻が施されている。



この籠彫り、鞠の中の鞠が動くようになっているそうだ。


こちらの霊場では、年に2回、木曽御嶽山開山の行者普寛上人を偲んで大祭が催されている。春は4月10日、秋は10月10日。いずれのお祭りでも、たくさんの修験道の行者が集まり、線香護摩、鳴動釜、刃渡り、火渡りなど密教の荒行を披露するのである。披露するだけではなく、参拝者の様々な祈願も受け付けてくれる。



(写真:全国観るなび http://www.nihon-kankou.or.jp/saitama/112119/detail/11211ba2210129774 より)


《木食普寛(もくじきふかん)上人》1731~1801年
普寛聖人は享保16年5月大滝村に木村信次郎の子として誕生、少年時代より剣術を好み、一時は酒井雅楽頭家で25人の扶持を得ていたという。天明2年、傅灯大阿闍梨となり寛政4年木曽御嶽山開山、次いで寛政6年越後の八海山開山、更に寛政7年上州の武尊山を開山した。胃薬「百草」の創始者であり、巡錫中貧しき人々を救い、木食普寛とも称した。享和元年秩父へ帰ろうとして本庄宿米屋弥兵衛方にて死す。享年71歳。

(埼玉ゆかりの偉人:埼玉県HPhttps://www.pref.saitama.lg.jp/a0305/ijindatabase/syosai-268.html)


一般の人でも、希望者は火渡りに参加できる。本殿の素晴らしい彫刻をご覧になると共に、ご興味のある方はぜひ大祭にて火渡りに挑戦してみてはいかがだろう。

普寛霊場
〒367-0053 埼玉県本庄市中央3-4-41
TEL 0495-22-4451


【参考サイト】
・本庄市観光協会 https://www.honjo-kanko.jp/travels/fukanreijo.html
・全国観るなび http://www.nihon-kankou.or.jp/saitama/112119/detail/11211ba2210138688
・埼玉県 https://www.pref.saitama.lg.jp/a0305/ijindatabase/syosai-268.html 

ウドムルト共和国 恐竜 加刷切手 (3)

2018-04-07 | 切手
次に気になるのは、いつ発行されたかである。これは切手自体に発行年月日が記されていないから見当も付かないところだ。が、加刷してある“地”のロシア切手を手がかりにある程度絞れるのではないかと考えた。


赤1色で印刷されている所から、おそらく、ロシアの普通切手だろうと思われる。「スコット世界切手カタログ」があれば、おそらく一発で解答を得られるだろうが、そんな高価なカタログ、そうそう手に入るものではない。ここは地道に、周りにある材料を手がかりに探っていくしかない。


そこで、大変便利なサイトを発見した。「スタンペディア」である。


スタンペディアとは
スタンペディア世界切手カタログは、2009年12月開始のネットサービスで、現在36ヶ国111,987枚の切手を画像付きで掲載しています。国や年代を指定して切手の一覧リストを表示したり、不特定のキーワードで検索して、ひっかかる切手だけを見ることもできます。時間はかかりますが世界で五番目の世界切手カタログになりたいと思います。


なんとも頼りになるサイトではないか。スコット世界切手カタログを手に入れる事ができない私にとって、心強い味方である。早速ロシアの項目を参照する。図案は1992年のガンビア切手が元であるから、1992年以降を探してみる。


発見!!




1992年9月10日に3ルーブル切手として発行されている。それじゃあ、この年の発行かというと、額面に注目して頂きたい。





左から250,500,1050,3000,5000となっている。ロシア連邦の一共和国だから通貨はルーブル。もしも、1992年当時の郵便料金が3000ルーブルなどという高額であるならば、わざわざ3ルーブルの切手を発行するはずがない。郵便に切手を1000枚貼らなきゃならない。つまり、1992年以降のある時期に、3ルーブルの切手に1000倍の額面を印刷しなければならない状況に陥ってしまったと考えられる。インフレである。というわけで、ウドムルトの加刷切手は1992年に発行されたものではないことが分かった。


スタンペディアの続きをみてみよう。
1992年5月26日に100ルーブルが発行されているが、その後は5ルーブル、3ルーブル、25カペイカ(1ルーブル=100カペイカ)と続く。
翌1993年は25~500ルーブル。
1994年には50~500ルーブル。
1995年になると、1月26日に1000ルーブルが発行された後、2月21日についに5000ルーブルが発行されている。その後、この年は250~500ルーブルを推移。
96年3月27日には再び5000ルーブルが発行されている。96年9月10日にも5000ルーブルを発行。
97年4月30日、8月15日にも同様に5000ルーブル切手を発行。その後は1000、500ルーブルと続いている。
ところが1998年1月1日、突然10、15、25,30,50カペイカ切手が発行されているではないか。デノミか?98年は1~5ルーブルの切手が発行され、そのまま落ち着いた様子である。


ロシア連邦の5000ルーブル切手が発行された時期をピックアップしてみる。
1)1995年2月21日
2)1996年3月27日
3)1996年9月10日
4)1997年4月30日
5)1997年8月15日
以上の発行年月日をてがかりにすると、ウドムルト共和国の恐竜加刷切手は、1995年2月~1997年8月の期間か、もしくはその前後に発行されたのではないかと推測できるのだ。


だから何だ、と言われればそれまでだが、私個人としては幾分すっきりした。


「スコット世界切手カタログ」を見る事ができれば、きっと一発なんだけどな。


ちなみに、1998年、ロシアでは1000分の1のデノミが行われた事が、ウィキペディアに載っていた。私は経済には疎いのだが、切手を手がかりにその国の経済状況がわかることもあるのだなあ、ということが今回の収穫か。というわけで、「ウドムルト共和国 恐竜 加刷切手」は、ソビエト連邦解体(1991年)後の経済混乱期において、インフレが最高に高まった時期であり、その後に行われるデノミの直前くらいに発行された切手であることが分かった。最初はただのoverprintタイプの加刷だと思った物が、surchargeタイプの加刷切手だったのだ。


ただし、まだ謎は残っている。


「なぜガンビアの切手だったのか?」・・・


【参考サイト】
スタンペディア http://www.stampedia.net/ja

ウドムルト共和国 恐竜 加刷切手 (2)

2018-04-06 | 切手
大体、この切手が恐竜の図案であると分かったのは、真ん中のスピノサウルスらしきものがいたお陰だ。背中の帆でかろうじてスピノサウルスだと分かったけれど、そして右端の竜脚類らしきものがいたから恐竜だと分かったけれど、他の図案はまるでカンガルーの化け物である。どうしてこんな風になったのだろうと一人いぶかしむ。黒一色の印刷のためか、スピノサウルス以外は、もはやどんな種類の恐竜なのか見当も付かない。印刷がつぶれてしまっている。


漠然と「これ、元ネタあるんじゃないの?」という疑問が浮かぶ。国名と額面はともかく、肝心の図案があまりにも不鮮明だからである。何かイラストなり他の切手なりをコピーした物ではないかという予想がつく。


というわけで、図書館にて今はもう絶版になってしまった本を借りる。『よみがえる恐竜たち(切手ミュージアム1)』である。子ども向けの本だ。前半には様々な国から発行された恐竜の切手をカラーで紹介している。後半では、恐竜についてこれまで分かっている事が、生態や絶滅した理由、古生物学史などを交えながら詳しく説明されている。途中、年代の誤記と思われる箇所や、植物食恐竜のデンタルバッテリーに関する説明図が抜け落ちている辺りは残念でならないが、恐竜に関する情報を十分概観する事ができる。さらに、最後の方には切手の用語についての説明まで載っている。あなどるなかれ、である。これはかなり面白くためになる本だ。恐竜切手を収集する際、知っておくと便利な情報が盛りだくさんである。大人が読んでも勉強になる。


カラーで恐竜切手を紹介するページが、全体のちょうど半分位である。ぱらぱらとページを繰るだけでも楽しい本だ。と、





これって・・・






そういうことだよね・・・。






というわけで、「ウドムルト共和国 恐竜 加刷切手」の元ネタが判明した。ガンビアから1992年に発行された恐竜シリーズの切手である。


これでウドムルト共和国切手の図案が何の恐竜であるかが分かった。左からドリオサウルス、サウロロフス、スピノサウルス、スクレルモクス、ケティオサウルスである。


なぜにガンビアの切手図案をコピーしたのであろうか?当時、ウドムルト共和国、もしくはロシア連邦とガンビアとの間に、何か特別な友好関係でもあったのだろうか?それとも、単に良い切手だなあ、ということでコピーしちゃったのだろうか。ウドムルト共和国大使館というのは無いから、ロシア大使館にでも行ってお訊きしたいくらいである。


そもそも、ガンビアの切手、4種類を除き、全て恐竜がカンガルー座りなのだ。しっぽの付け根の辺りを地面に下ろし、後ろ足を折り曲げて座り込んでいる。しっぽは足の間にある。どうしてそんなポーズを図案化したのだろう。お世辞にも魅力的とは言えない。縦型・長方形という切手の形とサイズによる制約だったのかもしれない。確かに手持ちの恐竜切手は、横型・長方形が多いような気がする。獣脚類の恐竜を縦型に図案化すると、しっぽがどうしても描きづらい。その結果、足の間から前に向かってしっぽを下ろす、という姿勢になってしまうのかもしれない。


「しっぽが足の間に」、という姿勢は、当時、恐竜、特に獣脚類の復元図で主流であった「ゴジラ型」のポーズが影響していると思われる。ご存じのように、昔の恐竜の絵と言えば、ティラノサウルスがゴジラのように直立してしっぽをひきずっていた。それが、1993年公開の「ジュラシックパーク」を機に、頭としっぽが水平の、新しい復元モデルが切手界でも浸透し始める事になる。とはいえ、1990年代の恐竜切手は、ほとんどが「ゴジラ型」のしっぽ引きずりモデルがまだまだ多くを占めていたように思われる。


図案の謎はある程度解けた。次は加刷されている、“地”のロシア切手と額面に注目してみると、この「ウドムルト共和国 恐竜 加刷切手」がいつ頃発行された物であるのか、ある程度絞り込める事が分かった。
さらに続く。



【参考文献】
・『よみがえる恐竜たち(切手ミュージアム1)』長谷川善和・白木靖美 著 (未来文化社 1994年)

ウドムルト共和国 恐竜 加刷切手 (1)

2018-04-04 | 切手


「ロシア」と書かれている普通切手らしき物4枚を一組としてそこに一種類の図案が印刷されている。
“Republic Udmurtia”。聞いた事も目にした事もない国名である。額面もすごい数字になっている。さっそくウィキペデイアで調べる。


《ウドムルト共和国》
ウドムルト共和国(ウドムルトきょうわこく、ウドムルト語:Удмурт Элькун、ロシア語: Удму́ртская респу́блика または Удмуртия)は、ロシア連邦に属する共和国。首都はイジェフスク。沿ヴォルガ連邦管区に含まれる。北にキーロフ州、東にペルミ州、南にバシコルトスタン共和国、タタールスタン共和国と隣り合う。
・面積 42,100km²(ロシア連邦全体の 0.25%)
・人口 1,570,316人(2002年)
・人口密度 37人/km²
・住民 住民の民族別の内訳は、ロシア人(53%)、ウドムルト人(35%)、タタール人(7%)、ベラルーシ人(2%)など。ウドムルト人はフィン・ウゴル系の民族である。公用語はウドムルト語とロシア語。主な宗教は正教とシャーマニズム
・歴史 もともとウドムルト人が暮らしていたこの地域に、ロシア人開拓者が達したのは12世紀ごろ。1552年にカザン・ハン国がロシアに併合されて後、ロシア人入植者が増えていった。

1920年、ヴォート自治州として形成され、1934年にウドムルト自治ソビエト社会主義共和国と改称された。ソビエト連邦の解体(1991年)にともない、1990年からウドムルト共和国。


どこに位置するのかというとこの辺。





なるほど。隣り合う国々でさえ、私は知らなかった。そして気になるのが「主な宗教は(ロシア)正教とシャーマニズム」というところだ。キリスト教と土着のシャーマニズムが共存する国がロシアにある。興味深い。


ちなみに、平昌オリンピック女子フィギュアスケートの金メダリスト、アリーナ・ザギトワは、この国の首都イジェフスクの出身である。


さらにこの国について調べていて、面白いサイトをみつけた。


「なぜウドムルト人はロシアの異教徒で、どうして彼らは恐れられるのか」
ライフ 12月 13, 2017 エカテリーナ・シネリシチコワ
(RUSSIA BEYOND https://jp.rbth.com/lifestyle/79430-udmurts)

ウドムルト人は中央ウラルに住む人々だが、彼らの心には数世紀を経てなお異教が根付いている。彼らは地獄も天国も信じない。戦わないし暴動も起こさない。自分たちのことを“格別に平和愛好的”と呼ぶ。そして武器を集めている。
“タンポポ”の頭は刺繍の入ったスカーフで幾重にもしっかりと覆われ、髪が何色かは分からない。多くの人が“真のウドムルト人の証”と考える赤毛か、あるいは濃い茶色なのか。

「女性の髪が何色か知りたければ、頭以外の部分を見る必要があります」と彼女は笑う。極寒の空気で彼女の笑いは湯気になる。「今はすべてが当てにならない時代ですから。髪さえもまやかしです。」

彼女の名前もまた一部まやかしだ。実際のところ、彼女はタンポポではなくスヴェトラーナという。彼女がタンポポだったのは、ウドムルト人がパスポートを受け取り、“正常の”名前を持つことを義務付けられる以前のこと。彼女は未だに異教徒だ。ウドムルト人の誰もが心の中ではそうだ、とタンポポは言う。私たちは神聖な農民小屋“クアラ”のそばにいた。見た目は一般的な丸太づくりのロシアの農民小屋と変わりない。

「ウドムルト人は多神教信者です。何を信じているのかは、どう説明したらいいか自分たちでも分かりません。信仰の本質は自然で、自然にはたくさんの神々がいますから。」


>「女性の髪が何色か知りたければ、頭以外の部分を見る必要があります」

なかなか艶っぽいジョークと受け取ってよろしいのだろうか?

>「今はすべてが当てにならない時代ですから。髪さえもまやかしです。」

思わず、「含蓄に富んでいるなあ」、と感心してしまう。

>「ウドムルト人は多神教信者です。何を信じているのかは、どう説明したらいいか自分たちでも分かりません。信仰の本質は自然で、自然にはたくさんの神々がいますから。」

アニミズムということだろうか。多神教信者というのも、なんだか日本と通ずる物があるような。

そしてさらに興味深い内容が続く。


◆武器を持った魔術師

今日では街への出稼ぎが、収入を得るためのほとんど唯一の手段だ。ルドルヴァイ村にはガスが通っていて、学校や図書館もあるが、例えば未だに店、病院、薬局すらもない。だからパンすら自家製のものだ、とアンナ・ステパノヴナは語る。・・・
・・・ルドルヴァイには今日千人余りの人が住んでいる。最寄りの街であるイジェフスクまでは19 kmある。アンナ・ステパノヴナはタンポポとともに博物館で働き、以前は天候にかかわらずそこまで3 km歩いていた。今ではワゴン車ガゼルで送迎してもらっている。

「ルドルヴァイの住人は皆イジェフスクの工場で働いていました。ルドルヴァイには広大な畑とコルホーズ(ソ連における集団農場)がありました。今日ではコルホーズはなくなり、個人経営の農場だけになりました。農作業はしていますが、人手が足りません。街から100 kmも離れた村の人は、村から出ることもなく暮らしています。家は木造で、自分の農園があり、季節によってはイチゴを売ったり、材木を売ったりしています。若い人は出て行っています。実家へはせいぜい休日に帰って来るかどうかです。帰ったところで、本当に何もすることがないですから。」

現在でも大半のウドムルト人が、“蒙昧な人々”というステレオタイプを克服したにもかかわらず、半世紀を経てなお工場で働いている。最も非戦闘的な民族が、さまざまな事情が重なって武器を生産している。イジェフスクの工場の半分がこの製品の製造に従事している(この中には財閥“カラシニコフ”も含まれる)。

しかしウドムルト人が恐れられるのは武器のためではない。「彼らは魔術師だ」というよく知られた噂があるのだ。
「シャーマンや病気の回復といったものはありましたか?」
「シャーマニズムが姿を消したことはありません。病気の回復ももちろんありました。」
アンナ・ステパノヴナの声は真剣で深みのあるものになり、眼は緑で鋭く知性に溢れた。こんな話があったという。コルホーズの議長が小さな農民小屋“クアラ”を横流しして薪にしたところ、彼は数日後に死んでしまった、偶然の一致かもしれない。しかし、これはウドムルト人になせる業でもある、という人もいる。


ソ連時代には、武器工場が多数あったために、地図上にない、「閉鎖都市」だった。自然を崇拝し、自らを「格別に平和愛好的」という人々が武器を作り続けているという矛盾。シャーマニズムを守っているが故に偏見を持たれ続けたのも理由の一つ。その偏見が経済的な貧しさの原因となり、貧しいが故に武器を作る。こういう負のサイクルを目にすると、どうしていいか分からなくなる。


とりあえず、ウドムルト共和国はなかなか興味深い国だという事が分かったが、切手そのもの自体の情報が得られない。というわけで、ある本を参考にしようと図書館で借りてきたのだが、そこに思いも寄らぬというかある程度予想していた事実が判明する事になるのだ。次回へ続く。



[参考サイト・文献]
・ウィキペディア ウドムルト共和国 
・「なぜウドムルト人はロシアの異教徒で、どうして彼らは恐れられるのか」ライフ 12月 13, 2017 エカテリーナ・シネリシチコワ RUSSIA BEYOND https://jp.rbth.com/lifestyle/79430-udmurts