烏鷺鳩(うろく)

切手・鉱物・文学。好きな事楽しい事についてのブログ

神流町恐竜センター(群馬県神流町[かんなまち])に行ってきた!

2018-09-24 | 旅行


おがの化石館を後にして、国道299号をぐんぐん進んで群馬へ向かう。
あと3㎞ほどで到着という所で、なんと、本物の「恐竜の足跡化石」が!!



国道299号の道路脇である。近くに駐車スペースもある。



「瀬林の漣痕」という、さざなみの跡も残っているのだ。



ちょっとへこんで草が生えてしまっているところである。



近くの看板の詳しい説明を見たのだが、下の方のちょっと色が変わっている辺り、ここも別の恐竜の足跡だそうだ!!
すごい!!こうした本物の化石をこんな道ばたで見ることができるとは、嬉しい限りである!!この辺に住んでおられる方にとっては生活道路である。生活道路で毎日化石が見られるというのも、素晴らしいではないか。



おや!!こんな所にステゴサウルスが潜んでいたとは!危ないところであった。


さて、さらに3kmほど進んだところで、ようやく「神流町恐竜センター」に到着である。
割と長い道のりであったから、お腹はぺこぺこである。じっくりたっぷり見学するためにも、ここはまず、腹ごしらえをせねばなるまい。



というわけで、神流町恐竜センターの食堂にて昼ご飯である。
私が選んだのは「プテラノ丼」と「恐竜ナゲット」である。
そう、これは鶏の照り焼きの乗っている丼であるが、「プテラノ丼」という素敵なネーミングが施されているのだ!こういうところ、嬉しい!
他にも「イグアノ丼」(牛丼)、「ディメトロ丼」(豚キムチ丼)というのがあり、かなり迷ったあげく、「プテラノ丼」に。
美味しい!もしかしたら、プテラノドンもこんな味だったのかなあと、想像とロマンがふくらむ。
「恐竜ナゲット」は、竜脚類の恐竜をかたどった、チキンナゲットである。あ、チキンがかぶった・・・。


楽しいお昼ご飯でお腹も一杯になったところで、いよいよ館内を見学する。



これは、群馬県中里村(当時)で発見された、サンチュウリュウの実物大復元模型である。こういう実物大の模型を見ることで、実際の恐竜の大きさがよく分かるのだ。



恐竜の足跡に導かれて。




中に入るといきなりアパトサウルスの上腕骨の化石が!!しかも触りたい放題である!!
「ジュラシック・パーク3」で、「化石の部分は普通の石よりすべすべしている」と若い古生物学者が言っていたが、本当にすべすべしている。ずっと触れていたいが、まだまだ先は長いので奥へと向かう。

受付で、「もうすぐシアターが始まりますよ」と教えて頂いたので、「瀬林の漣痕」の説明を見てから、シアターの席に着く。



さっきまで後ろを向いていた博士らしいロボットが振り向いた。なんか、リアルで怖いが。となりのちびっこい恐竜は「サウルスくん」という。つまりは「とかげくん」である。彼が白亜紀のゴビ砂漠へと向かい、恐竜たちの生活をレポートしてくれる、という設定だ。



オヴィラプトルが登場!



タルボサウルスとサイカニアが死闘を繰り広げる場面があったりして、なかなか楽しかった。


シアターが終わって、ゆっくり化石を見学。



右は、神流町で発見されたスピノサウルスの歯である!群馬にスピノサウルスがいた!



入り口付近でお出迎えしてくれたサンチュウリュウの椎骨だ!
恐竜が発掘された地元って、うらやましいなあ。



本館の最後にはイクチオサウルスの全身骨格化石があったり、



ウミユリの素晴らしい化石があったりと、もう見応え十分である。他にも、アンハングエラやカスモサウルスの化石まであったのだ!


さて、本館の次には別館へ。ここにも面白い物がたくさん展示してあった。
ちょっと変わった建物だなと思ったら、どうやらモンゴル風をイメージしてあるようだ。



大迫力!!タルボサウルスの全身骨格である。アジアに生息していたティラノサウルスの仲間である。やはり実際の大きさを体感すると、圧倒されてしまう。こんなのに遭遇したらいちころである。



このサイカニアの化石も美しい!!その名は「美しいもの」を意味する。頭の形と言い、背中の装甲板の見事なとげとげと言い、名前に違わぬ美しさにうっとりする。



なんと、プロトケラトプスとヴェロキラプトルの格闘化石のレプリカまで!これは例えレプリカでも見られて嬉しい。すごい迫力だ。


別館の出口付近に、



あの「アマルガサウルス」が!!首のとげとげもかっこいい。まさかここでアマルガサウルスに出会えるとは感激である!!



別館を出ると、なんとなんと、ティラノサウルスの産状を再現したレプリカまであった!写真に収まりきれないほどの大きさだった。


さて、お楽しみのミュージアムショップ。かなり広いし、恐竜グッズが盛りだくさんでかなり迷ったのだ。



まずは肝心の「神流町恐竜センター ガイドブック」。家で何度も反芻して楽しむためには欠かせない。
本物の化石や鉱物なんかも並んでいたのだが、前から欲しかった「オルソセラス」(直角貝)の、きれいな化石を発見!
そして「アンモナイトの手ぬぐい」!これは、ジュラ紀と白亜紀の代表的なアンモナイトの種類がデザインされた、おしゃれな一品である。色も小豆色と好みのカラーである。


神流町恐竜センターは、恐竜の存在をその現実感と共に体感できる楽しい施設であった。
本物化石はもちろんだが、精巧なレプリカというのも、大きさや形状を目で見て確認できるから大変ありがたいのだ。首の細さ、顔の大きさ、しっぽの長さ、手と体のバランス、足の大きさ。写真や絵では捕らえきれない恐竜の現実感をじっくりと味わうことができた。

化石と恐竜三昧の素敵な1日は静かに暮れていった。



※「神流町恐竜センター」は2018年10月9日~2019年4月中旬頃まで改修工事のため閉館するそうである。お早めに足を運んで頂きたい。

【参考資料】
・「神流町恐竜センター ガイドブック」(2003年)

おがの化石館(埼玉県小鹿野町)に行ってきた!

2018-09-21 | 旅行


空はすでに秋の装い。青く広い空。からりと晴れ渡ったこの日、まだ緑の深い埼玉県小鹿野町へと向かう。
ここには「おがの化石館」があるのだ。化石専門の小さな博物館である。

山道をぐんぐん上り、ようやく辿り着いた駐車場では、「パレオパラドキシア」達がお出迎えである。



秩父地方と言えば「パレオパラドキシア」である!どうだろう、この、なんというか、ゆるさ!化石館への期待も高まるというものである。

除草剤をまいている方が、
「あ、見学されますか?」
と、声をかけてきた。
「はい」
と答えると、建物の方に急いでいく。受付の中に素早く入り、
「どうぞ」と、受け付けてくれる。
その後、奥や2階の電気をばち、ばち、ばち、と点けて下さった。
平日の午前中、どうやら我々が最初の観覧者であったようだ。

しかもしかも、今なら本物の化石を1個もらえちゃうのである!

と、いきなり、



パレオパラドキシアの骨格がお出迎え!!



さらには見事な三葉虫やアンモナイトの化石が出迎えてくれる!外国の標本のようだが、素晴らしい標本だ。



このアンモナイト、虹色に光っているのだが、表面が真っ白で美しい。アルバートサウルスの歯まであった。



この「カニ」なんて、生きているのかと見まがうほどの、繊細さを保っている。


1階奥にも、まだまだ化石がっ!



恐竜の卵。下の方に値札が貼ったままであるが・・・。面白いじゃないか。



巨大なアンモナイトがケースの外にごろんと置いてある!何という大胆さ。おそるべし、「おがの化石館」!


さて、2階にやっぱり化石が!主にサメの歯が多数並んでいる。すごい。



おや、カルカロドン・「メガドロン」との表記が。ちょっと笑える。これもご愛敬である。



モササウルスの全身骨格(おそらくレプリカ)がどーんと!



三葉虫の這い跡!面白い。生痕化石と呼ばれる化石だ。生きているときの動きが化石として残っているのである。こういうの、わくわくする。


全て見学し終わって1時間が経っていた。見応え十分!様々な国で発掘された化石はもちろん、地元の「ようばけ」という崖から発見された化石もあり、大変興味深かった!!




さて、博物館を出て、裏の方へと歩いていく。国指定天然記念物「ようばけ」を見学するのだ。



道すがら、美しい「蕎麦の花」が咲いている。蕎麦の畑は初めて見たのだが、こんなに美しいとは。

5分位歩くと、赤平川の河原へ出る。



地層がくっきり!博物館からも見えたけれど、近くで見ると迫力満点である。

「ようばけ」とは
下小鹿野奈倉地内を流れる右岸に白い岩肌を見せている大きな崖があり、この崖を「ようばけ」と呼んでいる。
この「はけ」とは、崖のことで陽(日)のあたる様子から名付けられたと伝えられている。高さ約100m、幅約400mにわたる地層の大路頭で、周囲の自然と調和し、見事な景観を作っている。



この崖は、当地の基盤である第三紀層が赤平川によって浸食されたもので、秩父町層群奈倉層と呼ばれる地層からなる。その地層の年代は、今から約1500万年前の新生代第三紀中新世である。当時の日本列島の大部分は海となり、奥秩父の山裾まで海が広がり、泥岩、左岸、レキ岩、凝灰岩からなる第三紀層が形成された。この地層は、埼玉県内の盆地や丘陵に分布し、クジラやサメ、カニ、貝類など様々な化石が見つかっている。「ようばけ」の地層も比較的浅い海の中で、主に泥が堆積して形成されたものである。地層の露出状態は、全国でも有数の規模を誇り、地質学上から見ても貴重なものであり、重要な見学拠点となっている。昭和52年3月には、県自然環境保全地域に指定され保全が図られている。

また、同じ地層が分布する般若地域からは、大型の哺乳類のパレオパラドキシアの化石が昭和56年に発見されたほか、大型魚類の新種として昭和58年3月に発見、平成6年11月に命名された「チチブサワラ」も同じ地層から発見されており、注目されている。(おがの化石館「ようばけ」のチラシより)


「ようばけ」側の河原へ渡ることは禁止されており、ようばけ側の河原の石や化石の採取も禁止されているのでご注意願いたい。


ちなみに、化石館の受付横にミュージアムショップ・コーナーがある。ミュージアムショップにて面白いもの発見!



右側の「化石12種セット」である!お得な化石のセット!ずっしり重い。中には恐竜の化石も入っているというから、わくわくして購入。
左側は入館するともらえる化石である。11月3日までの期間限定であるから、是非急いでご覧になって頂きたい。



12種類はこんな感じ!
「海藻の化石」なんかも入っている。それぞれの化石に説明がちゃんとついているのも嬉しい。「ウミユリの茎」はじっと見入ってしまう。



「恐竜の骨」は骨組織が残っていると説明が。思ったよりも大きい。
「四放サンゴ」が入っていたのが嬉しかった。その他、アンモナイト、三葉虫、珪化木、巻き貝、腕足類など、たっぷり入ってお買い得であった。


こうして私は化石三昧の夢のような時間を過ごしたのであるが、この後、なんと「神流町恐竜センター」にも足を運んだのである。というわけで、幸福の1日は次回へ続く。



【参考資料】
・おがの化石館のチラシ「ようばけ」

ベトナム 古生物切手 1979年

2018-09-18 | 切手


上段左からプレシオサウルス、ブロントサウルス、ステゴサウルス。ジュラ紀の古生物達である。
続いて白亜紀の古生物達。中段左からイグアノドン、ティラノサウルス、モササウルス。下段左から、トリケラトプスとプテラノドンである。



このベトナム切手、色合いがとても好きなのだ。プレシオサウルスの水の表現の仕方が特に素敵である。波を色分けして波頭を白い線で表現している。今まさに捕らえようとしている魚は白抜きになっている。



プテラノドンの翼が美しいグラデーションになっているところも、いいなあと思う。
ティラノサウルスの背景が白というのも、その存在の恐ろしさを表しているのだろうか。


さて、ベトナム社会主義共和国の通貨はなにかというと、「ドン」である。ところが、この切手、ほとんどが「xiu」、つまり「シュウ」という単位になっている。そこで、これが一体どのくらいかというのを、現在のレートで換算してみる。もっとも、これは39年前の切手だから、その頃と比べると物価は上がっているだろうけど。

1ドン=0.0048 円(2017年9月現在)。
1ドン=10ハオ=100シュウ。

「シュウ」は「ドン」の百分の一である。なお、現在は100、200、500ドンでさえ、ほとんど流通していないそうだ。

ちなみに、2014年の年賀切手は3000ドンと10500ドンであった。ということは、1979年当時と比べ、ベトナムの物価は約1万倍かそれ以上に高くなったということなのだろうか。
1975年にベトナム戦争が終結し、その4年後に発行されたのがこの切手。悲惨な戦争の記憶もまだ新しい頃だったろう。

私は、10年ほど前に親友達とベトナムを訪れたことがある。穏やかだけれど活気に溢れたホーチミン市を訪れたのだ。その時の、現地ガイドさんの言った言葉が未だに忘れられない。
「ベトナム戦争のときは、日本の皆さんに反戦運動をして頂き、どうも有り難うございました」
私とあまり年代の変わらない男性だった。もしかするとベトナム戦争を経験せずに住んだかもしれない世代だ。
私はすこし恥ずかしかった。というのも、第二次世界大戦中、日本軍がベトナムに侵攻し、食料を略奪したためたくさんのベトナム人が餓死したという話をきいたことがあったからだ。
「ありがとう」と言われる資格は本当はないのかもしれないけれど、それでもそんな風に言って下さったと言うことは、よほどベトナム戦争が悲惨だったということだろうか。

ガイドさんの言葉でもう一つ忘れられない言葉がある。
「ベトナム語で『こんにちは』は『シンチャオ』と言います。新茶の時期には是非ベトナムを思い出して下さいね」
お茶を飲む度に、楽しかったベトナムの旅を思い出していますよ。



【参考サイト・文献】
・ウィキペディア「ドン(通貨)」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%B3_(%E9%80%9A%E8%B2%A8) 
・『よみがえる恐竜たち 切手ミュージアム1』長谷川善和・白木靖美著(未来文化社、1994年7月25日)

ケツァルコアトルスの切手:ベキア島(セントヴィンセント及びグレナディーン諸島)

2018-09-12 | 切手


うっすらと桃色に染まった大空を、巨大な翼竜の群れが飛んでいる。大きく広げた翼をゆっくりと羽ばたかせている。あるいは風に乗って悠々と滑空していたかもしれない。
こころなしか下の方を向いているから、夕暮れ時、巣へと戻るところなのだろうか。
現在発見されている翼竜の中でも、最大級のサイズであったと考えられている、ケツァルコアトルスである。
キリン位の大きさがあったとされているので、その大きさの翼竜が何羽も群れて空を飛んでいたら、地上の動物たちも思わず空を見上げるほどの迫力だったのではなかろうか。


発行したのはカリブ海に浮かぶ島国、「セントヴィンセント及びグレナディーン諸島」の中の一つ、「ベキア島」である。幾つもの島からなる国であるが、その一つの島、「ベキア島」の名義で1984年から切手が発行されている。
発行年は書いていないから、古くて1984年ということになる。


ところで、この「ケツァルコアトルス」、翼竜であって恐竜ではない。空飛ぶ爬虫類である。
翼竜と言えば「プテラノドン」が有名である。翼竜は大きく分けて、プテラノドンの仲間と、ランフォリンクスの仲間に分かれる。プテラノドンの仲間はしっぽが短いかもしくはない。ランフォリンクスの仲間はしっぽが長いのである。頭が丸っこくて短いのも特徴だ。勿論これはざっくりとした見分け方である。ケツァルコアトルスはプテラノドンの仲間になる。
この、ケツァルコアトルスについて、化石の発見場所や名前の由来について詳しく書かれていたので引用したい。



アメリカにあるビッグ・ベンド国立公園。テキサス州とメキシコの国境に広がるこの公園にあるのがジャヴェリナ累層だ。この地層は白亜紀の終わり、7000万年前に堆積した。ここから見つかる化石は巨大ワニやアンキロサウルス、あるいは南半球からわたってきた竜脚類アラモサウルスなどだ。そして1975年に翼竜の上腕骨が見つかった。形は1500万年前に栄えたプテラノドンに似ている。しかしこの翼竜の上腕骨は長さが55センチもあった。最大級のプテラノドンのほぼ2倍である。最大級のプテラノドンの翼が7メートルであったことを考えると、この翼竜は14メートルあったということだろうか?

この翼竜の化石にはケツァルコアトルスという名前がつけられた。この名はメキシコにかつて栄えたアステカ帝国の神ケツァルコアトルに由来する。神ケツァルコアトルの名はケツァール(羽毛)と、コアトル(蛇)の2語をあわせたもの。すなわちこの神の名は羽毛を持つ蛇という意味である。空飛ぶ大爬虫類ケツァルコアトルスにふさわしい名前だろう。ちなみに翼竜ケツァルコアトルスの語尾がトルスになっているのは、神ケツァルコアトルの語尾トル(tl)にusがついたからである。これは名前をラテン語化した結果だ。ラテン語はローマ人が使っていた言葉だから、メキシコの神の名をローマ風にしたと思えばよい。例えば初代ローマ皇帝アウグストゥスも語尾はusである。

ケツァルコアトルスの化石は少ないが、見つかった化石や類縁種から考えると、プテラノドンとは体型がずいぶん違っていたようだ。海を飛ぶプテラノドンがアホウドリのように細長い翼を持っていたのと対照的に、ケツァルコアトルスの翼はむしろ太短い翼だった。だから翼の幅は14メートルもない、多分10メートルぐらいだと考えられている。これはちょうど人間が使うハンググライダーの大きさである。翼をたたんで地上に降り立てば、方までの高さが2メートル、首の長さ2メートル。もしも首を直立させれば高さ4メートル。現在のキリンに迫る身長だ。

もちろん体重は全然違う。キリンの体重は1~2トンあるが、ケツァルコアトルスの体重は妥当なところで200キロぐらいだったらしい。つまりキリンの5分の1から10分の1だ。ケツァルコアトルスとキリンを比較してこんなにでかいんだと強調する比較図があるが、あれは安易にふかしすぎである。(『大人の恐竜図鑑』p.222)


というわけで、キリンほどでかくはなかったかもしれないが、それでも結構な大きさだったということだ。


翼を広げて10メートルの空飛ぶ巨大生物、ケツァルコアトルス。
この切手では、その巨大な翼竜の群れを一枚の小型シートに描いている。そのスケール感というか、小さなシートに巨大翼竜を何羽も描いたところが、なんとういうか素敵なのである。ちょっとうまく言い表せないけれど、小型切手シートという限られた小さな世界に、素晴らしく広大な風景を描き込んだ、このベキア島の郵政のセンスがとっても素敵だと思ったのである。



【参考文献・サイト】
・ウィキペディア「ベキア島 」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%82%AD%E3%82%A2%E5%B3%B6 
・『大人の恐竜図鑑』北村雄一 著(ちくま新書、2018年3月10日)

インドネシアのブルーアンバー:青く蛍光する琥珀

2018-09-04 | 鉱物


インドネシア・スマトラ島産の「ブルーアンバー」である。
「新生代 古第三紀 始新世 およそ5,600万年~3,390万年(前)の地層より出土」とカードに記載されていた。
装飾品に加工された、例えばバルト海沿岸で産出するバルティックアンバーと比べると、色が大分濃い。黒いに近いように見える。


秋葉原ミネラルマルシェで、ぐるぐる会場を巡りながら迷ったあげく、思い切って買ってみた琥珀の原石である。「原石」という言い方が正しいか分からない。英語では”raw chunk”と呼ぶらしい。「未加工(生)の塊」という意味だ。



白というかクリーム色っぽいインクリュージョンが見える。
お店の方によると、この白っぽいインクリュージョンを含む物を「ロイヤル・ブルー・アンバー」と呼び、少し希少性が高いのだそうだ。
いくつかのブースで「アンバー(琥珀)」の塊が売っていたので、色々見比べてみた。色、ツヤ、インクリュージョンの有無、そして値段。私の決め手は色とツヤ。



黒に近い琥珀色、黄色っぽい部分、赤く見えるところ。光にかざしてよく見てみると、この小さな塊に、色んな色が見える。


さて、「アンバー(琥珀)」というのは、一体どういうものだろう。

琥珀 Amber 
琥珀は、主として針葉樹の松ヤニが化石になったものである。しかし、もっと古い樹木からも琥珀に似た物質が見いだされている。琥珀は、樹木や他の植物の遺骸が化石になった亜炭にともなって産出することが多い。琥珀や、部分的に石化した松ヤニには、産出地、石化の程度、含有する他の化学物質の種類によって、鉱物に似た名称が使われることがある。たとえば、ロンドン粘土から産出する松ヤニや、似た見かけのコーパル樹脂はコーパライトとよばれる。性質が少しづつ異なる琥珀の仲間に対して、12の名前が使われている。エレクトリシティ(電気)という言葉は、もともと琥珀を表したギリシャ語のelectrumが語源である。琥珀を摩擦すると静電気が起こることに因んでいる。琥珀のこの性質は紀元前600年頃にターレスによって記述されている。摩擦電気の有無は琥珀の鑑定に役立つ。数千年の間、琥珀の最大の供給源はバルチック海に沿って、グダンスクのすぐそばからデンマーク、スウェーデンの海岸にわたって広く分布する地層であった。地層の中から採掘されるほか、嵐の後で海岸に打ち寄せられた物が回収された。(『岩石と宝石の大図鑑』p.314)


アンバーは鉱物ではなく、有機物なのである。天然の樹脂だから、とても軽い。
そして、これは気のせいかどうか分からないのだが、ほんのりと匂いがするのだ。
何というか、杉とかの樹木の匂いを濃厚にしたような、多分、男性用の香水に似たような匂いが用いられていると思う。なんとも形容しがたい匂いがするのだ。


そして、この琥珀、「ブルーアンバー」という名前の通り、UVライトで照らすと真っ青に蛍光する!



ちょっとわかりにくいのだけど、写真ではなく肉眼で見ると、まるでトルコ石のように真っ青、水色に蛍光するのである。
月光が照らす夜の海辺に夜光虫が光を発しているかのように、不思議な青い光を発するのである。

この蛍光の原因を調べて見るも、「含まれる不純物が原因」としか書かれておらず、中には、「大量の貝殻と共に見つかる事もあるので、リンが作用しているのでは」と書かれた記事もあったのだが、なかなか原因成分を明確に記述している記事が他に見つからなかった。今後も情報収集を怠らないようにしようと思う。

手のひらの中にすっぽりと収まる大きさ。なんとなく手に取って触っていたくなる、そんな琥珀。そしてついついUVライトを当ててその幻想的な光を見つめ続けたくなるのである。



【引用文献】
・『岩石と宝石の大図鑑 岩石・鉱物・化石の決定版ガイドブック』 青木正博 翻訳 (誠文堂新光社 2007年4月10日)