烏鷺鳩(うろく)

切手・鉱物・文学。好きな事楽しい事についてのブログ

八月納涼歌舞伎と歌舞伎座周辺(2018年)

2018-08-30 | 日記


二年ぶりの歌舞伎座。
芝居の始まる前というのは、独特の感じがする。わくわくするような、始まって欲しいようなまだ始まらないで欲しいような。
歌舞伎は「芝居」という言葉を使いたくなる。何というか、芸術と言うより、元々は庶民の楽しみだったわけだから、気軽な感じがするのだけれど、やっぱりちょっとおしゃれして出かけたい気がしてしまう。
公演も後半に差し掛かるとブロマイドなんかが出てくるから、それもまた楽しみなのである。
お酒の弱い方の叔母に誘われて、久しぶりの歌舞伎なのである。




待ち合わせの時間までには大分あるから、ちょっと楽しみにしていた「大野屋」さんへ向かう。
「銀座 大野屋」さんは、歌舞伎座のすぐ近くの交差点を挟んで斜め向かいにある。元々は足袋屋さんだったようで、今でも足袋を売っているのだが、人気は種類豊富な「手ぬぐい」なのだ。浴衣の生地も売っていたから、仕立ててもらえるのだろう。

私はもう、15年来の「手ぬぐい」持ちで、その数、ゆうに40本はあるだろうか。季節毎に柄を変えて使い分けたり、一年を通して使える柄を選んでみたりで、増えていく一方なのである。
手ぬぐいはおばあちゃんがよく使っていた。幼い頃なにか食べた後なんか、口の周りが汚れるものだから、手ぬぐいで拭ってもらったりしたものだ。
この手ぬぐい、使い始めるともう手放せない。ハンケチよりも吸水性が良く、タオルよりも触り心地がさっぱりしている上に、かさばらない。それなのにでかい。
「いざというときには口の角で端っこを噛んで、ピーッと引き裂き、包帯代わりに誰かに差し出してあげるためにいつも携えている」と、親友の麦が言っていた。なるほど。そんな時代劇に出てくる姐さんみたいな使い方ができるのか。

大野屋さんにはほんとにたくさんの手ぬぐいが並んでいる。いつもいつも迷ってしまうのだ。中でも私のお気に入りは、歌舞伎役者の「紋」が入った手ぬぐい。ひいきの役者の手ぬぐいをそっと忍ばせ、歌舞伎座に行くのが、私の密かな楽しみである。誰がひいきかは内緒である(しかも予備まで買ってある)。
歌舞伎役者の家毎に家紋や裏家紋があるから、そういうのを調べたりするのも面白いのだ。

干支の手ぬぐいも柄が面白くて素敵だ。それぞれの干支に4~5種類の柄があるから、これまた迷う。
こちらは、昔からの粋な柄をとりそろえていらっしゃるのだ。そんなちょっとしゃれの効いた柄の中から、私が選んだのは「鳥づくし」。



こんな風に包んでくれる。この包み紙がなんか嬉しい。



一つ一つビニールで包装されている。取り出すと、ぱりっとさっぱりした匂い。糊がきいていて気持ちがいい。



どうだろう!ちょっと渋いが、なかなか面白いのだ。「鳥」のへんやつくりが使われている様々な漢字が、読み仮名が振られて並んでいる!
「へえ、こんな字を使うのか」と発見がある。ちゃんと、「鴉(からす)」(「烏」の方じゃないけど)、「鷺(さぎ)」、「鳩(はと)」が入っていた!
色数は少ないけど、粋なしゃれがきいた柄が豊富なので、私はここの手ぬぐい、大好きなのだ。


叔母と合流する。芝居は夜の部を観る予定だから、まずは腹ごしらえである。
そして、叔母が素敵なお店に連れて行ってくれた。



歌舞伎役者も出前を頼むという、ビーフシチューの「銀の塔」である!!
噂には聞いていたが、店に入るのは初めてだ。「今日はちょっと贅沢しちゃうぞ」ということで、私が頼んだのは、ミックスである。



ぐつぐつ煮たって熱そうだ。ミックスとは、ビーフとタンの両方が入っている欲張りメニューなのである。
ここでもやはり私はミックス派である。一度に二つの味を楽しめるのだ。

分厚いお肉がたくさん入っている。口に入れるとほろっとほどけて脂が溶けていく。シチューは和風な味わい、なんだか「ハイカラな味」とでも呼びたいような、なんとも言えない絶妙な味。完全に和風でもなく、洋風の雰囲気も併せ持つ。これは美味しい!!
お肉の下にはたっぷりの野菜が隠れていた。ジャガイモはほくほく。にんじんも甘くて美味しい。
「ご飯のおかわりできますよ」
との言葉に思わず、
「お願いします」。
このシチュー、ご飯にかけて食べるともう絶品なのである!そのままでも美味しいが、お肉とシチューをご飯にかけてぱくっといくと、幸せの味である。

食べ終わる頃、店員さんが歌舞伎座から出前の食器を下げてきた。2人分。
「一体誰が頼んだのかな」
と、叔母と一緒に静かに盛り上がる。




さてさて、いよいよ芝居の幕が上がる。
演目は「盟三五大切」(かみかけてさんごたいせつ)である。
襲名したばかりの幸四郎、女形の美しい七之助、野性味溢れる獅童が登場するのだ!

チラシの筋書きは以下の通り。

浪人の薩摩源五兵衛(松本幸四郎)は、芸者の小万(中村七之助)に入れ込んでいますが、小万には笹野屋三五郎(中村獅童)という夫がいます。源五兵衛は元は塩谷家の侍でしたが、御用金紛失の咎で勘当の身。源五兵衛は名誉挽回し、亡君の仇討に加わるため伯父が用立てた百両を借り受けますが、三五郎の罠により騙し取られます。自分が騙されたことを知った源五兵衛はその晩三五郎夫婦が泊まった家に忍び込みますが、三五郎と小万は何とか逃げ延び、源五兵衛はその場に居合わせた5人を手にかけるのでした。
三五郎は騙し取った百両を父の了心に渡します。実は三五郎夫婦が源五兵衛から金を巻き上げたのは、父の旧主の危急を救うためだったのです。やがて、源五兵衛が三五郎夫婦の前に再び姿を現すと・・・。
『盟三五大切』は四世鶴屋南北によって『東海道四谷怪談』の続編として書かれ、「忠臣蔵」と「五大力」の世界が「綯い交ぜ」(ないまぜ)と言う手法で結びつけられています。凄惨な殺しの場など、南北ならではの世界が展開される世話物の傑作をお楽しみください。


というわけで、大好きな「忠臣蔵」が絡んでくる話だったのだけど、なんとも凄まじい。その上、不条理な状況に陥った人々が、悲劇へと向かうのが悲しかった。
不条理の連鎖と連環、とでも言いたいような話だった。
「忠臣蔵」の華々しい仇討ち物語の中に、こんなに悲しく不条理な話が織り込まれているなんて。そういうところを描く鶴屋南北って本当にすごいなあと、感動した。


歌舞伎はなんとなく、「喜劇も悲劇も後腐れない」話が多いと勝手に思っていたのだが、今回の『盟三五大切』のような、ちょっと後を引いて考えてしまうような話もあるのだなあ、と新たな発見があったのだった。歌舞伎を観る目が何だか少し変わった様な気がする。

ガンビア 恐竜切手:幻のセイスモサウルス

2018-08-22 | 切手


昔慣れ親しんだ恐竜の名前が、実は既存の種と同じ分類だったために消えてしまうという事例はいくつかある。ブロントサウルスが有名な例だ。
竜脚類はかつて「雷竜(かみなりりゅう)」と呼ばれていた。地面を歩く音が「まるで雷が鳴り渡るように大きかったことだろう」という想像からつけられた。そのサイズ感を良く表している名称だったように思う。

そんな風に呼ばれるくらいだから、竜脚類はとにかく巨大なものが多いのだ。1990年代には、新たな竜脚類が次々と発見され、「世界最大の恐竜」の名前は何度も塗り替えられたものだ。
「セイスモサウルス」は、そんな元・世界最大の恐竜の一種である。1979年に発見された肩胛骨(長さ2.4m)と椎骨(1個が1.4m)の大きさから、その体長は大きく見積もられてなんと52mもあったのだ!超弩級である。しかしながら、「世界一」というのは塗り替えられるための称号のようなもので、その後、スーパーサウルスやアルゼンチノサウルスなんていうのが登場したりして、世界最大の王座を譲ってしまったセイスモサウルスである。




セイスモサウルス (Diplodocus hallorum) は、中生代ジュラ紀後期の巨大竜脚類の無効名。属名は「地震トカゲ」の意で、「歩くと地震が起きるほどの巨体」ということから命名された。現在はディプロドクスのシノニム。

推定全長33メートル、体重40トン前後。長大な首と、同様に長い尾を持つ。体格は比較的細身であった。四肢はその巨体に比してやや短い。腰側がやや低いため、胴体は後傾する。

1979年にニューメキシコ大学所属の古生物学者デビット・ギレット博士によって発見された。発掘された骨格は、現在この一つのみが知られている。発見当初は全長50 - 60メートルとも言われていたが、現在は前述の体格と判明している。

当初は本種が史上最大の恐竜とされていたが、1993年にさらに巨大とされるアルゼンチノサウルスが発見され、その座を譲ることとなった。しかし、それでもスーパーサウルスやマメンチサウルスと共に、ジュラ紀最大級の恐竜であることには変わりはない。

2004年に同じディプロドクス科のディプロドクス (Diplodocus) の1種であることが判明し、「ディプロドクス・ハロルム」として再分類された。(ウィキペディア)



セイスモサウルスは、「世界最大の恐竜」という称号と共に、その名前自体も幻となってしまった。このガンビアの切手は、発行年が記載されていないのだが、2004年以前の、セイスモサウルスがまだ王座に就いていた頃に発行された物ではないかと想像できる。
ただし、ディプロドクスの仲間だということが判明しただけで、その存在が消え去ったわけではないのだ。

想像を超える大きさの生物がこの地球にかつて存在していたことが、奇跡であるし、何だか憧れのようなものを感じてしまうのだ。



【参考サイト・文献】
・ウィキペディア「セイスモサウルス」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A2%E3%82%B5%E3%82%A6%E3%83%AB%E3%82%B9
・『大自然の不思議 恐竜の生態図鑑』 (学研、1994年6月28日)

沖縄切手 ジュゴン 1966年:天然記念物シリーズ

2018-08-16 | 切手


ジュゴンは古来より「人魚」と呼ばれてきた神秘的な動物である。
沖縄でもその生息と出産が確認されていたが、近年、その数は減少し続けているようだ。
愛らしい姿とのんびりおっとりした様子。私は本物を見たことがないが、映像で見ても大変愛嬌のある海獣である。

沖縄切手に描かれたジュゴンについて、面白いいきさつがある。
インテリアデザイナーで、数多くの沖縄切手をデザインされた、伊差川新(いさがわ・しん)さんの手記をご紹介したい。

まぼろしの人魚、といわれている珍獣ジュゴンのデザインの委嘱を受けたときは、全く参ってしまった。これといった資料もなく、どの図鑑をひっくり返してみても、決まって申し訳のように小さくしか載っていない。開設に至ってはマチマチで、はなはだ心細い限りであった。ジュゴンをモチーフに主張したのはわたしたちであり、うかつにもジュゴンが50年に一度しかとれない珍獣であることも知らずに引き受けて、ひっこみがつかなくなってしまった。
これではならじと、琉大の生物学のI教授やT教授に助けを求めたが、おふたりとも遠い昔の記憶が頼りで、具体的なことになると話だけではどうにも絵にならぬ。I教授が気の毒がって一生懸命になって琉大図書館の中から資料をさがしてくれた。これならまず大丈夫だろうということで、小学一年の頃那覇の公会堂でなにかの時展示されたウロ覚えの、豚みたいだったというイメージに合わせて描きあげた。審議会でも、これなら大丈夫だということで、大蔵省印刷局に送付した。
ところが、思いがけなくも、この50年に一ぺんの珍獣が宮古沖で獲らえられたのである。氷漬けにして箱につめ、那覇の泊港にある漁連倉庫に送られてきた、というニュースに、取るものもとりあえず泊港にかけつけた。さあ、現物と対面してみて驚いた。これは大変なことになったと思った。なにしろ、わたしのデザインとまるで感じが違うのである。これでは、世界中のもの笑いのタネになるだけである。第一にイメージが違うし、色も似ていない。
さっそく琉球政府郵政庁から、大蔵省印刷局に印刷中止の電話を入れてもらい、その日から描き直しをはじめた。もし、あの時ジュゴンがあがらず、最初のデザインのままの切手が発行されていたらと思うと、いまでも背筋の寒い思いがするのである。(『沖縄切手のふるさと』p.20)



また、当時の琉球大学学長、高良鉄夫氏のジュゴンに関する手記も載っている。
こちらはジュゴンの生態に関して興味深い情報が簡潔に語られている。

俗に“人魚”と呼ばれているが、切手に見るように美しい人魚のイメージとは、似ても似つかぬ顔をしている。外見は一見、クジラか、イルカの仲間のようにみえるが、実は陸に住むゾウに縁の近い珍獣である。
私は捕殺されたジュゴンを学術用として解剖した一人であるが、ヒレ状の前肢(まえあし)皮下のしなやかな5本の指は、人の手そっくりであった。メスが子供を抱き、上半身を水面上に出して授乳している様相は、人間によく似ているという。また、ジュゴンの性器の外形は人間のそれとよく似ている。沖縄では俗にアカンガイユ(赤ん坊魚)と呼んでいるが、それはジュゴンの泣き声が、人間の赤ん坊の泣き声に似ていることに由来するようである。
昔は、琉球近海で多くとれた様であるが、近年減少の一途をたどり、その生きた姿に接することは容易ではない。琉球大学風樹館には、ジュゴンのはく製と、組み立てられた骨格標本がそろって保管されているが、それは国内における唯一の珍重なものである。(『沖縄切手のふるさと』p.87


種は異なるが、昔「ステラーカイギュウ」という巨大な海獣がいた。あまりにも警戒心がうすく(というより人間を見たことがなかったから、強い好奇心のためか)、自ら人間の乗った船に近寄って捕獲されたため、その姿を消してしまったのである。

沖縄のジュゴンは、どうやら基地建設の騒音のために、その近海から姿を消しつつあるようだ。

辺野古ジュゴン「姿消した」 移設調査の着手直後
2016年8月28日 朝刊(東京新聞)

沖縄県名護市辺野古(へのこ)の沖合にすむ海獣ジュゴンが姿を消したのではないかと懸念する声が、地元で上がっている。防衛省が二〇一四年八月、米軍普天間(ふてんま)飛行場(宜野湾(ぎのわん)市)の辺野古移設に向けた海底ボーリング調査に着手した直後から、藻場の食べ跡が途絶えたためだ。有識者は工事が影響した可能性を指摘している。
 ジュゴンは国内では主に南西諸島に生息する。成長した個体は五十頭に満たないとされ、環境省が〇七年、絶滅危惧種に指定した。ただ、辺野古が面する大浦湾では目撃例が絶えなかった。
 ジュゴンが生息しているか知るための手掛かりとなるのが、海草の食べ跡だ。沖縄防衛局の一四年の調査では、大浦湾で四月から四カ月連続で見つかっていた食べ跡が、八月を境に確認できなくなった。日本自然保護協会によると今年の春も、以前は食べ跡があった藻場で、見つからなかった。
 一四年八月からのボーリング調査に先立ち、工事区域を明示するためのブイ(浮標)の重りとして、コンクリートブロックを船から投下したのが原因との見方もある。
 同協会の安部真理子主任は「物音に敏感なジュゴンが辺野古から逃げてしまったのでは。ジュゴンは豊かな海の象徴。工事関連の船舶はすべて引き揚げ、平穏な海に戻すべきだ」と強調した。


琉球大学にはまだジュゴンのはく製が保管されているのであろうか。
我々の選択によって、将来、このジュゴンのはく製が、「ニホンオオカミ」のはく製と同じ運命をたどらないようにと願わずにはいられないのである。



【参考サイト・文献】
・東京新聞 
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201608/CK2016082802000128.html
・『沖縄切手のふるさと』 月刊 青い海 編集部 編 (高倉出版会 1973年3月30日)

万珠鉱山のヌケガラ水晶:仮晶(2)

2018-08-09 | 鉱物


非常に奇妙な水晶である。
これを売っていた作業着姿のおっちゃんが、
「万珠鉱山でとってきた。重晶石の後のヌケガラ水晶だよ」
と、おっしゃっていた。

裏側を見るとこんな感じだ。



おっちゃんが、「ヌケガラ水晶」と言っていたこの奇妙な水晶は、いわゆる「仮晶」の一種である。

重晶石というのも、板状だったり、鳥のとさか状だったりと、様々な形状をあらわす鉱物なので、こんな形というのもあり得るのだろうか。そういえば、柱状の結晶もあるらしいので、こんな角張った形になることもあるのかもしれない。

その道のプロっぽいおっちゃんとその友達が言ってたのだから、きっと重晶石の後にできた水晶なんだろう。だから、「重晶石の仮晶をなす水晶」とちょっと専門家っぽく呼んであげていいものなんだろう。




表側を見てみると、結晶がびっしり寄り集まっているらしく、こんな風にもこもことした形状になっている。半透明な色合いは、「カルセドニー」かなと思わせる。でも、よくみると、先の尖ったちっさな結晶がたくさん見えるのだ。



色も色んな色が混ざり合って、まるで色んな絵の具を置いて絵を描いているときのパレットみたいだ。



断面図を見てみても面白い。
重晶石のすぐ上を覆っていた半透明の水晶の層、その上には、酸化鉄のような赤茶色の薄い層が見える。さらにその上を正体不明の岩石の層が覆って、一番上に細かい結晶の水晶が覆っている。ざっと見てみるだけでも4層構造だ。


ブルガリアの仮晶は真っ白で、ほんのり一部ピンク色に色付いていた。繊細な感じの結晶だ。
栃木県・万珠(まんじゅ)鉱山の仮晶は、見た目は無骨なのだけど、見る度にちょっとした発見があったりして、なかなか味わい深い結晶だと思う。

なにより、これを売っていたおっちゃんの笑顔が楽しそうで嬉しそうで、なんだか忘れられなくてこれを見る度にっこりしてしまうのだ。

ブルガリアの「方解石の仮晶をなす水晶」:仮晶(1)

2018-08-06 | 鉱物



細かな氷の粒がオオカミの牙を覆っているようだ。



これは、「方解石」(Calcite)の結晶の形である犬牙状の形態を形作っている、細かな「水晶」の結晶の集まりである。

つまり、まず方解石の結晶ができる。次にその結晶を覆うように水晶が形成される。そして形成された水晶を残して、中の方解石が溶けるか崩壊して無くなる。すると、外側を覆っていた水晶だけが、方解石の形をとどめて残る。こうした結晶形態を「仮晶」と呼ぶ。



だから、結晶の内側はこんな風に空洞となっているのだ。


「仮晶」にも4つのパターンがあるので、それぞれ見てみよう。

仮晶(pseudomorph) 結晶の内部構造はその外形を変化させずに変えることはできない。内部構造がその外形に適合しないときに、その物体を仮晶と呼んでいる。
たとえばオウテッ鉱の結晶が、外形を元のままにして内容がカッテッ鉱に変じているようなものである。これをオウテッ鉱の仮晶をなすカッテッ鉱(limonite after pyrite)という。
仮晶形成作用は次の如く区分される。

ⅰ)転移(inversion)
アラレ石の結晶は結晶構造を変じてホウカイ石となるが、この場合、化学組成には何等の変化はない。これを同質異像仮晶(paramorph)という。
ある場合には外形が新しい構造の複雑な双晶作用によって保持されることがある。このような転移は物理性に何等の変化もないので、新しい相も古い相も同じ名称で呼ばれている。
・・・
同じようにセキエイ(SiO2)も575℃で高温型から低温型へと転移するが、両形ともセキエイといっている(α型、β型とは区別するが)。(『鉱物概論』p.213)


アラレ石(霰石)はホウカイ石(方解石)と同じ成分でできているが、結晶の構造が異なるのだ。同じ成分でできているが、結晶構造が異なるので異なる形状を成しているというわけだ。

ⅱ)変質(alteration)
結晶の化学組成に新しい物質の添加されたとき、または元の物質のあるものが他に移されたとき(あるいは両者)元の形態をそのままに保つことがある。その例はコウセッコウ(CaSo4)がセッコウ(CaSo4・2H2O)に、ホウエン鉱(PbS)がリュウサンエン鉱(PbSo4)に、オウテッ鉱(FeS2)がカッテッ鉱(FeSo4・nH2O)にと変化したときに観察される。

ⅲ)交代(置換)(substitution)
ある場合に結晶を構成している物質が全く同時に沈殿する他の物質の溶液中に徐々に移り去られてしまうことがある。
蛍石がセキエイまたはギョクズイで交代されてできる仮晶はその恒例である。

ⅳ)被覆、渗透、充填(incrustation, infiltration, deposition)
一つの鉱物の結晶の表面に他の鉱物が沈殿して被殻を作る例がある。蛍石の結晶をセキエイが被覆するのはその例である。
またある鉱物の結晶が溶け去ってできた空隙に別の鉱物が溶液から沈積して、元の結晶空隙を充填して、元の結晶をなすことがある。(『鉱物概論』p.214)




おそらく今回の「方解石の仮晶をなす水晶」は、この4つめのパターンの「被覆」なのではないかと思われる。


また、「トルコのクリソプレーズ」の回でご紹介したこちら



も、クリソプレーズを水晶が被覆しているパターンであり、これも仮晶の一種だということがわかった。確かに、細かな水晶の煌めく結晶を見比べると、よく似た形状である。


さて、もう一つの仮晶も次回にご紹介したいと思う。


【参考文献】
・『鉱物概論 第2版』 原田準平 著 (岩波書店、1978年11月30日)
・『鉱物の博物学』 松原聰/宮脇律郞/門馬鋼一 著 (秀和システム、2016年3月1日)