よく見る表現方法で
「日本は世界からどう見られるか?」
という論点で論陣をはる方々がいる。
それについて考察してみる。
上記と同じ論理で
「○○さんが怒っているからダメ」
という説得の仕方をする人がいる。
この説得は、根拠として、他者の権威や判断にすがる。
例としては、電車内でお行儀悪くしている子供に親が「怒られるからやめなさい」という表現。
実際には、土足で席にのぼると汚す可能性があり、他者に迷惑をかけることを自分で認識し、それはいけないことだと思うことが必要である。
実際には、おやつの空き袋を捨てても、それが有機物だったとしても、土にかえるまでには時間がかかり簡単には消滅しないこと、また掃除してくれる人がいること、その他いろいろなことを自分で認識し、それがいけないことだと思うことが必要である。
つまり、なるべく客観的な事実から、それに対し、本人がどう思うか、どうふるまうかが大切だと思う。
「○○さんが怒っているからダメ」は実質的な意味をもたない説得であると言える。
翻って、国際間の関係に当てはめると、好かれる、嫌われる、偏狭どうこうよりも、その国が、共通のルール=国際法にてらして正当であるかのほうが重要である。
>> 日本はドイツなどと異なりどうしても近隣と仲良くするということが出来ない偏狭な国らしい(そういうと悪いのは相手だ、という者がいるが、それが偏狭な態度の典型例である)。 一体アジアのどの国から好かれているのか、と情けなくなる。
このブログ主さんはエントリの冒頭で「好かれる必要」があると考えており、かつ、このような日本の状態を情けないと感じているらしい。
しかしながら、人間関係でもそうであるが、好かれることと、信頼されることは必ずしも「=」ではない。国際関係は人間関係よりも時としてシビアで、信頼に足るためにも、お互いに議論ができる状態でなくてはならないと思う。
竹島の実効支配や領土についての内容は
現役高校生カリーさんの説明で十分。
他国からどう見られるか、好かれているか、ということよりも、現実には、どの程度の正当性が認められるかのほうがはるかに大切で、その議論のテーブルにお互いがつくことができることが、国際関係のまず最初の一歩である。