暴言注意報発令中。
警戒願います。
読者の不愉快な感情を誘発することがあります。

新嘉坡にて(タイガーバーム公園編)

2005-03-18 | 日本と世界
タイガーバーム公園(正式名称失念)はすこし郊外にある
地下鉄もないしめんどくさそうなので日本人向けのバスツアーに参加した

そこで白髪のおじいさん二人組に出会った
仲の良さそうな二人で「A君」と「B君」(日本名)と呼びあっていた
なのにB君のほうはガイドさんとマンダリン(北京語)で会話している

ふたりとも日本人かと思っていたらBさんのほうは台湾人だった

興味をもったのでツアーのあと彼らについていった
聞くとBさんは戦争時には日本人で武蔵工業大学でAさんといっしょに学んでいたらしい
戦後離れ離れになってしまったが
最近になって
やっと二人でアジアを旅行してまわるようになったということだった
実は武蔵工業大学はあたしの職場も近く
知り合いもそこに通ってたことを話し会話が盛り上がった

Bさんの日本語はとてもきれいで、マンダリンを駆使しながらも
友達のAさんには日本語で冗談を言ったりしていた
お話を聞きながらいっしょに夕食をご馳走になり
Bさんは帰り際、近くの屋台で翌朝用のお弁当を買ってくれた

いい人!(←現金な奴

中国名の名刺には水道局技師○○○とあった
「B君」とAさんが呼んでいた名前とは違う
しかしBさんはAさんから「B君」と呼ばれても楽しそうに会話をしている
Bさんは「台湾は美しい国だから是非来るように」と連絡先を教えてくれたが
残念ながらその後自分の離婚のごたごたで連絡先をなくしてしまった
思いでは心に残りそれがあたしを台湾に向かわせたちなみにAさんとは帰国後旅行の写真や手紙の交換をした

彼ら二人のアジア旅行の目的は「昔約束してた」以外は詳しくは話してはもらえなかった

当時で戦後50年の日々が流れていた

その間、戦後の復興も高度成長も東京オリンピックも万博もAさんは日本を支えてきた
そしてその間、日本人だったことをわすれずに友情と日本語を保ち続けたBさんという台湾人がいる

いやいやながら日本人にさせられたBさんがなぜ日本語と友情を保ったのか
日本が搾取だけしたのならなぜその地からでてきて大学で勉強できた人がいるのか
AさんもBさんも戦争の罪を断罪されるべき人なのか
当時必死に生きていた日本人すべてがも他国を侵略した悪人同士なのか
それとも戦争に反対できなかったかわいそうな人なのか
そしてふと気がつく

あたしが「謝らなきゃ」なんて考えていたのはつまり誰のため?ただの自己満足?

慰霊碑編、日本人墓地編、タイガーバーム公園編と
この一連の出会いで、あたしの中で、たしかに、なにかが、かわった

縁とは異なものそして尊いもの
AさんとBさんに心から感謝をしている
その後あたしは実際に台湾へ旅をするのだがそれはそのうち少しずつ書く予定

新嘉坡にて(日本人墓地編)

2005-03-18 | 日本と世界
じゃぱゆきさん、といえば日本に来るアジアの女性たちと言われるが
知ってる限りでは、実際には、からゆきさん、の方が元祖みたいなものらしい

日本では(他国もそうであったが)売春も合法な商売だった
明治の開国後から日露戦争、日清戦争にかけて
日本から日本人が中国(または新嘉坡)にその商売をしに行ったりした
それが、からゆき、さん

そのまま、名前も知れず、新嘉坡の土にかえった女性達が日本人墓地で眠っている
彼女らの墓石は名前もなくただ石だけ
その石だけがちょっとした丘に無数に並んでいる
有名人や名前のある人の石は少し大きくはっきりわかったりするけど
彼女達のものは石だけ

ちなみにその墓地には二葉亭四迷さんのお墓とかもある

彼女達は貧困により売られたりもしくは家計を助けるために自分から来た人

ゆっくり
ゆっくり
考えた
…考えたけど
あたしには彼女達の気持ちはわからない
あたしは彼女じゃない

だけど、そんな彼女達を貶めるようなことはするまい、と思った

たとえば、さきの戦争で、軍追従の遊郭で働いていた女性を利用して、政治の手段とかにしたり、勝手にもうこの世にいない誰かの罪を断罪して、自分がいい子ちゃんでいるような行為は、とても醜いと思った

(まだ、つづきます)

新嘉坡にて(慰霊碑編)

2005-03-18 | 日本と世界
20代前半はバックパックをした

たとえ自分が引き揚げの話を知っていても
戦争当時の日本の南洋政策には学校で習っただけの知識しかなかった

ある日、新嘉坡滞在中に、戦争の慰霊碑を見に行こうと決めた
もちろん自分のおじいさんおばあさんの世代のことを謝ろうと思ったのだ
あぁいま思い出しても恥ずかしい(恥

なぜならあたしはそこで現地の人と話してはじめて事実を知ったからだ

縁とは異なもの

そしてあたしは後にもっといろいろな人と出会うこととなる(これは後述)

慰霊碑の近くの交差点をうまくわたれずにうろうろしていたあたしを現地の人が助けてくれた
アジアには怪しい人も多いがどーみてもふつーのオッサンだったのでちょっと話した
彼もツアーではなくひとりで慰霊碑に来た若い日本人に興味をもったらしい
二人で縁石に腰掛けてすこし話す

オッサン「あれは戦争だった、日本人も新嘉坡人も亡くなった」
あたし「だから日本人として謝罪しなくてはいけないと思う」
オ「は?」
オ「何を言っているのだ?今の日本人がなんで謝る必要があるのか?」
あたし「だって日本軍が侵略したんでしょ」
オ「あれは戦争だ、It was a war 日本は侵略したのではない、植民地の独立を助けたのだ」
あ「???どうゆうこと???」
オ「日本はかわいそうに原爆まで落とされて」
あ「???」
オ「謝るのはUSだ」
あ「But, but, but 日本も悪いことをしたし…(ぼそぼそ)」
オ「君は教育をうけていないのかね?」

もしここで会ったのがOverseaChineseだったのなら反応も違ったのだろうけど
あたしはマレー系かインド系の人に会ったらしい
教育を受けていないのか、という質問は耳に痛かった
まるで自分の知識が完全に否定されたようだった

(つづきます)

勉強不足のメディア

2005-03-17 | 日本と世界
http://www.mainichi-msn.co.jp/chihou/kyoto/archive/news/2005/03/15/20050315ddlk26070448000c.html
洛書き帳:
1905年、日本は朝鮮の外交権を奪った… /京都
 1905年、日本は朝鮮の外交権を奪った。アジアの隣人との共生を拒み、支配と被支配の関係が始まった年から今年で100年になる▼戦争の泥沼化につれ、植民地下の朝鮮では、朝鮮語は禁じられ、創氏改名が行われた。彼らを「日本人」に同化させることにしか、社会の姿を見出し得なかったのだ。戦後60年。そんな社会のありようは変わったのか?▼裁判官15人の最高裁大法廷は1月、東京都による外国籍者の管理職任用拒否を、13対2で肯定した。「哀れな国ですね」。記者会見で原告の女性は記者たちに
つぶやいた
彼女の言葉は、いまだに「共に生きること」を展望できないこの社会の問題点を鋭く、撃つ。【中村一成】

毎日新聞 2005年3月15日
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あの記者会見が、つ、つぶやいた?

この記者はちゃんとTVを見たのでしょうか。わたしの日本語の定義の「つぶやく」ってのは栃木弁でぼそぼそ言うことだと思ってました(←もっと違う

正解は「聞き取れないほど低い声でぶつぶつ言う」研究社辞典よりです

それ以外にも致命的な認識の間違いがあるのですが。
禁じられていた朝鮮語での映画があります。当時の日本の教育では日本語以外も学ぶことができました。また創氏は届け出制度です。改名といってもそのままの名前も認められています。

Today's tips for English Discussion

植民地Colonyといわれたら併合Annexationといいかえしましょう
併合はあまりいい意味がないといわれるかもしれませんが
現実の国力の違いを挙げ、かつ客観的事実
Politically the region (or nation) was subject to China
その地域(または国でも相手に合わせて :-))は中国に属していたまたは支配されていた、といいかえしましょう
チャンスがあったら実際の写真などを提示できるといいかもしれません

プロセス

2005-03-16 | 日本と世界
同業他社からの入社の方と面談した

その人はうちの社の手続きの煩雑さにコメントしていた

組織はいつも最適化のプロセスを求める
プロセスは
大きな組織になればなるほど
また時間が経過すればするほど
時として円滑とは言えないものとなりうる

一方で履歴として残るその事実により過去からの分析、検証、責任範囲を容易にするという点で
やはり最適化された手続きと言うものは組織に有用なものである
そしてそのような「資料と事実」を用いた考え方を身に付けることは個人にとっても有効である

報道と言う仕事にもプロセスがあるであろう
そして朝日新聞社にも2重3重の記事の内容についてのチェック機能があるはずである
たとえホンダ記者が思い込みで結論ありきの記事を提出したとしても
それに対し許可を与えた権威があるはずであるし
日本企業である限りタクシーなりの交通費にしろなんにしろ上司の決済印が必要であるはず
たとえ中川氏や安部氏が呼びつけたにしても
自宅に呼びつけるわけがないから議員会館での面会記録も残っているはずであろうし
NHKの方々の交通費にしろなんにしろ証拠は残っているはずである

朝日新聞社は報道(新聞の記事)の正確さについて読者に説明するいい機会を得た

生 暖 か く 見 守 っ て

いるのに最近これに関する報道が静まりかえっているので残念である

心は誰にわかるのか?

2005-03-14 | 本と雑誌
神社に梅を見に行った
そこでは第六十六海防艦正島丸戦没者慰霊祭を行っていた
その神社では国ひいては家族のため尊い命をささげた人たちを祀っている
つまりその神社では365日やすむことなく「命」日である
境内では桜もほころんでいた
春は近い

「正論」の投書欄で小泉総理の発言「心ならずも」についてやりとりがあった
前号では「心ならずも」に対し実際に戦地に赴いた人から
自分達の戦地に赴くときの気持ちは「心ならずも」ではなかったという反論があった
今月はいわゆる遺児と呼ばれる人からの投書で「心ならずも」の思いもあったという
心ならずも
この言葉はそんな簡単な言葉ではあるまい
いつだってどんな状況でも葛藤は誰の心の中にも存在する
そして人はいつも、いつかは自分なりの答えをみつけなくてはいけないのだ

戦死した父を思う子供の気持ちやそれ以降の60年と言う時間を無視しているわけではない
が、人は他人の心の中を本当に理解できるものだろうか
たとえそれが肉親であれ人生のパートナーであれ

あたしは当事者ではないからわからない
だからといって他人の叫びに耳をふさいでるわけでもない
戦争は奇麗事ではないのです、と結ぶ、その遺児の方を責めているわけではない
が、たとえ自分がそんな思いを間接的に知っているとしても
直接的に知っている人には言えないと思う

と、神社の桜の木々を見ながら思った

すぐここも満開になり
人々は桜の下で笑いあうでしょう
それまでのほんのわずかな時間あたしはまた訪ねると思う

余談:
慰霊祭にあわせて、なのか、右翼団体の若い方々もいましたが
そのうちの一人はなんと境内で敷石の上に唾?痰?を吐いておりました
かれらはエセ右翼だと確信しました むかっ!

WiLL

2005-03-13 | 本と雑誌
たまにおもしろい記事もあるので創刊から買っているWiLL
今回はよく読んでるブログの殿下さまのところの関連の記事もあったし

が、やっぱり無理だ今月でやめようと思う

原因は、前「噂の真相」編集長、岡留安則氏の沖縄・アジア放浪日記という寄稿である
この人は今回、特攻の知覧をたずねこう記している

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(前段落、略)
 沖縄は沖縄で米軍の上陸によって本土防衛の楯とされて、20万人の県民と軍人が玉砕したのである。いまでこそ、米国の尻馬にのってイラクやパレスチナの自爆テロを非難する立場に立つ日本だが、かつては神風特攻隊という名の
自爆テロの元祖・本家
みたいなものだったのである。
(略、靖国参拝の批判等、略)米国との軍事的一体化を進める小泉総理が、「靖国参拝は法的にもなんら問題はない」と開き直る姿が目に浮かぶ。特攻の英霊たちよ、今こそ怒れ!といいたい気分になった。
WiLL4月号148ページ
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まず、戦争状態の戦闘員の戦闘行為と
戦争状態ではない(準かもしれないが)の非戦闘員(含、ゲリラ等)の一般人を巻き添えにした犯罪行為を
同一視することが間違っていると考える
テロは犯罪、戦争は戦争

余談ですが欧州のある国家では
軍隊は災害の復旧に手を貸すことは可能だが
テロに関しては手を貸すことができない
犯罪の処理は警察がすることになっているためである
つまり犯罪行為=テロ、と、軍隊は完全にきりはなされた存在であるのだ
(この国は昨今のテロの大規模化により軍隊がテロに対応できるように法律を改正する予定)

また、この人は、なぜ「英霊」とよびかけながら、彼らを安らかに眠らせないのだろうか。
なぜ、彼らに「怒って」もらわなくてはいけないのだろうか。

彼らは、国のために家族のためにと信じ、もしくは自分を納得させ戦場に赴き、そして倒れた英霊である。
彼らは、もう十分、わたしたちと日本国のために尽くしてくれた。
だからこそ、いま彼らに必要なものは休息と安心だと思う。
そのため祈る。
安らかに眠ってください
あなたたちが命をかけて守ろうとしたものはここに受け継ぎました。
感謝します。安心して見守っていてください。

特攻の彼らにこれ以上何も要求するべきではない。
法務死の方々を含め彼らをゆっくりと休ませるべきだ。安心させるべきだ。

なぜこの人は、特攻をテロと貶めた上に、特攻の英霊に怒れ、などと言えるのか。
こんな人の寄稿を支えるような雑誌の購読はもうやめる。
ま、あたしひとりがやめたって多勢に無勢なんだけどね

1818年の日本

2005-03-12 | 本と雑誌
大国隆正全集 第一巻(オランダ通辞からの話として)

西洋諸国の見るところでは、アジアは未だ、支那、日本の二ヶ国が西洋に従はない。しかし西洋が連合して当たれば、支那は10年で料理できるが、日本は30年かゝるであらう。
日本は小国だが三つの障害がある。
一つは、人口が多く、武くして支那人のたぐひにあらず。
一つは、海岸が多く攻めにくい。
一つは、萬古一姓の天子ありて、人心これを尊ぶ心深し。
30年で従へることが出来るであらうが、しかし、そのあと、日本国中の人間をことごとく斬りつくし、西洋から移民を送り、草木まで抜き捨て、植えかへなければ、我々西洋のものにならない。一人でも日本人を残しておけば、恢復の志を起こし、また燃え立つべし。そんな国が日本だ。

「侵略の世界史」からの孫引き
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春の梅、桜を眺めるたびに、この言葉を思い出す。
また燃え立つ、そう信じたい。

あ、そういえば、最近どっかで勝手に「国を燃やし」てた方がいましたねw

灯台下暗し

2005-03-11 | 日本と世界
失業者や年金も月額17万は最低補償額とかで保証されいるのでしょうか

失業者は失業保険払っていた人のため
年金はちゃんと支払っていた人に受給資格があります
ということは
生活保護で17万もなにもせずにもらえるよりも
失業保険や年金はよい条件でもらえるはずと信じます
失業保険は期間が決まってるし年金も受給年齢によって差がありますが生活保護は無期限ですからね
まさか失業保険や年金が生活保護より安いことはないですよね?

違うかな?

元在日ということは日本国籍を選択しなかった、つまり朝鮮籍か韓国籍ですね
選択の自由があったのに自主的に選ばないで外国人であることを選んだのですね
親戚がいるから日本に来たといってもその親戚にサポートしてもらえないのは残念ですね
親戚に見捨てられてしまったのでしたら
お子さんの就職や学校のことを考えても言葉も通じ文化も合う韓国に行かれたほうがいいのではないでしょうか

どうしても日本に居たいということで保護を受けるにしても期限を定めて自立をすべきではないでしょうか

日本の生活保護はすべての弱者をカバーできているわけではありません
現実として
駅で目に付く浮浪者の数は増えていますし失業率も改善していません年間自殺者も増加傾向にあります
広範囲のばらまきの福祉より日本の努力している人たちの為にもうすこし光をあててもらえませんか?


朝日新聞より
http://www.asahi.com/national/update/0310/OSK200503100048.html
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「脱北者支援を」 大阪の女性、実名で心境告白

 生活苦や迫害から逃れるため北朝鮮を脱出し、日本で暮らす元在日朝鮮人やその子どもたちに、「自分たちの境遇を明らかにして支援を訴えよう」という動きが出始めている。民主党は先月、「北朝鮮人権法案」を国会に提出、自民党も同様の素案をまとめるなど、脱北者をどう受け入れるかの議論も始まった。昨年8月に43年ぶりに日本の土を踏み、大阪に住む女性が、実名で初めて心境を語った。

 広島市出身の榊原洋子さん(55)。両親は日本人だが、幼少時に在日朝鮮人夫婦の養子となり、現在も朝鮮籍だ。

 61年5月、帰国事業で養父母とともに北朝鮮北東部へ渡った。77年に同じ帰国者の工場労働者と見合い結婚。日本の親類から現金や衣類などが届き、比較的豊かだったという。

 しかし93年ごろから配給が止まり、98年には夫が病死。02年には闇市の価格が暴騰し、ますます食べ物が手に入らなくなった。日本からの仕送りも途絶えた。

 「中国に行けば日本に(仕送りを催促する)電話がかけやすい」と聞いた長男(27)が、03年2月、家族に内証で脱北し韓国へ。長男が依頼した脱北ブローカーの手引きで、榊原さんは03年末、長女(24)とともに豆満江を渡り、中国経由で日本にたどりついた。

 榊原さん母子は、大阪府八尾市に支援者が用意した2部屋のアパートで暮らす。体の弱い洋子さんは、ほとんど外出しない。月約17万円の生活保護と、支援者からのカンパが頼りだ。

 洋子さんは、日本のテレビで見た討論番組に驚いた。「首相の政策に賛成の人と反対の人が、激しく言い合っている。北朝鮮では考えられない」

 支援者がくれた電話機は「使い方が分からないから」と、つながないままだ。自動販売機でジュースを買う方法も覚えられない。食事は大抵、茶わん半分ほどのご飯とキムチで済ます。

 日本到着直後、養父の親類が、2人のアパートを訪ねて来た。「もう面倒見られない。すまない」。養父母と夫の墓を残して来たことを怒っているのだろう、洋子さんはそう感じた。

 北朝鮮生まれの長女は週2回、ボランティアの日本語教師のもとに通い、編入できる高校を探している。「10歳近く年下のクラスメートとうまく付き合えるかどうか、気が重い」。北朝鮮から来たことを言うかどうか、まだ決めていない。

 2人は現在、3年ごとに更新が必要な在留特別許可を受ける。将来は日本国籍を取得し、ソウルに住む長男も呼び寄せたいというが、「いまの生活保護額では厳しい」と悩む日々だ。

    ◇

 日本に住む脱北者の人数について、支援団体は約70~80人と推測している。外務省は総領事館などに保護を求めてきた脱北者のうち、元在日朝鮮人や日本人配偶者について日本行きの便宜を図っているが、中国側に配慮し、極秘裏に行われているとみられる。大部分は「自分が日本に逃げたことが分かれば、北朝鮮に残した家族が処罰される」と、身を潜めているのが実情だ。

 「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」は、榊原さんら脱北した人たちの証言集会を、13日午後1時から大阪経済大学(大阪市東淀川区)C31教室で開く。 (03/10 15:26)
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17万の生活保護で生活が厳しいのですか…
はぁ、そうですか…

趣味と仕事

2005-03-10 | 未分類
趣味を仕事にできることは苦しいが幸せである

とくにそれが芸術だった場合
誰かに価値を認めてもらう
それが100万人に1人だろうと無上の喜びであろう

しかしながら仕事であるからには
それで生計をたてていかなくてはいけない

画家であれば絵の具からキャンバス筆に至るまで自分で買い
誰かの認めてくれるものを製作しつづける

たとえば表現方法がそのexactな瞬間に受け入れられなくても
この広い地球上ではだれかが同じ価値観を認めてくれるかもしれない
この表現方法は「自分のもの」という誇りと共に
製作しつづける

この道よりほかに生きる道なしこの道を行く

棟方志功という人間が居た
日展に落選しつづけ
それでもあきらめずに表現しつづけ
ついに神社のお守りをつけて応募したものが認められる
そしてかれの版画は日本ばかりでなく海外にもとびたっていく

こんなエピソードがある

海外からのお客さんが彼の作品をみていた
それに対し棟方が通訳にこう聞いてくれとお願いした
「彼はいくらでこの絵をかってくれるのだ?」

これは通訳が苦笑したというようなエピソードとなっているが
あたしは彼が純粋に真剣だったと思う
価値を知りたかったのだと思う

趣味を仕事にしてる人は仙人のように霞を食って生きているわけではない

作品はかれの生活から生み出されるのだ
そして生活はその作者自身でもあるのだ

なのに

その表現方法を真似て恥じない人間もいる
そいつに言わせるとInspireされたとでも言うのか?
拝金主義を卑下しながら自分は田舎暮らしでPureであるという
自然とすごす生活を前面に押し出し雑誌の取材をうける
南の島に暮らし都会で展示会を開いて限りなく棟方の絵に似たものを売る

あたしはそいつの絵より棟方志功の絵のほうが好きだ
趣味を仕事にした苦しさ楽しさ生活が背景にある個性のある絵だから