暴言注意報発令中。
警戒願います。
読者の不愉快な感情を誘発することがあります。

同胞へのビジネス

2006-04-27 | 本と雑誌
別冊正論Extra.02の中で「私が「在日」をやめた理由」浅川晃広氏の寄稿から、民団がどんなビジネスをしているか知った。ちょっと驚いた。

浅川氏が「「帰化」とその効果として」書いているものを引用する

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(前略)帰化したことで最も効果的だったのは、公的な書類の入手で、例えばパスポートを、旅券事務所で申請するだけで取得できることであった。(中略)パスポート申請の代行業務を請け負っている「民団」との付き合いがなくなったことである。以前は完全に業務を代行していて、パスポートの取得のためには「民団」に20万円近くを払った、などということが本当に行われていた(中略)例えば戸籍謄本の入手のためには一通5千円といった法外の手数料が必要であった。(後略)
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陸運局や運転免許試験場近くの代書屋だってこんなにはとらないんじゃない?
海外でパスポートの更新や、免許証のための大使館の翻訳または翻訳証明でさえ5千円くらいだったような。

韓国語を話せない在日同胞相手にすごい商売してるよ。

日本だとパスポートは普通に取れば、公的書類や証明写真、通知用葉書切手や申請印紙だけでも1万円くらい?
言語の翻訳を大使館でアレンジしてもらったときはたしか5000円くらいだったかな。
最大有効期限は10年だから20歳で申請したとして2-3回は更新すると考えると、最終的に一人当たり50万近く多く費用がかかると言うことか・・・。
うーん。

温暖化?氷河期?

2005-08-21 | 本と雑誌
子供の頃は氷河期が来るといわれていた

 1971年
 …これからの50年間に、人間による汚染の可能性は、6倍から8倍に増加すると見積もられる(中略)混濁度は、現在の4倍になろう。その場合、われわれの計算によると、全球気温は3.5度も下がることになる。数年に亘って地球表面の平均気温がこれほど大きく低下することは、氷河時代への引き金となるのに十分なものだと確信される…
 1971年7月9日号「サイエンス」スティーブン・H・シュナイダー

 1974年
 家の光協会「冷えていく地球」根本順吉(元・気象庁予報官)

 1976年頃
 1968年と比べて1974年は(北極の氷原は)異常に広がっている
 1971年から1972年にかけてのたった1年間に、北極の氷原と氷海が約12%も拡大
 講談社「気象資源」中村政雄

成長してまわりをみわたすとこんな理論が

 1989年
 ネスコ「熱くなる地球」根本順吉

 1990年
 ダイヤモンド社「地球温暖化の時代」スティーブン・H・シュナイダー

 1996年
 北極海の氷も、1978~87年の10年間に約2%減少したことが最近確かめられました
 かもがわ出版「しのびよる地球温暖化」CASA編

だからといってどちらの説も否定しているわけではない
大切なのは
イデオロギーにひっぱられないようにすること
できるだけ自分で考えること
元の情報源=ソースにあたること

ここの情報だってやらせかも知れんよ?

トヨタの前で環境問題を街頭演説する市民団体の
ア イ ド リ ン グ し っ ぱ な し の 車 :-)
と同じレベルで環境を語るのはイヤだって思うし

半ちょっぱり

2005-07-26 | 本と雑誌
「友情」 
ある
半チョッパリとの
四十五年
(西部邁著作)

”半チョッパリ(日本人)奴と言われているのに
 半朝鮮人奴といわれていると錯覚してきた少年の存在の悲しみ”
という表現で思ったこと

在日と呼ばれている人たちを本当に疎外して排他的に扱っているのは
実は本国の朝鮮韓国人なのではないか
半チョッパリというのは朝鮮韓国人から在日を見たときの蔑称
在日の彼らは母国には受け入れられていないらしい

日本人は彼らを朝鮮韓国人と呼ぶ
国名(または地域名)+人、ってことで蔑称の意思はない
それを蔑称だと感じるのは歴史的理由もあるのか
でもマニラで処刑された陸軍の人は
自分の朝鮮系日本人ということに誇りを感じていたし
朝鮮の出身(血筋)であるということを誇れと言っていた
#ソース失念ぐぐってください

半チョッパリと言われることがいやなら
覚悟を決めてどちらか母国を選べばいい
日本にしろ
韓国にしろ
朝鮮にしろ
選んだらあとはそれが母国
半○○人なんていわれてもそれがなんだというのだ
自分で自分の母国という意識の確固としたものがあればいい

半チョッパリはただの名称?

朝鮮人というのは蔑称?
日本人というのは蔑称?
スペイン人というのは蔑称?
チリ人というのも蔑称?

冷静に考えたほうがいい

在日朝鮮韓国人はほんとうに日本人に差別されているのか?

本国からの差別や本国にたいする引け目を
日本人に責任転嫁してるだけではないのか
そこに気がつかないように
目をそむけているだけではないのか

そんなことを思った

「哀歌」の書評

2005-06-19 | 本と雑誌
一見きわめて異常で特殊な事件の根底にあるのは
いつでもどこでも誰にでも内在する
日常的で普遍的なエゴイズムだ
同じ状況に陥れば
私たち自身
残酷な殺戮に加担しないと誰が断言できよう
試されなければ永遠に
自分を優しいと思い込める


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正論7月号より


少子化対策とフリーターの投書

2005-05-16 | 本と雑誌
今月号の正論に「少子化対策とフリーター」という題の投書があった。
冒頭では、少子化対策では仕事を持ち定職についている人が論争の中心となり、支援にフリーターが除外されているのは意味がないとある。
フリーターの労働環境についてのNHK特集を参考としてあげ、フリーターの状況を憂い、将来の労働人口をうんぬん論議する保守派の認識を「寒いほどに遅れている」と断じている。
たくさんの人が職にあぶれて、企業は新卒の採用に頑ななまでにこだわり、派遣労働は買い叩かれ、それが労働市場の大問題で、それが解決されないと生活の安定には程遠く、少子化の解決など説得力にかけると言う。

読んで思った。
論点がずれていっている。自分の読解力が足りない?
少子化対策よりフリーター対策のほうが大切であるとのことなのだろうか。

少子化や高齢化社会にはいろいろな根本原因が考えられ、それに対するさまざまな対策がほどこされている。
ニートやフリーターへの対策も厚生労働省から出てきている。
双方共に日本の現在の問題である。
しかしながら対策を考えたとき、将来に備えるものと、現在の状況に対応するものは別個に考えたほうが効率的ではないのか?
また対策はできることからやるのが最も近道ではないか?

国の問題はどこにでもある。
それを一つ一つ片付けることで今を生きる人は将来にバトンをつなぐ。
国を構成する国民というのものは、現在生きている人だけではなく、すでにバトンを渡し終えた旧世代や、これから生まれてきてバトンをつなぐ人も含んでいると考える。
自分はこの瞬間だけを生きているのではない。

34歳フリーターの投稿主が、どのような事情でフリーターの立場を選択したのか知らない。
人それぞれ。
会社員を選び10年以上社会で働いてきた自分とはもちろん物事の見方は違うことも理解できる。
しかし、フリーター対策が満足のいくものではないという事実から、少子化対策を説得力にかけると断言する投書には同意できない。
異なるものを比較して、どちらがどうこうと、声高に叫んでも、それこそ説得力がない。

情報の入手

2005-04-15 | 本と雑誌
昨今、フリーペーパーがいたるところで発行されている
首都圏では若い男性に特化したもの(R25等)
若い女性に特化したもの(ファピッシュ等)
オフィスに特化したもの(リビング等)
地域に特化したもの(ぱど等)
他にもホットペッパーやTokyoなんちゃらなど枚挙に暇がない
そしてそれらは確実にしかしゆっくりと生活に浸透している

広告費と協賛で発行しているこのような媒体(メディア)は
広告や宣伝以外にたまに社会的記事やニュースを掲載したりする

ネットはi-modeのみ新聞読まないTVのニュースも”ながら見”の人にとっては
フリーペーパーが(電車の中吊りのように)時事情報のななめ読みに十分である

私個人では上記のフリーペーパー(または雑誌)は通勤の供としてよく目をとおすのだが
ときどき不思議な事実誤認や印象操作を感じる

無視できない力をもちつつあるこれらのメディアが
ある思想をもった団体に影響をうけたときになにが起こるか
メディアの公平・中立はどの程度まで守られるのか
そのメディアをソースとしてデマがながれてしまう可能性もあるし
メディアが意図的だった場合にはその情報の修正装置をみつけるのは難しい

読み物が無料であると言うのは正直嬉しいことだが
情報は正しく理解していかなければいかないなと思っている
特にデマで煽動されるようなこと避けるべきである

本の価値

2005-04-02 | 本と雑誌
あたしは本の虫である
月のお小遣いは本と酒でなくなってしまう大馬鹿者である

そんな自分が欧州に住んでいた時の話

 誇らしいほど日本では世界中の本が翻訳され出版されている
 古典といわれるものから諸外国の近代文学も
 また日本語での出版も幅広い分野で
 どこの国の大きな本屋でクリスティの全100冊が文庫で無造作に棚に並んでいるというのだ?
 文庫だとランチと同じ値段で本が買えるしブック○フなら運がよければ100円だ

どうしても読みたい本や話題の本は日本に注文して読んでいたが
ある日前評判で買った本があまりにもつまらなく失望したのでアマ○ンのレビューに書いた
するとその著者の熱心なファンらしき人物から早速反論となるレビューが個人攻撃も含んで並んだ
曰く、あたしは偏狭な国粋主義者らしい
当たらずといえども遠からじw

つまり価値の問題なんだなと思った

自分はすくないお小遣いの中から文庫代500円送料(他の本も含め)1万円を払って待ってまで手に入れた本。
だからあまりにもつまらなさと自分の費やした金額とくらべてしまい失望した
もし自分が日本でこの本を買ったのならここまで失望はしなかっただろう

背景事情、立場、文化によって価値は変わる
本だけではなく

アイディンティティ

2005-04-01 | 本と雑誌
1974年ごろに出たJAPAN: The Fragile Superpowerという本がある
邦題は「人は城、人は石垣」でなんともかっこいいが、実は原本のタイトルは

Fragile

旅行好きの人はこの文字見たことあるかもしれない
そうFragileは、ワレモノ、コワレモノに対するタグに使われている
つまり「ひよわな超大国」ってことだ

国内でも国旗や国歌はあまり関心がなく
領土問題もあまり普通に会話にのぼらない
人々は日常生活に埋没しちょっとしたニュースに一喜一憂

 新年には初詣で
 初詣が古いと感じればカウントダウン
 しかしどこ行ってもやってることは結局一緒<新年のお祝い
 桜が咲けば花見
 夏は海へ
 秋は紅葉狩り
 他の宗教の教祖の誕生日だと後に勝手に決めれられた日クリスマスを祝い
 冬は温泉行ったり
 JRのCMにつられてw京都行ったりそれはあたしww


国とは!なんて叫んでる集団をみては「こわーいウヨクー」なんて思ってみたり
他国が国旗を燃やしてるのを見ては「うわー」と思ってみたり
戦闘終了後60年占領解除から52年ふわふわ生きてる

ここで考える

 日本が「ひ弱」に見えるのは
 国民や国がすこしくらい「ひ弱」でもゆるぎない
 日本というアイデンティティが
 この島国で
 この年月で培われてきたからではないか


実は、日本人としての強力なアイデンティティがいつも日本人の内部にあったから、弱くても強くいられるという2面性
そして日本の一体感の基礎となったものとして
国を支配した支配層と被支配者である市民、人民の言語は同一であった

たとえば日本人が海外で「どこの国から?」と聞かれれば、ま、「日本」と答える
たまーに日本が嫌いで「地球市民」などと頓珍漢なことを言って
本人の意図とは関係なく笑いを取るやつwも居るが
「日本」と答えて「それ何?国名?」と聞かれることはまずない
大体の人はアジアの1国だと理解してくれ
英語の発音がおかしくても許して?くれ
相撲だの三島だのオノヨーコだのTOYOTAだの禅だの「アリガトゴザイマァス」だのと言われる

翻って

最近日本に対して特に厳しい表現をしがちな周辺国はどうだろう
韓国?
最近キムチはフランス料理に組み込まれるらしいけど5000年の歴史といいながら
彼らの歴史を「これだ!」といえるものはあまり多くはなく1392年の李氏朝鮮以前はあまりはっきりしない
両班は漢字を含む文字を読み書きしたが人民にはハングルは禁じられていたし属国だったので支配者と被支配者には隔たりがあった
北朝鮮?
最近USにかまってもらって嬉しいのかもしれないけどやはり基本的なものは韓国といっしょであろう
中国?
眠れる獅子であり世界の工場を誇る、が、あまりにも大きいし民族の言語も異なる
単一のアイデンティティとなるとやはり中国国家というよりは中国圏という表現があうくらい?

扶桑社出版の日韓大討論では金氏(親日派のための弁明の著者)と西尾氏が対談している
 
 日本はアイデンティティがはっきりしているが、
 朝鮮ははっきりしていない。
 だから不安が根底にあり、それがある感情を生む。


日本のアイデンティティは確実にあるからこそ
必要以上にあおられる必要がないのだと考える

脂肪のかたまり

2005-03-29 | 本と雑誌
モーパッサンの脂肪のかたまりという作品がある
とても短い話
人間性への絶望である

時として
集団としての人間は
アドリエーヌ・ヌゲーの幻をつくりだす

ただ単に自分の正当性を保ちたいが為
比較することでしか価値をはかれない時
立ち位置がつかめないとき
何かを否定しその反対で自分を正義と置くことによって
自己を確かめる方法をとるからだ

またその意識が昂じたとき
その「自分で作り上げた正義」を強調するために
その「対極にあるもの」を誇張することもある

修道女たちのお祈りのつぶやきは早口を競うように流れる

ジェンフリ考

2005-03-24 | 本と雑誌
正論2月号の142ページに「嘘からはじまったジェンダーフリー」が載っている

ジェンダーと人権について解放出版社香ばしい名前だから出ている本には
「・・・今日では、生物的性別であるセックスが社会的性別であるジェンダーを決めるのではなく、社会的性別・ジェンダーが生物的性別・セックスを規定すると女性学では言われています・・・」
とある

つまり、男として育てれば男に、女として育てれば女に育つ、どうにでも変えることができる、という考えらしい。
しかしその根拠としている学説、アメリカの性科学者ジョン・マネーが、1967年に生まれた男児での臨床実験というと聞こえはいいがただの人体実験であり、それは破綻している。

その実験とは、事故で性器を損傷した生後8ヶ月の男の子に性転換手術を施し、女性として育てたのである。マネー氏によって、ブレンダと呼ばれた子は、女の子らしいドレスや人形を与えられ豊胸のため女性ホルモンを飲ませられたりしながら観察され、その結果としてマネー氏は著書や学会報告で、実験の成功を報告した。

しかしそれは偽りであった。実際にはブレンダは、思春期には声変わりもした。14歳に事実を知ったブレンダは男性に戻る決心をする。最終的に彼は1980年にディヴィッドとして人生を取り戻す。そして2004年5月自殺する。

詳しくは「ブレンダと呼ばれた少年 ジョンズ・ホプキンス大学病院で何が起きたのか」参照のこと

この学説に従い、かつ、それに基づいた、男女共同参画政策とは、つまりなにか?
ジェンダーフリーというのはすでに破綻している理論ではないのか

ちなみにうちの猫は去勢してある

春になると雌の猫をみつけて首にかみついて真似事をしたりする

それを見ても日本でジェンダーフリーと呼ばれている運動のおかしさを思う

肉体的に変化を与えようが与えまいが
生活習慣で影響を与えないように配慮しようがしまいが
生まれるときに脳と体にプログラムされたものは変わらない

性差はある
実際にあるものを「ないもの」として盲目的に運動しているジェンフリには断固反対する