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無理

2005-05-23 | 私事
小学校から30年来の友人を失いました
つらいです
しばらくお休みしてて書けないのが残念です

年金訴訟

2005-05-18 | 未分類
無年金訴訟、元学生が全面敗訴 (産経新聞) - goo ニュース

2005年05月18日(水)

無年金訴訟、元学生が全面敗訴

京都地裁「生存権侵害と言えぬ」

 二十歳以上の学生の国民年金加入が任意だった時期に加入しなかったため、障害基礎年金が不支給となっているのは違憲として、重度障害を負った二人が、国に決定の取り消しと一人二千万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が十八日、京都地裁であった。水上敏裁判長は「ただちに学生無年金障害者の生存権を侵害するものとはいえない」として、原告二人の訴えをすべて棄却。地裁段階で原告全面敗訴の判決が出たのは初めて。原告側は控訴する方針。

 原告は、成人後の大学在学中に交通事故で両目に障害を負ったしんきゅう師の坂井一裕さん(54)と、在学中に精神疾患で入院したものの卒業後に就職、約二年半勤務したあと再び入院した女性(42)。

 原告側は、国が学生無年金障害者に対して関係法令を整備する必要があったのに怠ったなどとして、不支給決定は法の下の平等を定める憲法一四条と、同二五条に違反すると主張。これについて、水上裁判長は「強い不公平感を持つことはもっとも」としたが、「立法府の広い裁量を脅かすほど著しく合理性を欠いていた状態とはいえず、不合理とはいえない」と判断した。
(以下略)
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払っていないからもらえないのはあたりまえちゃうの?
任意だったからには当時から払ってる人もいたわけで
求めるばかりでは助け合いではない
なんでも憲法憲法って
いいようにつかわれてるよなぁ

けんぽーけんぽー言えば許される
選挙がちかづくと駅前でもけんぽー
ちゃんと読んだのかと意味わかってるのかと小一時間(ry

少子化対策とフリーターの投書

2005-05-16 | 本と雑誌
今月号の正論に「少子化対策とフリーター」という題の投書があった。
冒頭では、少子化対策では仕事を持ち定職についている人が論争の中心となり、支援にフリーターが除外されているのは意味がないとある。
フリーターの労働環境についてのNHK特集を参考としてあげ、フリーターの状況を憂い、将来の労働人口をうんぬん論議する保守派の認識を「寒いほどに遅れている」と断じている。
たくさんの人が職にあぶれて、企業は新卒の採用に頑ななまでにこだわり、派遣労働は買い叩かれ、それが労働市場の大問題で、それが解決されないと生活の安定には程遠く、少子化の解決など説得力にかけると言う。

読んで思った。
論点がずれていっている。自分の読解力が足りない?
少子化対策よりフリーター対策のほうが大切であるとのことなのだろうか。

少子化や高齢化社会にはいろいろな根本原因が考えられ、それに対するさまざまな対策がほどこされている。
ニートやフリーターへの対策も厚生労働省から出てきている。
双方共に日本の現在の問題である。
しかしながら対策を考えたとき、将来に備えるものと、現在の状況に対応するものは別個に考えたほうが効率的ではないのか?
また対策はできることからやるのが最も近道ではないか?

国の問題はどこにでもある。
それを一つ一つ片付けることで今を生きる人は将来にバトンをつなぐ。
国を構成する国民というのものは、現在生きている人だけではなく、すでにバトンを渡し終えた旧世代や、これから生まれてきてバトンをつなぐ人も含んでいると考える。
自分はこの瞬間だけを生きているのではない。

34歳フリーターの投稿主が、どのような事情でフリーターの立場を選択したのか知らない。
人それぞれ。
会社員を選び10年以上社会で働いてきた自分とはもちろん物事の見方は違うことも理解できる。
しかし、フリーター対策が満足のいくものではないという事実から、少子化対策を説得力にかけると断言する投書には同意できない。
異なるものを比較して、どちらがどうこうと、声高に叫んでも、それこそ説得力がない。

記憶の痛み

2005-05-10 | 私事
今朝のBBCニュースでロシアの第二次大戦のSACRIFICEとドイツを敗北させたことに対する式典を放映していた。
そのニュース映像ではブッシュ大統領や小泉首相も映されていた。
ハイライトは軍事パレードであった。

軍事パレードを見て、義母や小学校時代の教師などから聞いた満州からの引き揚げの話を思い出した。
その記憶からの、引き揚げを追いかけるようにきたロシアの軍隊の話と、軍事パレードの軍隊の映像がオーバーラップして画面にだぶってしまう。
つまり、馬鹿な話だが、あの軍事パレードが、実際の軍隊として、引揚者を追い立てた軍隊と全く同一であるというイメージを持ってしまうのだ。
ロシアで軍事パレードをしている人たちや現在生きている人たちはほとんど関係がないであろうというのに!
また、ロシアは中立条約を破って宣戦布告したことや樺太や千島、北方領土を手中におさめたことに対するセレブレーションを今年中に行うのかな、恥知らずだな、などという見方を持ってしまう。

4年程前自分はロシアとノルウェイの国境(キルケネス)にいた。そこには国境ならではの歴史があり、それに関する資料館もある。もちろん、後味のわるい資料も、また、敵対しながらも、人間的つながりをもった証拠になるような素晴らしい資料も残っている。
家族レベルでどんな教育がされているのか、記憶の伝承がされているのかは知らないが、そこでも、もしかしたら憎しみや悲しみを伝えつづける人もいるかもしれない。
しかし、最も大切なのは、その事実を受け止め、歪曲せずに、隠さずに、誇張せずに、そして、それらを過去のものとして本当の将来につなげることだと思うのだ。

過去に何かを求めるのではなく。
自分は今を生きなくてはいけないのだから。

そうわかっていながら、今朝のニュースはいやな気持ちだった。
当時の祖母や祖父たちはいまの自分と同じくらいの年齢だったはず。
なんと表現すればいいのか、血のつながりの記憶の痛み。

このような痛みの素は、家族間だけでなく学校教育で植え付けることも可能であろう。
しかし一方でその痛みが偽者であったときは大変に恐ろしい。

記憶の痛みを乗り越えるのは自分の意志しかないと思う。
人に謝ってもらったり、補償をうけようがなんだろうが、いわゆるこれは自分の心の問題。
今を生きていると言うことを認識し前を向くこと。
韓国や中国だけじゃない、自分も知識や歴史にふりまわされていることもある。