本日は阪神大震災のあった日から、20年になります。
私は大阪でも真ん中あたりに住んでおり、神戸などに比べるときっとずっと揺れはましな方だったと思います。
それでも、『どんっ』と寝ている私は一瞬突き上げられ、
「なに?」と思ったときにベッドから落ちそうになるくらいの横揺れに襲われました。
「地震だ!」とはわかったものの、起きあがることもできず、
とにかく布団を頭までかぶり、身体を丸めて揺れが収まるのを待っていました。
別室で寝ていた父は、家族を心配して「大丈夫か!?」とリビングに出て、
私たちに声をかけていましたが、そのリビングからは『ガシャンガシャン』と食器が次々と割れる音が。
「大丈夫やからお父ちゃん動かんとって!」
と、それぞれ別の部屋で寝ていた家族は父に向って叫んでいました。
やがて揺れが収まり、みんなリビングに出てきて、全員の無事を確認。
「今回の揺れはさすがにびっくりしたな~。」
それくらい経験したことのなかった大きな揺れ。
食器棚は倒れなかったものの、扉が開いて食器が飛び出し、割れて床に散乱。
すぐにテレビをつけると、まだ揺れて間もないため、地震速報とか、
その時生放送していたローカル番組内で揺れた状況などを伝えていました。
大阪のどこどこでビルのガラスが割れた。
ビルにひびが入った、など。
そして、神戸の方の情報だけ入ってこないと伝えだしてまもなく。
「阪神高速道路の橋げたが落ちているとの情報が入りました」と。
家族全員、耳を疑いました。
まさか、いくらなんでも高速道路が倒れるなんて。
にわかに信じがたい情報に、いくらなんでも誤報じゃないの?と話していたら、
続々と入ってくる神戸や阪神地域の映像が・・・。
高速道路もほんとうに倒れていました・・・。
そして自分が経験した揺れよりもずっと強い大きな揺れに見舞われた阪神地域の方々の、
多くの命が失われた現実を知ることになりました。
あの時の映像は、忘れられません。
倒壊したたくさんの家屋。
押しつぶされた階があるビルやマンション。
消火する術がなく燃え続ける街・・・。
私は震災の1週間後、一度だけですがボランティアに西宮へ行きましたが、
実際に目にした倒壊家屋やがれきでふさがれた道に言葉を失いました。
指示されたボランティア先のある幼稚園へ行くのに地図を渡されたとき、
その道があるかどうかわからないので、と言われたのですが、
ほんとうに道がないところも・・・。
目印も、大きなスーパーの看板がかろうじてあっただけで、
そんなに遠くないのに、たどり着くまで結構時間がかかりました。
たどりついたボランティア先では、1週間経っていたこともあって比較的落ち着いてはいましたが、
何度もくる震度3クラスの揺れにみなさん不安な気持ちで疲れていました。
避難所になっている幼稚園の先生方も同じ被災者なのに、避難所の管理などをしなければならず、
自分の家にも帰れず疲れ切っていらっしゃいました。
私はその先生の一人が一日うちに帰れるように、代わりに泊まるボランティアだったのです。
身体を動かすボランティアももちろんですが、こういう精神的な支えも必要なんだとも気づかされました。
今日はテレビで朝からずっと特番が放送されています。
あのときの映像、そして復興と今後の震災での課題。
倒壊家屋が問題となった直下型の阪神大震災。
東日本大震災では、津波が問題になりました。
災害の形は決まっていないからこそ、身を守る術も多くのことを知っておくべきだと思います。
「揺れたらまずこたつの下にもぐりこまないといけませんね」
「パニックになって逃げ回ったらだめにゃね」
こういう機会がないと忘れがちな震災。
またあのときのことを思い出しながら、震災への備えをもう一度、見つめなおそうと思います。
そして阪神大震災や東日本大震災などの災害に見舞われた方々に祈りを捧げます。
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私は大阪でも真ん中あたりに住んでおり、神戸などに比べるときっとずっと揺れはましな方だったと思います。
それでも、『どんっ』と寝ている私は一瞬突き上げられ、
「なに?」と思ったときにベッドから落ちそうになるくらいの横揺れに襲われました。
「地震だ!」とはわかったものの、起きあがることもできず、
とにかく布団を頭までかぶり、身体を丸めて揺れが収まるのを待っていました。
別室で寝ていた父は、家族を心配して「大丈夫か!?」とリビングに出て、
私たちに声をかけていましたが、そのリビングからは『ガシャンガシャン』と食器が次々と割れる音が。
「大丈夫やからお父ちゃん動かんとって!」
と、それぞれ別の部屋で寝ていた家族は父に向って叫んでいました。
やがて揺れが収まり、みんなリビングに出てきて、全員の無事を確認。
「今回の揺れはさすがにびっくりしたな~。」
それくらい経験したことのなかった大きな揺れ。
食器棚は倒れなかったものの、扉が開いて食器が飛び出し、割れて床に散乱。
すぐにテレビをつけると、まだ揺れて間もないため、地震速報とか、
その時生放送していたローカル番組内で揺れた状況などを伝えていました。
大阪のどこどこでビルのガラスが割れた。
ビルにひびが入った、など。
そして、神戸の方の情報だけ入ってこないと伝えだしてまもなく。
「阪神高速道路の橋げたが落ちているとの情報が入りました」と。
家族全員、耳を疑いました。
まさか、いくらなんでも高速道路が倒れるなんて。
にわかに信じがたい情報に、いくらなんでも誤報じゃないの?と話していたら、
続々と入ってくる神戸や阪神地域の映像が・・・。
高速道路もほんとうに倒れていました・・・。
そして自分が経験した揺れよりもずっと強い大きな揺れに見舞われた阪神地域の方々の、
多くの命が失われた現実を知ることになりました。
あの時の映像は、忘れられません。
倒壊したたくさんの家屋。
押しつぶされた階があるビルやマンション。
消火する術がなく燃え続ける街・・・。
私は震災の1週間後、一度だけですがボランティアに西宮へ行きましたが、
実際に目にした倒壊家屋やがれきでふさがれた道に言葉を失いました。
指示されたボランティア先のある幼稚園へ行くのに地図を渡されたとき、
その道があるかどうかわからないので、と言われたのですが、
ほんとうに道がないところも・・・。
目印も、大きなスーパーの看板がかろうじてあっただけで、
そんなに遠くないのに、たどり着くまで結構時間がかかりました。
たどりついたボランティア先では、1週間経っていたこともあって比較的落ち着いてはいましたが、
何度もくる震度3クラスの揺れにみなさん不安な気持ちで疲れていました。
避難所になっている幼稚園の先生方も同じ被災者なのに、避難所の管理などをしなければならず、
自分の家にも帰れず疲れ切っていらっしゃいました。
私はその先生の一人が一日うちに帰れるように、代わりに泊まるボランティアだったのです。
身体を動かすボランティアももちろんですが、こういう精神的な支えも必要なんだとも気づかされました。
今日はテレビで朝からずっと特番が放送されています。
あのときの映像、そして復興と今後の震災での課題。
倒壊家屋が問題となった直下型の阪神大震災。
東日本大震災では、津波が問題になりました。
災害の形は決まっていないからこそ、身を守る術も多くのことを知っておくべきだと思います。
「揺れたらまずこたつの下にもぐりこまないといけませんね」
「パニックになって逃げ回ったらだめにゃね」
こういう機会がないと忘れがちな震災。
またあのときのことを思い出しながら、震災への備えをもう一度、見つめなおそうと思います。
そして阪神大震災や東日本大震災などの災害に見舞われた方々に祈りを捧げます。
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