ricoのつれづれblog

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観劇日記-12人の優しい日本人(いまさらながら・・・)

2006-04-23 | お芝居のこと
いまさらながらこのお芝居の感想。

今年1月に梅田芸術劇場にて公演された
三谷幸喜作・演出の「12人の優しい日本人」。

劇場のチケットをとれなかったので、WOWOWで生中継していたのを、
知り合いに録画してもらい、DVDに落としてもらって観た。


<ストーリー>
ある事件の裁判の陪審員になったお互い見知らぬ12人。
職業も年齢も性格もバラバラな12人は、被告である女性を裁くため、
話し合いをすることになる。
車道に突き飛ばされ、走っていたトラックにはねられ死亡したのは被告の元夫。
元夫は復縁を迫り、被告の女性に執拗にせまっていたとの事実がある。
果たしてこの事件は、もみ合いになって起こってしまった被告の正当防衛(無罪)か、
はじめから突き飛ばすつもりで起こした計画殺人(有罪)なのか・・・。
被告の女性の境遇や薄幸な美人であるという外見から、
ほとんどの陪審員たちは女性に同情し、無罪であるという見解で一致しそうになるが、
たった一人は「有罪」であると異を唱えた。
「有罪」であるためにはその理由を見つけなければならない。
「有罪」を主張する1人の陪審員は、事件の状況証拠、目撃者の証言などから
あらゆる「有罪」理由をさがしだそうと推理をする。
やがてその推理により「無罪」だというものが「有罪」ではないかと思い始め、
結論は「有罪」に傾き始める・・・。
やがて12人はそれぞれの意見を述べ、時に口論し、推理する。
果たして有罪なのか無罪なのか・・・。



だいぶ前にもらったDVDなのに観終わったのが昨日・・・。

途中まで観てたんやけど、途中で眠くなったので翌日続きを・・・
と思ってたのが、忘れてしまい、どんどん存在を忘れてしまってた。

ってなぐらいなので、割と淡々と進んでいく内容。
どうなっちゃうの?っていうハラハラドキドキ感はなし。
まさに三谷幸喜作品お得意のシチュエーションコメディ。
かといって爆笑なわけでもない。
クスクス・・・うふふ・・・ってな笑いの中で、たまにワハハってな感じ。

役者も、誰がどうっていうのも感じなかったし、
(筒井道隆は三谷作品に合っている役者やと感じたが)
とにかく淡々としてるって言うのが感想。
だから、退屈に感じた・・・ラストを観るまでは。

ストーリーの結末に三谷脚本のすごさを感じた。

こんなに淡々と進んだのに、気が付けば、そういうことやったのか!!
と思わせてしまう展開。


陪審員制度が日本にも導入されるという事実。
このストーリーは、何年か後、日本人が陪審員として突然人を裁く立場になったとき、
陪審員たるものこう臨むべきだという強いメッセージが込められている。

陪審員制度は12人全員の意見が一致しないと成立しないという、
難しく面倒な制度。
個人の意見をぶつけ合うお国柄ならこの制度も生かせようが、
困ったことに日本人は周りを見て右へならえの判断をするお国柄。

つまりは流されやすい。
だから個人的な同情で判断もするし、他人の意見に同意してしまう。
でも、人を裁くという立場ではそれは許されない。
いかに、事件を判断し、時に推理し、事件の本質を議論した上で、
罰を決めなければならないかという、日本人にとっては難しい問題を、
この淡々としたストーリーで自然に語られている。

「有罪」である理由を推理する12人。
あり得ないと思える推理もある。
でも、「もしこうだったら・・・」という推理が、
「有罪」と「無罪」の間で振り子を揺らす。
そうして事件の「事実」を議論するうちに、皆が納得する結論が導き出される。
「真実」は当人しかわからない。
けれど状況として残っている「事実」を議論することで、
証言の食い違いなどの矛盾に気づき、「真実」に近づくことが出来る。

そんな流されない陪審員に日本人はなれるのか?
ならなければならない。

他人事ではないのだと、メッセージを送りたかった三谷幸喜。
いま、この時期だからこそ多くの人に見てもらいたいとのことで、
WOWOWで生中継したのだそう。

・・・だったら地上波で中継してほしかった。
もっと多くの人に伝えられたはず。

そやけどやっぱり舞台をみたかったな。