風草

好きなこと。

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歴史書を読むこと。NMB48。

あの時自分は

2013-01-07 22:07:26 | Weblog
今更ながら振り返ると
司法書士の夢を諦め
故郷に帰ることになった要因は

まず腰痛があったこと。
これはもろバイトの影響なんですが
そこで満足に動くことも出来なくなりバイトをかなりの間休むことになりました。

そのとき今まで微かに感じていた

(俺はこのまま勉強していて本当に合格するのだろうか?)

という思い
時間が空いてしかも外出もできない状態で
延々その考えに耽るようになりました。

今までなら
気分転換したり
勉強に打ち込むことで気分は快復したんですが

この時の状況は今までにないほど
心に迫って来るものでした。

家を出て三年近く。
実家にいたときもずっと出来うる限りの勉強をしてきたが
まだゴールは見えてこない。

そんな中で勉強を続けていくモチベーション、気力と言ったものが
限界を迎えようとしていました。

生活を続けることで勉強が出来、
今その生活が腰痛で出来ない状況で
蓄えもほとんどなく
腰痛を解消または上手く付き合いつつ
腰に障らない新たなバイトを見つけ、
もう一度勉強できる体勢を整える。

そんなことはどうやっても無理そうでした。

「盤上この一手」

という言葉が将棋の世界にはあります。

前後の手がどうだろうと
この局面ではこう打つしかない
というような意味合いだったと思います。

僕のその時の状況は
正にそれだったと思います。

そして帰って
就職しました。

色々あっていまは夜勤の運送の仕事の見習いです。

夢に敗れた後、人間はどう生きればいいのか。

何を目的に、何を目指して何を喜びに日々を過ごしていけばいいのか。

そんなことをずっと考えました。

そして色んな人の考えに触れていきました。

ある人は、夢に敗れてもまた新たな夢を見つければいい。
そう言います。

でも僕が一番共感できたのは、あくまでも何を言われようと自分を曲げずに夢を追い続けた方がいい、という考えでした。

僕は夢を諦め、故郷で家族と生活をし、それで自分の夢のために使ってきた時間、労力、情熱、それを新たな自分の人生にフィードバックできると思っていました。

しかし、どうやら僕はまだ司法書士の夢を諦めたようで
ずっと後悔しているし、
夢に対して、夢を棄てた自分に対して申し訳ない気持ちが一杯であることに気がつきました。

だから、また夢を追います。

必死な努力をして夢を叶えたからと言って必ずしも幸せではないとか、
辛い現実から夢に逃げているだけだとかいう考えがあるのももちろん分かっています。

でも追いたい、叶えたい。
それが生きる源であり、この夢なしには僕の人生に意味がないのです。

夢を追い、夢に敗れ、敗れた後も夢を諦めきれずまた夢にすがろうとしている自分がいます。

もし歌手になりたい人がいて、歌手の夢を叶え大ヒットするもの売れなくなり、場末のバーで酔っ払い相手に歌う人生。

ある人はこんな人生を否定していました。

新たな夢に向かうのが正しいのだと。
僕はそうは思いません。
この人の中には希望があり、歌が好きで、人生を歌に捧げる覚悟を誰に何を言われても変えなかったと思うからです。

僕はまた自分の夢に道筋をつけます。

そのために今は遮二無二働きます。

とりあえず資金がないと何も出来ない現実を嫌と言うほど味わったからです。

色んな辛酸を舐めました。
僕はまた司法書士の夢を追います。
いつか司法書士として独立します。
それが僕の人生の偽らざる大きな目的であるからです。


一度も見返さず、今の自分の思いを文章にしてみました。

駄文長文失礼しました。
読んで下さってありがとうございます。