goo blog サービス終了のお知らせ 

日記のようなもの

不思議に思うこと、思いついたことを記録しています。

父と子の対話 ユニセフに寄付

2013-01-26 08:42:36 | 子との対話
子 学校の英語の問題文なんだけど、一人の困っている人とたくさんの困っている人がいる場合に、どちらにたくさんの寄付が集まるか実験したら、多くの人の場合より、一人の人を話題にした方が寄付が集まる結果になったって書いてあったよ。
父 うちでは、毎月千円、年で12000円ユニセフに寄付をしているんだよ。
子 どれくらいしているの。
父 もう4年くらいになるかな。
子 それって言い方悪いけど、千円やってるから他に何もしなくていいとか、免罪符を買っているんじゃない。自分の利益のために寄付しているんだよね。4万8000円違うことに使った方がよかったんじゃない。
父 そうだよ。免罪符にしたら安いよね。もし地獄に行った時のことを考えると、私はこんなに良いことをしましたということが、世の中に一つくらいはないと困るからね。
自分の利益になるからしているのかと言われると、自分の利益になるからだよ。千円で安心というか、自己満足を買っているんだよ。自分は何か良いことをしていると、ひょっとするとこの千円で、何十人かの人の命が助かっているかもしれないし、ひょっとすると一人かもしれないけど、人の命が助かっているかもしれない。と考えるから自己満足するんだよ。一人の人を助ける方がいいなら、そういうプランもあるけどね。子供の里親になるようなものもあるよ。
子 ん。。何かひっかかるんだよね。
父 何で、寄付を始めたかというと、カイジを書いている福本先生の漫画だったと思うけど、「かわいそうというなら、金を出せ。」そんなことが書いてあったんだよ。偽善だろうが、何だろうが金を出す。その行為が全て、理由だとか、意図なんかどうでもいいんだよ。寄付をしてそれで終わりと言えば、それで終わりなんだけど。金を出す。金の使い途もユニセフなんかだと、いくらも事務費や経費に消え去ってどれだけが、本当に届いているかは分からないけど、だからといって何もないんじゃ全く届かない。

これまで寄付金控除を申告していなかったが、ユニセフについては今年からは税額控除が可能になった。
うちの場合は、12000円-2000円の40%が税額から控除される。つまり4000円返ってくることになる。さらに確定申告していると、住民税も幾らか控除される。
この4千円+アルファを自分へのごほうびにしてもいいし、さらに4千円分の増額を考慮しても良い。まあ続けることが大事だから、負担感の少ないこれくらいが適当かもしれない。
あまり増やすと止めたくなる可能性が大。

命題論理と全然、そして「やばい」

2012-12-08 10:19:02 | 子との対話
父 やばい、やべーとか言う表現、かなりやばいよね。何が言いたいのか。
子 少し、上から目線が入っている冷笑的な感じがするね。本当に否定の意味で使っている人っているのかな。
父 ルパンが銭型の父っあんに捕まりそうな時、やばいだろ。ほんとは、全然やばくないんだけど。オリジナルはこの使い方だよ。
子 やばいって全然を肯定に使っている人の言い方に似ているね。
父 いや、全然を肯定の意味で使うのは全然OKだけどね。論理的には、全然良い。全然悪い。言い換えると全て良い。全て悪い。どちらも問題ないね。レトリックとしても面白いんじゃない。
子 やばい。というのは、全然形容できないようなことを形容する時に使うのよ。
父 それ、かなりやばいね。形容できないようなことを形容する形容詞だよ。では、「やばい」はどうなるの、形容詞じゃないの。
かなりやばい状況を形容する形容詞だと思っていたんだけど。やばいでも形容できない時は、超~やばい。激やばす。それよりやばい時は鬼やばい、鬼鬼やばいってなるのかな。
子 言っている意味が分からないの、それとも、ふざけて言っているの。
父 いや、論理学では、自分を含んだ言及をすると、パラドックスになる。という話があるんだ。曖昧という言葉には曖昧な定義しかないし、厳密には厳密な定義がない。
形容できないことを形容する形容詞って上手くこのタイプの自己言及の文になっているんだよ。
「曖昧という語は曖昧である。」は、真でいいだろ。
「厳密という語は厳密である。」これが駄目なんだよ。厳密は、実際は曖昧な言葉なんだよ。自己言及をするとおかしいタイプの語があるんだよ。形容できないことを形容する形容詞なんてものを認めると、神様が怒っちゃう。
「この願いを叶えないで下さい。」って神様に頼んでいるようなものだね。一体どうして欲しいいんだよ。こんな願いないあるよ~。て言いたいね。
形容はできないと言っておきながら、形容できるんだから。Aでない。かつAと言っちゃってるんだよ。
これが、矛盾なんだけど。面白くないある?。
子 やばいね。


*曖昧と厳密は野矢茂樹さんの「論理哲学論考を読む」からの引用です。

父と子の対話 完璧編

2012-08-19 08:28:47 | 子との対話
父 テレビで、アナウンサーが「ほぼ完璧」と平気に使っていたよ。こんな人は、完璧の璧を壁
  だと思ってるんじゃない。サッカーの解説だったから。
子 漢字があってるかは、分からないけど、ほぼ完璧って使ってもいいだろ。意味は分かるよ。
父 日本語の乱れどうこう言うことがあるが、アナウンサーが「ほぼ完璧」ってほぼ全くアウト
  と言いたいよ。
子 アナウンサがー言いたいのは、完璧に近いということだろ。
父 完璧に近いならいいんだけど、「ほぼ完璧」は完璧の言い切りで終わるからね。完璧の意味
  知ってると聞きたくなるよ。無限小数的に近いなら、完璧と一緒と言えなくもないけど。
  そんな程度に完璧じゃない時に、「ほぼ完璧」と使うんだよね。
子 1%~5%くらい足りない時に使うんじゃないか。もとから完全な事柄なんてないんだから
  自信はあるんだけど、完全には保証しませんよ。という意味で使っているんだろ。
父 そうだよね。でも確率で言ってしまうと、その1回にあたると完璧な失敗にあたるというこ
  ともあるよね。100回のうち1回も、失敗されると「ほぼ完璧」て安請け合いだね。「原
  子力は安全です。」と断言してた人達と一緒だよね。
  「ほぼ完璧」と言われると逆に不安にならないか。ほぼの部分のリスクがどの程度か、説明
  して、その分だけ完璧じゃないと言って欲しいよ。
子 完璧なことなんて、初めから無いと知っていれば、「ほぼ完璧」もOKだと思うよ。
  完璧なことが世の中に在るか無いか、考え方の違いじゃない。
父 そうとも言えるけど、一旦、完璧という言葉を使用するなら、論理上はその言葉の意味と整
  合する文を作って欲しいな。「ほぼ」は完全じゃないことを意味していて、「完璧」は完全
  なことを意味している。この二つを連結して文を作ると、すなわち矛盾だよね。完全な矛と
  完全な盾と両方がぶつかるとどうなるのだろうと思ってしまうよ。こんなことをしたら、
  対消滅して世界が消えてしまうんじゃないか心配だよ。
子 言葉は、意味が分かればそれでいいんだよ。
父 論理的には、そうも言えないよ。
子 完璧な論理は、そもそも無いんでしょ。
父 。。。。。

父と子の対話 スマートホンと便利な社会

2012-08-11 10:40:24 | 子との対話
父 スマートホンってそんなに便利かな。
子 携帯電話を持ってないような人には分からないよ。
父 携帯電話で十分じゃないか。携帯電話にパソコンの機能がついてなくても、パソコンがあるところで調べればいいんじゃないか。
子 パソコンもデスクトップがあるじゃないか。あれが持ち歩けるようにしたパソコンだろ。持ち歩けると便利なんだよ。
父 パソコンを持ち歩くのは、仕事のためだろ。携帯電話にそんな機能が付くようになれば、いつでも仕事をしていなければならなくなるよ。しかも、GPS機能で居所まで会社に探知されているんだよ。そんなことが、本当に便利なのかなあ。会社にとって便利なだけで、社員が自分の携帯電話で自分でお金を払って便利というようなことではないと思うんだけどなあ。
子 営業で色んなところに行かなければならない人には便利なんだよ。
父 社会全体がスマートホンがあるから便利という圧力を与えているんじゃないかな。スマートホンがあるから便利、イコール幸せというイメージを知らず知らずに押し付けられているように思うんだよ。スマートホンがあるから幸福になった人なんていないんじゃないか。スマートホンができる前の人が不幸だったわけじゃないだろ。本当の便利さとは違うと思うよ。営業の出先で仕事をするのが便利というのは、無駄のない仕事ができるということだけど、その便利になった分だけ、また違う仕事を同じ時間で要求されるだけだよ。それを、会社員に過ぎない一個人がスマートホンで便利になったと喜ぶようなことかな。
子 スマートホンの話で、幸福がどうのこうのとか言うようなことかな。
父 スマートホン自体で幸福になるかどうかだけを問題にしているんじゃないんだよ。むしろ、スマートホンの便利さは、あるんだけど、その便利さは誰にとっての便利さかを、便利と言う前に考えた方が良いと思う。自給が900円から1000円くらいで定職につけないワーキングプアの人でも携帯電話やスマートホンを持っている。収入全体から考えて通信費の占める割合が高すぎるのに。そのような人でも、収入に比べて高額な通信料の携帯電話を持ち続けなくては仕事につけない。携帯電話や特に割高なスマートホンをそんな人までありがたがるのはおかしいだろ。
子 パケ死だね。(注、パケットが払えず自滅することを言うそうだ。)
父 スマートホンがある社会が便利な社会という幻想を、社会自体が与えていると思うんだよ。むしろ、スマートホンなど無いような社会こそ、個人にとって便利な(幸福な)社会かもしれないのに。そのような考えを便利という言葉を使う時に一度考えてみるべきなんだ。映画のマトリックスでは、人々が機械に繋がれて電池にされていたのを覚えてるかい。人々は、携帯電話やスマートホンの電池にされているんだよ。人々は機械に繋がれて便利と言う夢を見せられているんじゃないか。
子 機械に繋がれた人は、夢の中、マトリックスでは幸せに生きているからいいんじゃないか。
父 電池にされた人々は役に立たなくなれば、電池にされていたことにさえ気がつかないままに捨てられるよ。これが幸せなのかな。ブランド品もそうだけど、社会が与えた幸せ、目標のブランド品を買うために必死に働く人々は、この社会、システムそのもの、そしてシステムを支配する人々の電池にされているじゃないか。人々がブランド品を手に入れてもマトリックスのように夢、幻想に過ぎないんじゃないか。
子 マトリックス2と3で、ネオを倒してマトリックスに戻ろうとした人がいるよね。マトリックスが夢でも、幸せを感じることができれば、それでいいんだよ。
父 彼は、現実世界からマトリックスに戻ろうとしたんだけど、現実世界に気がついてマトリックスを選ぶけど、気がつかないままにいることが幸せだろうか。
子 そんなことに気がつかない方が幸せだよ。

父と子の対話 お客様は神様?

2012-07-21 10:30:23 | 子との対話
子 あのコンビニの店員さんとても感じがいいだけど、もう一軒の店員さんは、おしゃべりに夢中でめちゃくちゃ印象が悪い。
父 日本では客の店員に対する要求が強すぎるんだよ。コンビニの時給程度で、店員に要求するサービスが高すぎる。
子 「お客様は神様」という言葉が広まりすぎて、みんなそんな風に思っているんだよね。この言葉の対偶(*注1)をとれば、お客様は神様じゃないのにね。
父 対偶か。文の前後をひっくり返して否定形にするのだったかな。「神様でなければお客じゃない。」となるのかな。じゃあ、店に人が来ても神様じゃないからお客じゃないのか。ふーん、この結論はおかしいから、前提条件の「神様でなければお客じゃない。」は間違いで、これを元の文に直すと「お客様は神様である。」が間違っているということか。背理法(注2)で「お客様は神様じゃない。」の証明か。
  でも、どうしてやってきた客(人)が神様じゃないと言い切れるんだい。客が神様じゃない証明がないと、証明になっていないよね。こうすると話が堂々巡りか、トートロジーみたいだね。
子 やってきた客が神様じゃないことは、当たり前じゃない。日本の神様はたくさんいるから、人も皆、神様と考えてるの。
父 そう、全ての人の中に神が宿るという考え方もあるよね。でも、日本人は無神論が多いから神がいないことを証明すれば、「お客様は神様じゃない。」が証明できるわけか。今度は、神の存在証明みたいになってきたな。
子 神様がいない証明って、悪魔の証明で無理じゃない。
父 悪魔の証明というよりも、神様がいることも、いないこともどちらも証明不可能だよ。「神様でなければお客じゃない。」言葉の意味は分かるんだけど、証明にしたら、もう少し惜しいな。
子 どこを探しても、神様は見つからないんだけどね。
父 いや、コンビニに行けば見つかるよ。
 
注1 対偶
「AならばBである。」の対偶は「BでないならAでない。」例、人間であれば哺乳類である。哺乳類でなければ人間でない。元の文が正しければ、対偶は必ず正しい文章となる。
注2 背理法
前提を仮定して結論を導き出し、結論が間違っていれば前提が誤りであることが証明できる。
相手の理屈を一度肯定してみて、それでやってみて失敗する、した場合は、元の理屈が間違っているという論法