山本芳久氏「世界は善に満ちている。」を読んで自分が考えたことです。注意、以下は紹介でもありません。私が思った内容です。本の内容とも異なります。
人生に潤いを与える物。愛する物。物から人に働きかけがあり、それを好きになる。そういう小さな愛、それで人生は豊かになる。この小さな事の積み重ねが大きな愛になる。
人生の目的や生きる目的、そういう普遍的な問いは、時々、目の前の現実が気に入らないと考えたくなる。つまらない人生と考えて、人生の目的を探し続け、目の前の物を見ない。これは何も見つからない。
普遍は、個物の中に無ければ何処にも無いのだろう。普遍が、何処か天上にあると考えると、人生の目的が天上の何処かにあると考える。普遍こそが真実と考えるのは、善そのものが何処かに存在する。至近に言うと、理想の「犬」が何処かに存在すると考えるようなものだ。「犬」そのものなど存在しない。普遍的な「人生の目的」を探すような事は、「犬」そのものを探す事に似ている。
犬が、それぞれ現にいる犬、「ポチ」や「ハチ」であるように。「ポチ」や「ハチ」が犬であるように、人生の目的は、現にある物や出来事の中か、そのものにあるのだろう。その個物の抽象された結果が犬であったり、人生の目的と呼ばれることになるのだろう。
目の前の個物や出来事に愛が無いなら、何処にも愛など存在しない。ただ、個物そのものは、人生の目的でない。ただ、それを愛することに人生の目的があるのだろうか。