日記のようなもの

不思議に思うこと、思いついたことを記録しています。

世界は最良?

2016-02-28 14:57:34 | 子との対話
父  今、ライプニッツを読んでいるんだけど、この人の意見では、今ある世界は最良、ベストの状態なんだ。戦争とか不幸なこともいっぱいあるけど、それでも、今の世界が最良なんだよ。
子  何で、その人どうかしてるね。
父  何故かというと、世界は神様が作ったんだけど、神様は最良のものしか作らないから。だから世界は最良なんだよ。神様が最良でないものを作るわけないでしょ。
子  戦争とか、虐殺とかあっても。
父  そうだね。悪いことがあるのも、より良いことをひきたてるためだよ。悪いことがあるから、良いものがより、 
    際立つだろ。
子  その人、思考停止しているね。
父   微分を作った人だから、頭はめちゃ良くて思考は明晰なんだけどね。たくさんの世界から、一番良い世界を選んで作ってくれたんだよ。神様から見ると、その人に属することは全て見渡せて、過去から現在、未来までその人に関係することは全て神様には分かっているんだよ。人間には分からけどね。
子  その人、カルヴァンと話が合うんじゃない。
父  予定調和だね。世界は、始まりから終わりまで全て神様には分かっているからね。でもこのライプニッツは 、人間には自由意志があると言っているんだ。
子  いや、決まっているからないんじゃないの。
父  アダムがリンゴを食べることを神様は知っていたけど、神様はアダムに自由意志を与えてアダムの好きなようにさせたんだ。
子  リンゴを食べることを知っているなら、自由はないんじゃないの。
父  いや、今から私が右手を上げるか、左手を上げるかは決まっていなくて、どちらかを上げるけど、どちらを上げるかは神様は知っているよね。でもどちらの手を上げるかは、私が決めるんだよ。
子  ふーん。



めも

2016-02-27 18:54:00 | 日記
  ヴァント、北ドイツ放送響のブルックナー第3番を購入した。昨年から、悩み続けてやっと今回の購入になった。
SACDなのだが何せ高い。初回完全限定という言葉に惑わされて、ついに根負けして購入した次第だ。欲しい時になくなっていたものが数点あるので、あの時買っておけばと数回思ったので、こういう言葉に負けてしまうのだ。
  まあ、よくがんばっていた方だろうか。今回、聴いてみて良い演奏だったので満足だ。コンサートには、到底行けないことを考えれば、購入して良かったと言えるだろう。
  先日のことだったが、下の子がもう高校生なのだが、私がブルックナー第9番第1楽章を聴いていると、この曲いいなあと言っていた。
  ブルックナーの曲は、ロックというか、何ものにも囚われないというか、好き勝手に曲が進んでいくようなイメージが私にはあるのだが、子はどんな印象を持ったのだろうか。
  

ぽつん共同体

2016-02-21 18:53:26 | 日記
   今日、天気が良いので久しぶりに自転車で河原のサイクリング道を走った。まだ、風が強いので近くで引き返してきたのだが、多くの人が思い思いに走っている。
  河原に出ると空が開けていく、世界が広いことが分かる。多くの建物があり、多くの人が生活をしている。その中の1人が私だ。多くの人の中に、ぽつんと居ている。河原にいるとそういう気持ちになる。
  何故、この場所にぽつんと居ているのか。世界は、私を中心に存在している。私が河原から周りを見ているからそうなるのだが。常に私は、私が居る場所にぽつんと居ているのだ。  
  誰かと一緒にいても、やはりぽつんと居ることに変わりはない。私の意識は、常に私でしかない。私だけだから、だからぽつんなのだ。
  このぽつんとした存在が、細々とたくさんの存在として、風景の中に無数に在ると考えると不思議な感じがする。
  みなで、ぽつん共同体を構成しているのだ。


世界観というもの

2016-02-13 18:54:26 | 日記
  「くいしんぼうのあおむしくん」という絵本がある。はらぺこ青虫君に似ているがそうではない。世界が青虫君のお腹の中にあるのだが、私達の星や宇宙は、青虫のお腹の中なのだ。壮大な世界観なので、自分が幼稚園のころに読んだのだと思うのだが、ずっとこの話を考えていたりする。子供の頃から、世界は何か生き物のお腹の中にある。私達は腸内細菌の一つでないかというイメージを持っている。超巨大な生物の細菌としてその体内に存在する。その超巨大な生物も、さらに腸内細菌だったりして、以下、延々とこれを繰り返す。このことは、そうだとも違うということも証明は不可能だろう。
  話は変わるが、去年から金魚を飼っているのだが、私が金魚に飼われているのではないか。家の金魚が世界の主、神様だったとして、これを私が世話をする運命と言うか、義務を負っているとしても、私にはこの是非が分からない。金魚の寿命がくれば分かるではないかと言う意見もあるかもしれないが、その時には転生されてしまう。そして、誰が新しい神としての金魚の世話をしているのか分からない。ユダヤ教のタルムードという教えに世界は30人の義人で成立しているという話があるが、世界が成立しているのは家の金魚様のおかげかもしれないという妄想を考えるのだが、このような話は、論理的には、証明もできないが反証もできないだろうと思う。
  もうひとつ違うパターンでは、死後の世界。天国や地獄、誰も見たことがないが、あると言われているし、実際にそれを本気で信じている人もいる。死後の世界のために、現在を生きているという人もいる。肯定、否定ともに証明不可能。何せ、生きている間に見ることは、論理的な不可能だから。生き返ったという人の話もあるが、妄想や幻覚との違いが分からないし、これも肯定、否定ともに証明不可能。
  うちの金魚も信心からだろうか。

  





このもの性

2016-02-06 14:10:48 | 日記
  「このもの性」、このものは一つしかない。当たり前のことだが、どのようなものもそれ一つ、これ一つしか存在しない。大量生産品であろうと今、手にしているものは一つしかない。
  物は一つしか存在しない。これはどのような物にしてもだ。一つとして同じものは存在しない。どれほど共通の規格で生産しようが、自分が手にしたものはそれ一つ。その物が壊れた時に、それは一つしかないことがよく分かる。
  一方、どんなものも、名づけ、固有名でなくても、一般名を持つ。この名を持つことにより、その物は、周辺から区別され、一つの物として認識される。例えば、マグカップがあるとしよう。マグカップがマグカップとして認識されるのは、その概念を知るからこそ、マグカップと読んでいる。これを知らない人はカップと言うだろう。
  私は、マグカップがあると思っているのだが、目の前にあるマグカップは、このもの性を持つ。ただ一つの物だ。
  マグカップというもの、一般名が指すものの具体例が存在している。現実に存在するものは目の前の物、そのものが存在するのである。マグカップというのは、その物を指す名でしかない。マグカップという名があるのだが、存在しているのは名でなく、物だ。
  世の中の多くの存在している物と考えているものは、一般名に過ぎない。固有名であっても同じことだが、名であり名が存在しているのではない。私は○○大学を卒業して、××会社の△△部長です。と言った場合、物であるもの、物は存在しない。これらは、存在していると考えて、信じているが故に存在していると考えているが、社会的な空想、ある意味、仮構の存在である。これは社会システムに限った話でなく、言語化された、言語で認識された物について言えば、その名が存在しているのではないことは同じ。名の対象が存在するというのは、何かが存在しているのであろうが、名が示す物というのは、言語で物を区切った、物の役割から見た呼称でしかない。マグカップが存在していると思うのだが、たまたまマグカップと私は呼んでいるが、違う人はコップというかもしれない。そこにあるのはただ物だろう。
  本当に、存在するものは何であろうかと考える時、その時にあるのは、このもの性を持った物、そこにはこの物性はあるが、普遍性、一般名というものは存在しない、ただの物があるのだろう。