日記のようなもの

不思議に思うこと、思いついたことを記録しています。

アイドル(偶像)

2011-12-10 11:55:26 | 日記
   ツーピーエム意味が分かるだろうか。
   妻が好きな韓国のアイドルグループの名前だ。この名前の意味が分からないと言ったところ、これを聞いた子が、私がアイドルをバカにしていると怒り出した。子が言うには、私は独善的だ。
 
   私は、何故、アイドルグループが午後の2時と考える。そして、理解できないものについて、意味が分からないと言う。
   しかし、他者でのツーピーエムの意味すなわち評価は、部外者が意味が分からずとも高いものとなっている。この点に配慮することなく、意味が分からないと言うのは私が悪い。
 
   この事件で実感したのだが、当人の意味、他者が捕らえる意味、ここに人と人の断絶、絶対的な理解の不可能性がある。この構図は、ある宗教を信じる人と信じない人の関係だ。
   アイドルという偶像が持つ意味それと、部外者、ファンでないものが、これを偶像とみるところには、双方に大きな意味の違いがある。私が言った「意味が分からない。」にはアイドルグループ名としての意味が分からない、アイドルが偶像であり意味がない、この二つの意味を重ねて、意味が分からないという表現になっていたように思う。この時、他人が崇拝する偶像について、それを偶像と指摘する行為このことについて、子が怒ったのだ。私が独善的とは、この意味で独善的なのだと今にしてみれば思う。(子と話していると、時々、どちらが大人の意見か分からなくなることがある。)
 
   アイドルに限らず、世の多くのものは偶像であり、人は偶像を信じ、それを懐に抱いて満足し、そしていつかに生を終える。偶像と偶像でないものは、その人の文化、価値観の違いに収束する。ある者にとっての偶像はあるものにとって真実であるということ、これを否定する真実も存在しない。その真実という構想そのものが偶像となる。宗教対立や紛争が、この姿だ。
   これが分かっても、人の考えはそれぞれに異なり、信じる偶像が異なっている事実は変わらない。人は、生きる限り、私の偶像を信奉し、それに向かう。
 そしてそれが人の勇気であるとも思う。
   私は、自己の信じるものが偶像である可能性を受け入れ、偶像であることを忘れて生きる。そして時折それが偶像であることに気づき、苦々しさを感じる。そして新しい偶像を探す。  
   よく生きるということ。この「よく」は偶像を知ることなのだろうか。それとも偶像に気づかないことなのだろうか。