日記のようなもの

不思議に思うこと、思いついたことを記録しています。

普遍についてのメモ

2014-07-21 17:34:55 | 日記
最近、普遍について研究中である。
結局、この普遍と言うものがあるのか、ないのかよく分からずじまいだ。
普遍の実在を認めなければ性質というものは、実在しないことになる。白とか色のようなものも実在はしないと。
目の前にある世界が実在の世界と単純に考えると、以外とそうでもない。人間の目を通して見える世界とは、実在の世界より抽象化された世界だ。人間の目には可視光線しか見えないが、昆虫には紫外線が見える。そして、人間の物体の把握は、言葉による理解によるところが多い。私には、アラビア語を見ても形状さえも把握できないのだが、この言葉に通じている人にとっては、形状が明確なのだろう。
白が実在しないとすると、目の前にある白いコップは、実は白くないということになるのだろうか。
白くないということは、経験から見てないことなのだが、この白は実在ではなく、白の概念を私が抽象して持ちえているだけなのか。
そうすると、白は、私の感覚印象のだけにあるということになる。
ものの側にある、白となる、人の目に白に見える性質はないのか。これが白ではないのかという気になるのだが、これを認めると、実在論者になるようで、個物における性質’白’は、認めるが、あるコップの’白’と、ある皿の’’白’’は似ているが実は、同じ白という性質ではない。類似している性質であっても、異なる性質である。そういう点で普遍は存在しない。というと実在論者ではないのか。
どうもあやふやであるが。
どちらも白と読んでいるが、白は類似性と考えることができるのだが、では何に類似しているのか。これが、基準の白というものは存在しないのだからやっかいだ。もし基準の白を見つけることができれば、イデアになるだろう。これこそが実在論者のもっとも強力な形であろう。
そうすると、類比的に集まった白のパターンが白という性質かと考えると、これも問題がある。白に類比する集合という考えは、白という概念が先に立たないと要素を集めることができないのではないか。
白の要素と、別に私なら黒という要素が入り混んだ時、これが白の集合と皆が合意すると、これが白になってしまうからだ。
私ひとりが、黒の要素が入っていると言っても誰も相手にしてくれない状況が生まれる。このときには、白の意味が変わったと私は感じるのだが。
あー難しい。いったい世の中にあるのは、何、どこまでがあるのだろうか。

我思う。

2014-07-13 21:41:14 | 日記
高校生の息子がデカルトの「我思う。故に我あり。」を世界史でならったと言ってきた。普段からマトリックスの話をしてたりするので、この手の話は、既に息子とも何度もしているのだが。
子 「我思う。故に我あり。」世界史で話が出たけど、クラスの半分以上が分かっていなかったよ。
父 コギトエルゴスムかな。我って言ってないという説もあるけど。
子 どういうこと。
父 考える。だから、考えがある。くらいの話じゃないかな。考えがあっても私があるって限らないよね。
子 だから、考える私がいるんだから、考える私はいるだろ。
父 考えがあっても、私がいるとは言えないだろ。私は概念だろ。私という概念と、考えがあるとは違うだろ。コンピューターが考えたとしても、私と言えるかな。私というには、考えがあるだけでは違うのじゃないかな。
だから、考えがあるから、私があるとは言えないように思うけど。
子 世界史で話すから、そこまで考えていないんだよ。もう一つよく考えるとそうなるのかな。
父 「山田は思う。故に山田は存在する。」と言えると思うかい。山田は必ずしも存在するかは、分からないよね。「考える者は存在する。」という前提がないと、論理的には言えない。考える者は存在すると
どうして言えるのかな。ここに論理が分かれているように思うんだけど。先生に訊いてみたらどうだい。
子 そんな、自分で気がついて調べたことでないことを訊いてもだめだよ。今は、日本の借金は、ずっと、借金し続けたら返さなくていいんじゃないかと訊いているところだから。