1897年から1905年かけて、南アフリカ総督兼高等弁務官として、ミルナーはオックスフォードやトインビー・ホールを中心に若者たちを集めて当時運営を手伝わせました。
彼の影響力によって若者たちは、政府や国際金融の要職に就き、1939年ころには英国の帝国主義的外交に辣腕を振るうようになりました。
南アフリカでミルナーに仕えた彼らは、1910年まで『ミルナーズ・キンダーガルテン(ミルナーの幼稚園)』と呼ばれていました。
1909年から1913年にかけて、彼らは英国の主だった属領や米国で、『円卓会議グループ』という半ば秘密結社を組織し、この秘密結社はいまだに7ケ国(英国、南アフリカ、米国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、インド)で存続しています。
彼らは私信のやりとりや、頻繁な相互訪問によって、あるいは1910年にエイブ・ベーリー卿の資金で創刊された影響力のある季刊誌『ラウンド・テーブル』とつうじて、連絡を絶やしませんでした。
1919年、おもにエイブ・ベーリー卿やアスター一族(タイムズの社主)から資金を援助された彼らは、1920年ロンドンに『王立国際問題研究所(チャタム・ハウス):RIIA:The Royal Institute of International Affairs』を設立しました。
RIIA設立の目的は、イギリスの世界支配体制を維持することと、成長著しいアメリカの支配です。
そして、1920年にRIIAが設立された翌年の1921年、ニューヨークにCFR(Council on Foreign Relations: 外交問題評議会)が設立されました。
すなわち、RIIAとCFRは姉妹組織ということができ、大西洋を挟んでヨーロッパはRIIAが、アメリカはCFRが支配しているという事です。
その背後では『円卓会議(ラインド・テーブル)グループ』が影響を及ぼしているという事です。
既に述べましたが、軍事ではヨーロッパを動かしているのは英国主導のNATであり、東アジアは英米主導の『AUKUS、Five eyes』そして世界金融はイギリス・ロンドンのシティとアメリカのニューヨークです。
CFRは超党派の組織(共和党・民主党)で、アメリカの影の政府とよかれるくらい、アメリカの外交のみならず国内政策にも大きな影響力を持ち、アメリカの政界と官界に生きる者にとって、この下院になることが出世の近道です。
現在のアメリカの外交政策の基礎を作ったブレジンスキーやキッシンジャーもCFRのメンバーで、アメリカの錚々たる大企業もCFRの法人会員として名を連ねています。
ちなみに、この組織に膨大な活動資金を提供しているのは、ロスチャイルド、ロックフェラーはじめ国際金融財閥とされています。
(関連情報)
・オックスフォード大学 ジョン・ラスキン教授
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/9045dfdcf62623e8107c86819f7d5321
・セシル・ローズ
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/5f835e3d6af937d338bada14cc7b589b
・ミルナーの幼稚園(ミルナーズ・キンダーガルテン)とRIIA(王立国際問題研究所:チャタムハウス)、そしてCFR(外交問題評議会)
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/daebfa22509e666194e5ed6445418653