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末娘には、小学校六年からずっと同級生で、隣人でもある女友達Rがいる。もう何年も前からご家族に末娘を是非イスラエルに連れて行きたいと請われ続けて、とうとう高校卒業したらということでお受けすることにしたのだ。
ご招待をお受けするや否や、格安チケットをインターネットで探し、ここからまずフィラデルフィアへ飛び、そこからフランクフルトへ向かい、そこで隣人のRと合流し、二人でテルアビブへ世界で最も安全と言われるエル・アル・イスラエル航空で飛ぶことになった。
テルアビブ空港には、Rの両親と母方の祖父母が出迎えてくれ、初めてイスラエルの地を踏んだ娘をたいへん歓迎してくださった。Rの母方の祖父は、オランダで生まれ、ホロコーストで家族を亡くしたが、オランダ人家族に引き取られて育った。その後1948年の第一次中東戦争でイスラエルが勝利し、独立したのに伴って彼は移住した。非常に温厚で、思いやりのある知識人であるが、後日、実は彼がイスラエルとアメリカでは高名な方であるとわかった。
Rの祖母もヨーロッパで生まれ、教育を得てからイスラエルに入植した。やはりホロコーストを経験している。彼女はイスラエルのガイドと言ってもおかしくない豊富な知識を娘に披露してくれたが、ただ一箇所ヤド・ヴァシェム(ホロコースト)記念館だけはどうしても足が向かないの、と言った。行くとナチスによって命を奪われた家族を思い出し、悲しくてやりきれなくなるのだ、と言う。その代わり、キリスト教徒が行きたいと思うところをみなご案内するわ、と言い、Rと娘をつれて最初にゴルゴタの丘(カルヴァリーの丘とも言う)へ向かった。
エルサレムにあるキリストが十字架刑に処されたゴルゴダ(あるいはCalvary Hill)の丘(頭蓋骨の丘)と、The Garden Tomb 園の墓=処刑後のキリストを納めた墓所:He is not here. He is risen. 彼はここにはおられない。。。よみがえられたのだ。(マタイ伝28:6より)
末娘がイスラエルで気に入ったのは、このThe Garden Tomb(園の墓)だ。ここに十字架刑に処されたキリストが納められて、そして復活した、と思うとその地に立つ自分の心がシーンとなったそうだ。後日、上の写真の娘を見て、Rの祖母がイスラエルの過酷な日差しを防ぐためにと被せてくれた帽子がかっこいい、と兄たちは揶揄していたが、そんなことには構わず、感激していたのが、娘の表情を見てとれる。
Church of the Beatitudes山上の垂訓のあったとされる場所には山上の垂訓教会がある。
ガリラヤ湖北西岸、カペナウム近くにある小高い所に立つのは、ローマンカソリック教会である。カソリックではないクリスチャンには、教会堂よりも、この地がキリストが山上の垂訓を行った場であるかもしれないのが気に入る。はっきりとした場所は不明であるが、ガリラヤ湖の北西岸のいくつかの山のひとつ、と言われている。キリストが山の上で弟子と群集に語った教えは、かの黄金律(Golden Rule)も含む。黄金律は、「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい」である。
バプテスマのヨハネによりキリストがバプテスマを受けたヨルダン川
バプテスマのヨハネはこのヨルダン川の荒野で悔い改めを説き、人々にバプテスマを施していた。キリストは、彼からバプテスマを受けた後、ガリラヤでの宣教に赴いた。旧・新約聖書に登場するヨルダン川だが、娘が立つすぐ傍にはたくさんネズミが徘徊していて、気が気ではなかったそうだ。気候もそうだが、ヨルダン川の河岸も、アリゾナ州を流れるコロラド川に似ている。
続きは明日。