ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

かの地にて その2 

2017-09-24 | 他の国

高校の四年間週日の早朝セミナリーを欠かさず出席して来た娘は、これは本当に修学旅行であった。史跡を訪ねるだけではなく、イスラエルの人々の暮らしの中に溶け込んで、人間はどの地へ行っても本質同じで、良い人は良い、と言うことをしっかり見て聞いてきた。

Rの祖父母は今は快適な引退生活をしているが、国のために国民(ユダヤ人)のために、さまざまな活動をイスラエル内外でしてきて、知る世界が広い。Rの母親の兄弟は、大使として世界各国を回り、娘が訪問した当時はイスラエルに帰国していた。その兄弟の息子たち、つまりRの従兄兄弟とも楽しく過ごせ、普通の観光では触れることの出来ない現地の暮らしを垣間見て、娘には貴重な体験となった。

 

Church of the Holy Sepulchre エルサレム旧市街、ゴルゴダの丘・園の墓にある聖墳墓教会 

一触即発の状況にある中東状態。いつパレスティナ側からのミサイルが来るか分からない状況が、現実のイスラエル人を、平和に関しては非常に積極的にさせる。男女共徴兵制度があり、街中でも重装備をした兵士の姿を目にするのが日常茶飯事の国であるが、人々の死守してもイスラエルを存続させる気概を娘はひしひしと感じ、平和はただではない、と学んだことだった。

Synagogue ruin of Capernaum カペナムのシナゴーグ遺跡・四世紀の物とされる。

また娘の信仰についても、この旅行はプラスになったと本人は言う。キリストの足跡を辿るように訪ねた場所は、感慨深かった。キリストの時代を彷彿とさせる下の写真の一世紀に作られたというボートを見て、 そしてゴルゴダの園の墓を実際に目の辺りにして、3ディメンションな新しい感覚を持ってキリストのガラリアでの伝道とこの世での生涯を考えることができた、と目を輝かせて報告してくれた。

 

1986年にガリラヤ湖北西岸で発見された1世紀と推定されるボート。キリストと使徒とに関わりがあるかもしれないとされる。

この旅でRとRの家族・祖父母には、貴重な経験をさせていただいた。もともと言語が好きな娘は、祖父母の家に滞在中にヘブライ語も少し習い、最後の日に、Rの妹がヘブライ語で「わたしのxxはどこかしら?」と言った際、娘が「それなら、居間のカウチの横にあったわよ」とやはりヘブライ語でつい答えたそうだ。みな驚いたが、街で話しかけてくる若者がなにを言っているのかもほぼ理解していたらしい。六年生の時からの親友は、うちの一件先のお隣だから、お互いの家族を行き来している間に、娘は少しづつ覚えてしまったようだ。

娘は、史跡や聖跡を楽しみ、また死海での海水浴も楽しんできた。顔面は絶対に海水に漬けてはいけない、と教えられ、仰向けに死海に浸った(浮かんだ)そうである。エルサレム旧市街マーケットを歩き回ったのもよい思い出となった。レバノンとの国境近くへ行った時には、とても緊張した。これもあれも、大学一年だった娘には貴重な人生の一こまだった。


  

エルサレム旧市街のマーケットで              レバノン国境のこちら側で

 


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