ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

世界は素晴らしいところ

2018-07-03 | アメリカ事情

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カリフォルニア州のスタンフォード大学で1892年に起こった真実の話:


18歳の学生が学資に困窮していた。彼は幼い時に両親を亡くした孤児で、金銭的に頼れる親戚縁者など一人もいなかったが、ふとある賢明なアイデアを思いついた。彼と友人は教育資金を得るために、大学構内で音楽コンサートを開催することに決めた。


彼らは偉大なピアニストのイグナシー・J・パデレフスキ(Ignacy J. Paderewski)に連絡を取ってみた。すると彼のマネージャーは、ピアノリサイタルで2000ドルのギャラを要求した。契約がなされ、少年たちはコンサートを成功させるために働き始めた。


その大きな日がやってきた。しかし、残念ながら、彼らはチケットを完売できなかった。 合計は1600ドルだった。 失望して、彼らはパデレフスキの許に行き、その窮状を説明した。そして$1600の現金全額と、残高$400の小切手を渡し、その$400がなるべく早く引き落とさせるように必ずします、と約束した。


「いいえ」とパデレフスキーは言った。 「これはお受けできませんよ。」と言った。彼はその小切手を破き、1600ドルを返し、二人の少年たちに話した。「ここには1600ドルがあります。これまでに発生した経費をすべて差し引いてから、あなた方の教育費のために残高をお使いなさい。そして、それでも残っているならば、どんな額でも私に下さい。」 少年たちはとても驚いて彼に深く感謝した。


それは小さな親切行為だったが、このことはパデレフスキがどれだけ偉大な人間であるかの刻印を押したようなものだった。


なぜ彼が二人の少年を助けたかはわからない。私たちは誰もが、人生で、この二人の少年たちのような状況に出くわす。真に偉大な人々は、「もし私が彼らを助けなければ、彼らは一体どうなってしまうだろうか」と思うのである。彼らは何の見返りをも期待していない。彼らは窮地にいる者を助けることが正しいことだと感じているからである。


パデレフスキはその後、ポーランドの首相に就任した。彼は偉大な指導者だったが、残念なことに第一次世界大戦が始まって、ポーランドはたいへんに荒廃してしまった。ポーランドには150万人以上の人々が飢えていて、その人々を救うに足る食糧調達費用はなかった。


その頃ウッドロー・ウィルソン大統領の下で働いていた、後に彼自身も大統領になるハーバート・フーバーは、ポーランドやその他のヨーロッパ諸国を視察し、人々の、特に子供達の飢餓状態を目にして非常に心を痛めた。そこで彼は即時にアメリカが大量の支援食糧を調達する必要があることをウィルソン大統領に伝え、飢餓状態のポーランドを救ったのだった。


こうした国民の飢餓状態が緩和され、パデレフスキ首相は安堵した。彼は救済に関して口火を切ったフーバーに会い、個人的に感謝するために大西洋を横断することを決めた。パデレフスキーがフーバーに感謝の念を伝え始めた時、フーバーはすばやく打ち明けて言った。「あなたは私に感謝なさることはありません。あなたはお忘れかもしれませんが、数年前、あなたは二人の若い苦学生が大学教育を全うするのを手伝ってくださいました。私はその一人でした。」


https://propelsteps.wordpress.com


世界は素晴らしいところである。良いことをすれば、その報いは必ず自身に戻ってくる。




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