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例えば、「春の寓話」と名付けられた、この200年前の金、エナメル、真珠のミュージカル時計は、ササビーズの予想価格の5倍の25万4千500ドルで、魅了された入札者に渡った。
人生の終点に間近くなった父親は息子に言った。 「これはお前の祖父が私にくれた時計だ。ほぼ200年前のものだよ。お前にあげるがその前に、街の宝石店に行きなさい。私がそれを売りたいと彼らに言い、彼らがどれだけの値で買い取るかを見て来なさい。」
息子は宝石店に行き、父親のところに戻って言った。 「とても古いので、彼らは150ドルで買い取ると言いました。」
父親は言った。 「質屋に行ってみなさい。」
息子は質屋に行き、父親のところに戻って言った。 「質屋は、これがとてもすり減っているようなので、10ドル支払うと言いました。」
父親は息子に博物館に行って時計を見せるように頼んだ。
彼は博物館に行き、戻ってきて、父親に言った。 「博物館長は、この非常に珍しい作品を貴重なアンティーク・コレクションに含めるために50万ドルを提供したいと言いました。」
父親は言った。 「私は、適切な場所(人々)がお前を適切な方法で評価することをお前に知って欲しかったのだ。自分が間違った場所にいることに気づかず、自分が十分に評価されていないと思っても怒ってはならないよ。お前の価値を知っているのはお前に感謝している人々だよ。そういう場所を作るよう努力し、誰も自分の価値を見ないような場所にはとどまらないことだ。」
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極めて貴重とタグが付けられるあなたでありますように。
自分自身が自分の価値を知り、そして自分の価値を解ってもらえる人を見つけることが大事ですね。
みんなが、どこか、何か、
自分の価値を評価される場所を得られることを願います。
ブクマして、また読み返したい記事です。
憂国な年になりそうですね。そんな世相でも希望を失わず、何が正しく、何が間違っているか、一人一人がよく目を見開いて行かねばなりませんね。マミーさまも今年はもう一つお祝い事がおありですから、お体をお大事に。
びこさま、
びこさまの来し方を拝読するたびに、お辛かったでいらしでしょうと思います。それでもここまでいらしたのは、聡明さとやはりご実家でのお育ちのおかげなのでしょう。本一冊書けるくらいのドラマチックな部分もあって、もし書かれたら、私は、即購入します。
まかろんさま、
時として、本当の自分を見失うことがあり、そんな時、自分の価値は、二束三文ではないことを思い出せるといいですよね。誇大評価ではなく、心にしっくりとくる価値を見出したいものです。
キリストのいのちを引き換えに救われるという、自分自身に付けられた
価値に驚き、恐れを覚えたことです。
およそ相応しくない価値をつけられたことを知って戸惑う中で
良いと思う限りを、ひとり駆け回って差し出し、付けられた価値に
相応しくあろうとした時期がありました。
しかし、ある時それらを手厳しく拒絶された絶望の中で、ただ、
恵みを受けるだけの者であることを学んだことを思い出しました。
自分自身に付けられた神からの価値に、今は安息しています。
このことはすべて、救いも平安も奇跡だと思っています。
とても深いお話に感銘を受けました。
私は不登校や引きこもりの子のサポートをしています。
「あなたは価値がある!あなたには才能がある」とわたしは子ども達によく伝えます。
しかし、なかなか素直に受け取って貰えず、お世辞だと言われます。この物語のお話をさせて頂いてから、子ども達が「なるほど」と、納得してくれる様になりました。勝手にこのお話を伝えてしまってすみません。これからも、このお話を伝えていっても良いでしょうか?
このお話は沢山の子ども達を救えると私は信じています。
宜しくお願いします。
誇りに思っている世の中の肩書きが,自分の本来の姿に暗い影を落とすことがありますが、自分がどんな存在かをほんとうの意味で考えて,神の子だということを思い出すと,すべてが変わります。ほんとうの意味で人生に目的を与えてくれる肩書きは,神の子という肩書きです。自分が将来どうなるかがすべてが分かるわけではありませんし,自分がこの世で得られる肩書き,得られない肩書きが何かも分かりません。でも,「わたしは神の子です」と言えること,そしてそれが何よりも大切だと分かっていることに,安らぎを感じます。それに,その肩書きと神の愛は手に入れるものではありません。無条件で与えられているのです。主の御心に従って人生を生きようと努めるならば,そして自分が本当はどんな存在なのかを常に忘れないでいるならば,主が祝福してくださるのです。それが究極の人の価値だと思います。