ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

アーマの切実なアドバイス

2024-05-11 | 私の好きなこと
Erma Bonbeck
writersdigest.com



備考:この記事は、2019年4月5日に初投稿したものだが、5年経った今再び投稿することにした。我が身に癌を得て、未だキャンサーフリーというスタンプが押されていないこともあり、彼女のこのエッセイは切実さを私に抱かせる。5年前の投稿文に、多少書き直しあり。


Erma Bombeckアーマ・ボンベックというアメリカのユーモア作家をご存知だろうか。彼女は1960年代半ばから1990年代後半にかけて、ごく一般的な郊外の家庭生活を描くことで定評があり、それは新聞コラムで大きな人気を博した。15冊の著書があり、ほとんど全書がベストセラーともなった。ボンベックは中西部郊外の主婦の日常生活を記録していたが、そこには、ユーモアがあり、4000を超える新聞のコラムニストとして活躍したものだ。アメリカだけに限らず、カナダの900の新聞にも掲載され、人気があった。

アーマ・ボンベックは1927年オハイオ州ベルブルックに生まれ、1996年4月22日持病の腎臓病が悪化し、移植手術を受けたが、カリフォルニア州サンフランシスコにてその69歳の生涯を閉じた。下記は、彼女が不治の癌と診断をされた直後にペンを執ったものである。


もし人生をもう一度生きるならば

アーマ・ボンベック、不治の癌を診断されて。


私はもっと少なく話し、もっと耳を傾けていただろう。カーペットにシミがついて汚れていても、ソファが色褪せていても、友人を夕食にもっと招待しただろう。

私は 見栄えのするリビングルームでポップコーンを食べていただろうし、誰かが暖炉で火を焚きたいと思ったならば、煤などの汚れについて、今までよりもはるかに少なく心配していただろう。

祖父がぼそぼそと話す幼い頃の話を私はもっと時間を割いてじっくり聞いていただろう。

逆毛を立てて、しっかりスプレーされた私の髪を、風で乱したくないと、夏の日に車窓を閉めて、と主張することはなかっただろう。

ピンクのバラのように彫られている蝋燭を、特別な機会に、と取っておいて保存していた場所で、結局溶ける前に、それを灯しただろう。

衣服に草の染みがつくことを心配せずに、私は我が子たちと芝生の上に座っていただろう。

私は、テレビを見てはもっと泣いたり笑ったりするよりも、人生を見てはもっと泣き、笑っただろう。

私がその日その場所にいなかったら地球がストップするだろうというふりをせずに、病気ならば床についただろう。

それが実用的で、一生汚れもせず持続する、という理由だけで私は物を買ったりすることはなかっただろう。

妊娠に9ヶ月を長いと感ずるよりも、私の中に芽生えている驚嘆と不思議が、神の奇跡をお手伝いする唯一のチャンスとして悟り、すべての瞬間を大切にしていただろう。

我が子たちが私にせっかちなほどにキスをしたとき、「夕食後の片付けをしてちょうだいね。」と私は決して言わなかっただろう。

もっと 「私はあなたを愛しているわ」を言い、 もっと 「ごめんなさい」を言っていただろう...けれどもう一度人生を持つチャンスがあったならば、私は毎分だってそれを掴み、その時間を生き、決してそれを離さない。


postbulletin.com

備考2:やっといただいたコメントへのお返事をしたためました。しばらく書かずにおりましたことをお詫びいたし、またコメントをとても感謝しております。




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