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先日のイヴニング・ニュースのローカル版で、イチジクが熟しつつあり、すでに小売りされている、と伝えた。夫と私が行くのは、大きなカトリック病院の近くにあるごく普通の一件の民家で、そこの庭で収穫した桃やチェリーやイチジクを売っている。土曜日の朝早くに行って仕入れてくることにした。すると今朝オフィスに平たい箱一杯に濃い紫の卵のようなイチジクを入れて同僚のRが持ってきた。Rは少年の頃、季節農業労働者の両親を手伝ってイチジク農園で、イチジクを捥いだそうだ。彼いわく、紫のイタリアン・イチジクは、高級品で、高値がつき、カドタ・イチジクや緑や白っぽい品種の物は、安価なので、空腹ならば色の薄い品種のイチジクを食べなさいと言われていたそうである。このメキシコからやって来た季節農業労働者だった両親の息子Rは、いまや二つ修士号を持つカウンセラーで教育者である。
イタリアン・イチジク
ところがRは、イチジクを好まない。それは収穫していて、鼻につくイチジク臭に耐えられなくなったからだと言う。イチジク臭?聞いたこともなく、嗅いだこともなかった私は、「もしかして、それはサンメイドのレーズン工場の匂いみたいなもの? それとも晩秋の桃の果樹園の匂い?(晩秋に地に落ちたり、木に取り残された桃は発酵臭を放ち、それは酢のようであり、ミントのようでもある)」と聞くと、「もっとひどいよ、あれは。」と言う。うんざりさせる匂いを放つそうだ。フィッグ・ニュートンというイチジク・ロール(あるいはクッキーあるいはビスケット)のお菓子がアメリカにあるが、それもとても苦手だと言う同僚Rである。
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フィッグ・ニュートンはF.A. Kennedy Steam Bakery(F.A.ケネディ・スティーム・ベイカリー)が1891年に生産、販売し始め、その会社は後にニューヨーク・ビスケット会社と合併、NABISCO(ナビスコ)会社となった。名前の由来は、アイザック・ニュートンからではなく、マサチューセッツ州ニュートンという地名からである。19世紀後半まで多くの医師たちは消化不良や消化が原因で病になると信じており、毎日ビスケットや果実を食事に加えるように勧めていた。フィラデルフィアのイチジクの大好きなベイカーが作ったロールがその医師たちの勧めに則っているのが功を奏し、マサチューセッツ州ケンブリッジのベイカリーが、それに目をつけ本格的に生産に入ったそうである。これは全粒粉のドウにペイスト状のイチジクを挟んで焼いたもので、私の幼い頃から母はどこからか入手して(おそらく合衆国東部に1950年代から住んでいた叔母家族からだったと思う)よく家庭で食したものだ。イチジクの好きな私の好物である。
そんな私の好物のイチジクを題材にした小さなスケッチのような話がある。Kate Chopinケイト・ショパン(ショピンとも発音)という19世紀後期に名の出たアメリカの作家の作品のRipe Figs(熟したイチジク)で、これはヴォーグ誌に1893年掲載された。この作家は順調に名声を得ていたが、後に書いたAwakening(「目覚め」)が、当時としてはあまりに跳びすぎている女性の生き方・考え方として捉えられ、顰蹙を買い、そのせいで彼女は筆を折ってしまった。
短編(一頁ほど)の「熟したイチジク」では、時間の観点とそれがどのように人それぞれに異なるかというテーマを主に書いている。登場人物のママンーナイナイ Maman-Nainaineが「今年はずいぶん早くイチジクが熟したわ!」と言い、若いバベットは「私はずいぶん遅くに熟したと思うの」と言う時などにそれが見られる。ショパンは、いつも老若の成熟程度模様を下地にする作風を用い、このイチジクについても、年上のママンは若いバベットよりずっと辛抱強いということを示している。
同時に、いちじくについて、「豊かな緑の葉で縁取られたようになっている1ダースの紫色のイチジク」には熟すまで気長に待つ価値があるのだから、決して急がないという考えも示している。ショパンによってもたらされるこの考え方は、「菊が咲く頃私はトゥサントで彼女を探すでしょう」という言い方にもみられるように、人間は自然のタイミングに依存しているということである。「熟したイチジク」は読者に、すべてが時間とともにしなければならないことを教えようとしている故、この作品は子供向けである、と言う人々も多い。
それではケイト・ショパン作品の個人的考察はこれくらいにして、捥ぎたての甘いイチジク、いただきます!