ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

2019-07-02 | 人間性

freebiblestudiesonline.org

 

 

 

 

 

日曜の朝は教会へ行く。子供たちもいろいろな地に住んでいるが、それぞれの家族と共に教会へ集う。フロリダであれ、ドイツであれ、カリフォルニアのよその街ででも。夫も私も強制したことは一度もない。それぞれが同じ信仰を持ち、実践している。

 

 

六月のある日曜日、いつものように教会へ行くと、「今日の聖餐は、盲目で自閉症の少年が初めて他の少年たちに加わって聖餐を配るので、聖餐の水を配る時、粗相があるかもしれないが、大目に見て欲しい」、と聖餐を配る少年たちの大人のリーダーが夫と私に告げた。「もちろん!」と夫も私も答えた。この指導者の心のうちがよくわかり、どうかうまくできますように、とつぶやいた。

 

 

聖餐は、御子イエスキリストの肉を模して食パンを小さくちぎったものをハンドル付きのトレイに入れて、キリストの血は、ワインで模すことが多いが、私たちの教会ではアルコール類は嗜まないので、その代わりに水を用いる。その水は小さな小さなカップにいれられて、やはりトレイに入れて配られる。

 

夫と私には子供たちがいた時分から、「定席」があって、礼拝堂の右、前から四番目のベンチに座る。そしてその右側の列をその少年は担当するのだった。少年には彼より一回り小さな12,3歳の少年が補助として付き添っていた。小柄な少年は一回り大きい少年の右腕を支えてトレイをしっかりと持てるように助け、一生懸命に細心の注意を払っているようだった。やがて聖餐の祈りが捧げられ、トレイを持った少年たちが各列を回り始めた。

 

 

かの少年は助けの少年と共にしっかりと聖餐を私たちの座っている列に配った。その聖餐の始まりから目元をぬぐう教会員が多く、夫も私もその仲間だった。その涙の基の感情は、とても新鮮な感謝で、この二人の少年の努力をとても誇らしく思う気持ちであった。大きな少年も小さな少年も粗相のないように、よく頑張った。こんなに若い人が、キリストの愛を目の前で教えてくれた。

 

 

聖餐会が終わり、礼拝堂を出る時、大きな少年の小柄な母親に、”Your son did such a good job!”(あなたの息子さんはとても良かったですよ!)と声をかけると、彼女は青い目を潤ませて、ありがとう、と言った。助けていた小さな少年は、とても恥ずかしがりやで、さっさと礼拝堂を抜けて日曜学校へと急いで行ってしまった。

 

 

その朝、目のあたりにしたことは、多くの人々にはたいした意味はないかもしれない。でも私は、そこに言葉にはできない、大きな意味を得た。それは光と言ってもいいかもしれない。

 

 

 

 

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