ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

集まってあの手の話

2019-07-14 | 人間性

 sccpre.cat

 

 

 

 

 

 

今年の独立記念日は木曜日で、よって翌日金曜日は普通の仕事日。賢い人は、金曜日に有給休暇を取り、四日連続週末にするが、そうしない人も多かった。この7月1日から、カリフォルニア州のガソリン税は1ガロンあたり41.7セントから47.3セントに上昇し、燃料価格が、5.6セント上昇したのもあって、合衆国の平均より一ドル近く高いカリフォルニア州のガソリン代が、海に山に、とヴァケイションを楽しみたい意気を消沈させている。今日あたり、1ガロンあたりコスコで$3.35、グリーンの恐竜のシンクレアで$3.37である。$3.35が安く感じるなんて、本当に恐ろしい。

 

 

私はその5日の金曜日、同じように出勤してきた5人の同僚と楽しく(本当に)一日過ごした。それは朝オフィスのあちらこちらで、同僚との立ち話から始まった。同僚のAが、祖母宅にある一室には絶対入室したくない、と話し始めたのだった。そこは彼女の曾祖母の部屋で彼女はそこで亡くなった。ちいさな頃からメキシコのサカテカス州にあるその祖母の家へ遊びに行くたび、その部屋だけ誰も使いたがらなかった。その部屋には、「居る」らしい。子供たちの誰もがそれを知っていた。だから子供たちは離れの小さな一間でぎゅうぎゅうになって寝たそうだ。彼女の母親もそこで生まれ育ち、その家からは、鉄道の駅が見え、客車もかつて停車したので、幼かった時分の母親はよく窓辺で下車する人々を眺めていたそうだ。ある日、白い人影らしいものが下りてきて、奇妙だと目を凝らすと、その影は駅舎の壁をすっと抜けていったのだと言う。


サカテカスは約一万年前に人が住み始め、16世紀にスペイン人に征服され、銀鉱山が開かれた,歴史のあるメキシコ高地にある州で、スペインの植民地時代のキリスト教徒(カトリック)伝道師によって建立された宗教建造物のある街並みは世界遺産である。1960年代に閉山した銀鉱山は1970年代に観光目的で再び開けられたが、そこやサカテカスの至る所には、朽ちた、あるいは朽ちかけたアドビやレンガの建物が残っていて、「いわく」付きのものも多いそうだ。と、ここで私たちは勤務に戻り、続きはランチタイムに、会議室で一緒にランチをしながら、ということになった。


ランチタイムは他の同僚Rが、まだこの大学の学部生だった頃起こった話をしてくれた。彼はもともと敬虔なカトリックで、同じような仲間と一緒に平屋の一軒家を借りて住んでいた。その仲間の一人は、非常に熱心にカトリックについて学び、至極真面目な学生だった。これは一般的に言うのだが、非常に神の道を究めようとすると起こることがあるのは、それは悪魔がそうさせまい、とすることである。Rの友人の場合は、のめりこむように熱心にカトリックについて知りたがり、聖書を読みつくし、カトリックに改宗しようということになった。それと同時にRと仲間は、夜寝ている時、天井から重い足音がしょっちゅうするのに気づき、部屋の中にどんよりとした悪意に満ちたような空気が漂うのもを感じたと言う。そこでRと仲間は、近くの教会の神父に「お祓い」(清め)を行うように依頼した。神父はすぐやってきて、お祓いをしてくれたが、Rたちにくれぐれも気を付けるようにと言い渡して去った。その後も足音はしたが、仲間の一人がカソリックに改宗、洗礼を受けた途端、借りていた家は何事もなかったように静まったそうだ。


ペルー人の父親と沖縄からの日系二世の母親を持つ同僚Lは、リマで生まれ育ち、父方の祖母が亡くなった時、家族がその祖母の車のトランクを開けたとたん、黒々としたカラスが一羽そこから飛び立ったのを見た、と言った。何故カラスが祖母の車のトランク内にいたのか、誰も答えられなかった。その祖母は、リマ郊外の山の上に、アドビ(砂質粘土や藁などの有機物を混ぜて作った土壁の家)に住み、もちろん電気・水道は通っていず、雨水(もともと雨量はあるかないかの土地である)を貯め、食糧は家の周りの畑で栽培し、ヤギや鶏を飼っていたという。Lは小さな頃両親とその祖母の家へ行くのが苦痛だったと言う。


「電気もなくて、水も不足していて、土間にベッドが置いてあるだけなの!」ただし、彼女は帰りの車の中から見える満天の輝く星空が嬉しかった。ある晩父親の運転する車でリマの街へ帰る途中、満天の星の中に異様な動きをする光を見つけ、家族で眺めているうち、その光は、素早く動きまわり、消えてしまったそうである。ジグザクに動く流星なんて、ないわよね、とLは言った。だからあれは絶対UFOに違いない、と彼女が言うと、Rは、「銀河系のようなシステムは宇宙にたくさんあるのだから、生命体がいてもおかしくはないよね。事実いくら否定する人がいても、その根拠は弱いし。」と言った。


「カラス、と言えば、私の父が若い頃、そして私がとても幼かった頃、青い顔をして、会社から帰宅して、真っ先に言ったことがあるのよ。それはね、動物は決して虐めるものじゃないってことだったの。その日会社の若い同僚がランチタイムに外へ出て、その時電線に留まっていたカラスがひときわうるさく鳴いて、その人は、『うるさい!』と言って、道端にあった小石を拾って、カラスに投げつけたんですって。そしたら運悪くその鳴いていたカラスに当たり、電線から落ち、死んでしまったんだって。その午後その若い人は、上から落ちてきたものに頭をぶつけて、即死してしまったのよ。」と私は思い出したことを言った。そうそう、あの晩父は本当に青い顔で帰宅し、私たち子供を呼んで、「いいか、どんな生き物も虐めたり、必要のない殺傷をしてはいけないんだよ、」と言い、なにがその日起こったのか話してくれたのだった。


普段カトリックやその他のキリスト教をアンタゴ二スティック(キリスト教を反対的に話す元カトリックだった女性のBでさえ、ある、ある、と言って私たちのランチに付き合っていた。背中がぞくぞくするほどではないし、きゃあと叫ぶ者もいなかったが、私たちはこうして楽しいランチタイムを過ごしたのだった。5日に出勤も悪くはないものだ。







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