ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

父を探して

2019-02-03 | アメリカ事情

mnpatriotguard.org

 

 

 

ふと見かけた記事にこんな話がありました。 

 

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1954年に両親が別居したとき、私は2歳で、それ以来、父と二度と会うことはありませんでした。


私の母と彼女の家族は私の父と彼の家族についての情報を半世紀以上の間、私には秘密にしていました。


2010年に私はAncestry.Comを通して私の父を探し始めました。ところが1999年8月6日にテキサス州ダラスの病院で彼が癌で亡くなったことを知りました。父親の死亡証明書を入手した時、検死官は父親が町周辺に家族・親戚がいないので、古い墓地の無縁墓所に遺体袋に入れられたまま名前の標識もなく、埋葬されたのだった、と私に言いました。父が第二次世界大戦で兵役についていたのを知っていたので、彼の遺体を私の住む州に持ち帰ってそこの国立墓地に埋葬されるように働きかけようと決心しました。


私は5年以上にわたり、政府機関、二人の知事、そしてホワイトハウスからも助けを得ようとしましたが、その努力は無駄でした。


2011年から2017年まで私は離婚からの借金額を減らし、クレジット・スコア(金銭の信用度)を上げ、いつの日か個人的な融資を受けることができるようにと、懸命に働きました。 2017年に私はシャロッド・ブラウン上院議員に連絡を取りました。


1973年に起こった火事で父を含む人々の記録が焼失されたにもかかわらず、議員特権による調査によって、ブラウン議員は記録を見つけたのでした。その軍役証明書は父が合衆国陸軍において第二次世界大戦中ナチス・ドイツと戦うために43ヵ月兵役についていたことを証明しました。


その時私はまだ十分な蓄えがありませんでしたが、 2018年7月に銀行が1万ドルの個人融資を承認したので、私は、葬儀社に父の遺体の掘り返し許可を申請しました。 4ヵ月待った後、11月にブラウン上院議員に再び助けを求めました。 彼がテキサス当局者に連絡してから6日後にその許可が与えられました。


来る2019年7月9日に、一機の飛行機がクリーブランド・ホプキンス国際空港に着陸し、そこで私はついに父と再会し、父の金属製の棺桶に触れ、私の心の欠けている部分を元通りに戻すのです。


オハイオのパトリオット・ガード・ライダーズ(軍役についていた人の葬儀を軍のやり方に則って、行う人々の団体)は故郷の州にある国立墓地で名誉をもって埋葬されるために、父の霊柩車を護衛するのです。父に敬意を表して、ブラウン上院議員は、ある一日、合衆国国旗を首都ワシントンで掲げるのです。


もしあきらめなければ、ある日、あなたの祈りや夢は現実のものとなるです。



Dayton Daily News/ERIC HIGGENBOTHAM







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