ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

ホームレスから億万長者へ

2019-02-17 | アメリカ事情

 PinterestからPaul Mitchel製品の一部

 

 

 

 

 

ジョン・ポール・デジョリアは、ポール・ミッチェル(1989年53歳で死去)と二人で始めたパトロン・スピリッツ社の創立者で、日本ではその商品が売られているかわからないが、ポール・ミッチェルというラインで、シャンプーやコンディショナー、リンス、その他石鹸や整髪料、そしてペット用品などを生産・販売する会社である。このジョン・ポール・デジョリアは、億万長者で、かつ慈善家でもある。その彼は、次のように述べている。


「私が最初にホームレスになったのは、20代の最初の頃でした。妻はもう母親であることが嫌になり、二歳半の息子を私の腕の中に残し、有り金全部をもって家を出てしまったのです。すぐに私は彼女がこの3ヶ月間家賃を払っていなかったことを知り、それで私たちは家を退去させられました。ちょうど私はひとつの仕事を終えて、次の仕事を待っていた時で、息子と私には一セントもお金が入ることがなく、路上生活をするか、当時所有していた古い車に住むしかありませんでした。私は息子に言ったことを覚えています、「私たちは、一緒にこれを乗り越えるんだよ。」 私は多くの空き地へ行き、コーラや7-Upの空瓶を拾い集めました。何故ならその当時小瓶には2セント、大きな瓶には5セントと換金できたのです。あなたが一文無しで、請求書の支払いができない時は、男としても父親としても最も困難な時のひとつです。しかし、私が学んだことは、窮乏して、どん底に陥ると、あなたが、できることは、好転を図るだけなのです。」


ジョン・ポールの状況がどれほど困難だったとしても、彼ははるかに良い状況にある多くの人々が欠いている利点を持っていた:彼は自分の人生にひとつのビジョンを持っていたのだ。彼は自分の会社を始めようと決心し、三年間に渡って百科事典を売リ歩いた後、それを辞めた。他の人のために働くのではなくて、自分で働くべき会社を作るべきだと知っていたのだった。そしてそれをやり遂げ、今や彼は押しも押されぬ億万長者である。そしてその富を多くの慈善活動に費やしている。



 

forbes.com

ジョン・ポール・デジョリア と 彼の会社の製品に一部。私の好きなTea Tree製品。




 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする