ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

サイレントパレード100周年

2017-07-28 | アメリカ事情

夫の両親は教師で、父親は長い間校長を務めた。ある夏、新しいスクールバスを購入することになった。発注先は東部で、両親は小さかった末息子の夫を連れてヴァケイションがてら、陸路をとった。途中ナイアガラの滝に寄ったり、ワシントンD.C.でスミソニアンを覗いたりした。帰路は父親がピックアップしたバスを自ら運転、母親が自分たちの車でバスの後を走るようにして帰路についた。

途中南部の給油所に停まったのだが、お手洗いを使おうとした夫は、性別のドアの他に三つ目のドアに有色人種用と書かれていたのを覚えている。西部アリゾナでも有色人種への偏見はあったが、南部ほど顕著ではなかったらしい。学校に少数ではあったが、黒人もいたし、ヒスパニック、アメリカ原住民もいた。白人の夫は普通にお手洗いは性別に別れているものと思っていた。教育者でキリスト教徒の両親に育てられたから、差別や隔離とは無縁だったのかもしれない。


夫の母方の叔父は白人だが、歴史の大学教授で、専門はアメリカ黒人史である。彼は非暴力抵抗運動をキング牧師と共にアラバマでしたこともある。今日7月28日は、ニューヨークでサイレントパレードがアメリカで二番目の黒人の抗議行動として行われて丁度百年にあたる。1964年7月2日に、公民権法が制定され、それこそ上記のような人種分離サインは見かけなくなったが、黒人あるいは有色人種への偏見と差別はいまだに根強い。





アフリカンアメリカンの系図調査依頼が二件あって、二者とも先祖の所有者(なんて嫌な言い方だろう)まで遡った。それ以前は、DNA検査によってアフリカのどの地域で、どの部族だったか、などが判明できるが、個人名まではわからない。
一件はアラバマで、驚くことに彼女の家族は先祖が奴隷だった1700年代から解放された1865年以降現在も、ずっと同じ場所に住んでいる。

もう一件はルイジアナで、依頼者の緑の瞳や容貌から、白人の先祖がいると読めたが、実際にフランス系白人の先祖を見つけた。この白人は奴隷所有者の息子だったにも関わらず、ムラトと呼ばれる片親が白人、片親が黒人の子供の女性と正式に結婚してその証明書を見つけた。アメリカ黒人の間では、100%アフリカのDNA、あるいは、アメリカ原住民との混血のDNAと思われることが多いが、実際にDNAテストをすると、かなりヨーロッパのDNAが入っている人が少なくない。


コメント
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