2017年6月16日に、明治以来110年ぶりとなる大規模な性犯罪に関する刑法の改正案が成立し、2017年7月13日、「強制性交等罪」が施行された。
今回はこの「強制性交等罪」に関して、2014年に改正のための検討会が開かれた当初から振り返り、「何が改正され、何がされなかったのか」を軸に、それが当事者たちに与える影響を考察していきたい。
110年ぶりの刑法改正に、当事者の声は届いたのか。
刑法改正に向けた10の論点、半数は改正されず
上記は、2014年に設置された「性犯罪の罰則に関する検討会」によって出された性犯罪(主に強姦罪)改正に向けた10項目の論点である。9月末に当時の法務大臣が改正の為の検討会設置を告げてからの1ヶ月弱という中で考えたら、これまで各所で議論されてきたことを踏まえた良い論点であったと思う。ヒアリングを受ける際なども、これらの論点に添って「より良いものにするために」意見を出してきた。
そして、2017年6月、結論から言うと、この論点に添って「改正されたもの→○」「一部改正されたが議論を残したもの→△」「改正されなかったもの→×」と分類すると、以下のようになる。
明確に改正された、というものは「たったの2点」である。一切改正されなかったものが半数。されはしたけれども、全面的改正とは言えず議論の余地が残るというものが3点。ここについて、「必ずしも論点の通りに改正されることが良い事なわけではないだろう」という意見もあると思われる。確かにそうだ。論点について適切に議論がなされ、結果「改正の必要がない」となるということもあるかもしれない。しかし、一言言えるとすれば、この10の論点は概ね、国際社会の中で、また当事者たちから、求められて来た改正の論点であったということだ。
「厳罰化」に向けた検討会の設置
2014年10月に法務省は「性犯罪の罰則に関する検討会」を立ち上げる。9月に当時の法務大臣松島みどり氏が改正に関して、「女性の心身を傷つけ、人生を狂わせるおそれのある強姦が、物を奪う強盗よりも罪が軽い。刑法を改正したい。かつて犯罪被害者基本法の議員立法に関わったが、性犯罪の被害者は声をあげにくい。ふだん女性であることを意識して仕事をすることはないが、これだけはずっと改めたいと考えてきた」と述べ、主に「強盗」と「強姦」の量刑について異を唱えるということから、この改正に関する法務省発信での議論は始まった。
なぜ「強盗」と「強姦」が比べられるのか?というと、まずひとつに両者共、罪の成立に「暴行脅迫要件」を課しているものだということ。強盗には「抑圧する程度」の暴行脅迫が必要で、強姦罪の場合は抵抗を「著しく困難にする程度」の暴行脅迫が必要なのだそうだ。そこから、強姦罪の方が暴行脅迫レベルが軽いとされ、量刑が少ない、とされているようなのだが、これには、書いているだけでも憤りの気持ちが湧いてくる。また、「強盗強姦罪」という強盗が先にあり、その後に強姦が成されるというケースで適用される罪に対し、強姦が先であった場合はこの量刑等は適応とされず、順番によって刑が変わる、ということ。これについては多くの批判もあり、被害当事者の感情としては「許せない」という思いもあり、実際に私たちもヒアリングの際には「この矛盾を適正化すべきだ」と伝えてきた。
「妥当な量刑」とは何を指すのか
強盗罪について、刑法制定時に財産権に関して強く罰するという意思を持っていたという風に捉えることも出来るし、また実際の判決に際しては、必ずしも強盗の案件が常に最低量刑通りの強固な姿勢であるのか、そうとは言えない、とも言える。強姦罪が常に量刑の軽いものであるのかと言えばそうとは言いきれない。法としての下限量刑は決まっているが、そう厳密に運用してるわけではないから大丈夫だろ、というのが今回の量刑を「あげるべきではない」という姿勢に立った人たちの言説として目立った。しかし、「矛盾を放置する姿勢」というのはせっかくの改正議論に於いていささか委員として相応しくない姿勢である様に映った。
ここで私たちとしては一つの、大きな疑問を持った。強姦罪は刑法の中で「比較することで量刑が決まるのか?」ということ。まず、強盗と比較。そして、量刑を話し合う中では「殺人より重くなるのはいかがなものか」という趣旨の発言もあった。強盗とくらべて〜、から始まり、「殺人よりは軽いだろう」で終わる。角田委員が法制審議会の議事の中で刑法について、「本当は全部,御破算で願いましてはと,最初から変えるというのが,恐らくアンバランス を避ける正しい方法だと思うのですけれども 」(法制審議会 刑事法(性犯罪関係)部会 第4回会議 議事録 )と発言しているが、まさにその通りなのであろう。
刑法性犯罪は「厳罰化」されていない
このように、強姦罪は量刑に於ける矛盾をはらんでいた。そして、それを修正、適正化したのが今回の改正だ。なぜそう言い切ることが出来るかというと、「集団強姦罪」の喪失に理由はあると思っている。集団強姦はこれまで、強姦罪よりも下限量刑2年が高く、要は「暴行脅迫要件」における抗拒不能性がより強いものとされていた。しかし、強制性交等罪が作られるにあたり、これを廃した。要は、強姦だけを適正化し、それ以上の評価は行わない、という意思が見え隠れする。厳罰とする、というのであれば、既存の量刑をあげるということは一斉にされるはずなのだ。しかし、これではただ、全体的に横並べにした、にすぎない。もちろん、強姦罪の量刑は上がった。しかしそれは、厳罰とするのではなく、これまで適正に運用されていなかった法律を正したに過ぎないという事だ。
ただし、必ずしも「厳罰化」が正しいと言いたいのではない。刑期が長いだけで刑務所内での処遇に変化が無ければ再犯率についてもそう大きな影響は及ぼさないだろうし、3年ならいいけど5年じゃちょっとヤダ、と性暴力への抑止になるなんて、そう簡単には思えないからだ。本来的には、この改正と同時に刑務所内での処遇について、そして社会的意識変革、また被害者支援策について同等に議論がされるべきであろうが、機運の高まりはそう大きくはない。法務省は施行前に全国の検察に対し事件処分などの際に被害者の心情に配慮するよう求める通達を出したが、それに留まらず、より広範囲に向けた努力と成果を願っている。
そもそも、検討会や法制審議会の委員名簿を見ると、圧倒的に強姦罪の改正について、被害者支援の観点から取組んで来た人の存在が少ないように見えた(性犯罪の罰則に関する検討会の第1回会合 1〜3Pに各委員自己紹介有り)。各委員の発言の分量の差異ということももちろんなのだが、基本的には「あまり改正したくない/改正する必要性は感じない」という想いが議事録を通して日々伝わってきた。この「議事録を読む」という行為は、一当事者として大変な苦痛を強いられる行為だった。何故なら、委員たちから発せられる多くの神話性の高い二次的加害とも取れる発言の数々に、社会の縮図を見たからだろう。
声をあげた被害者への敬意は無いのか?
「このような被害者や目撃供述に対しての過度の信頼のようなものは,性犯罪に限った話で はないのかもしれませんけれども,ヒアリングに際して,「被害者の言うことをなぜこんなに信用してくれないのだ」という被害者の方たちの声がありましたが,一方で,被害者 の言うことを一方的に信じることによって誤った裁判がなされた例もあることについて, 私はやはりここで声を大にして言わせていただかなければならないと思った次第です。 」
刑事事件の中で、特に加害者弁護についてをお話されている弁護士からの発言ですが、この4回目の検討会の前に、多くの被害当事者やその支援者がヒアリングを受けており(当会もその一つでした)、それらの振り返りの第一声としてこの発言がありました。「一方的に信じろ」など、誰が言ったのでしょうか。あくまでも「なぜ“こんなに”信用してくれないのだ」なのです。不当なまでに被害者発言への信用性が無いじゃないか、という趣旨の発言に対し、ケースとしては稀な冤罪ケースを出して「一方的に信じるわけにはいかない」という言説で否定をするのは正に、「そりゃ、裁判で“一方的に信じる”わけにはいかない」という当たり前すぎることを、被害者の発言の信用性に関わる問題であるかのようにすり替える卑怯な発言であったと考えています。
「被害があった」ということで実名を出し活動をしていたり、多くの当事者たちの声を聞き、共に生きて来た人間達に対しての敬意がない。ヒアリングを終え、重点的な検討に入るその日、検討会はこうして始まった。
性犯罪に関する調査検証資料があまりに少ない
検討会の初期段階において提出されている「強姦罪,強制わいせつ罪の認知・検挙件数の推移」という資料がある。主には、平成14年を契機に性犯罪の認知件数が増加しているということを示す警察データなのだが、件数増加の理由は「把握していない」「分からない」「断定出来ない」という言葉が続く。何故増えたのかということについての検証がされていないことに疑問を持つのは当たり前のことではないだろうか。例えばこれらを検証するためには捜査機関等においてそれまで各種犯罪に対してどのように対処してきたのか、例えば性犯罪に関する相談をどう扱い、どのような対応をしてきたのかの検証も必要になるであろうし、各機関の犯罪認知に関する情報発信などの有り様についても考察する必要があるだろう。クロスした課題についての統計を出すことが必要であることは想像出来るし、それにどれだけの協力が得られるのかも不明だが、「絶対に必要なこと」である。
様々な国内データのほとんどが「警察に於いて認知されたケース」の統計となっている。また、内閣府の調査も頻出するが、それはあくまでも「男性から女性への暴力」に特化したものであり、論点としても男性から女性への被害以外についても検討しようという場に於いては「不足」であると言える。しかし、そうした論点についてを放置したまま検討会は続いた。要は、暴力被害に関しての調査統計が無い状態で、漠然とした被害について「あるかどうかも知らないけど」検討を続けたのだ。
それが良く見て取れる委員からの発言は当会に対するヒアリングの際にあった。
「私は検察官なのですけれども,今お話があったような,トランス・ジェンダーの方が被害に遭われるというような具体的な事件には,たまたまなのか,遭遇したことがなくて, そういった事件が伏在化しているのではないかという御指摘もあり得ることなのではないかというふうに感じたのですけれども,そういった事件,あるいは被害というのがどの程度起きているのか,あるいはどういった形で起きているのかといった具体的なイメージというのがなかなか持てないでいるのです。それらの点について参考になる御知見があれば教えていただけますか。」
セクシュアル・マイノリティがそのセクシュアリティを公にする形で司法の場に出て行くということの難しさについて、また、出て行った際に直面する強烈な二次加害の可能性について、ヘイトクライムを起因とする犯罪について等を話させていただいたが、話しながら、強烈に違和感を感じていた。「知らないまま法律を作るのか?」ということだった。
早急に国レベルでの性暴力被害実態調査を実施すべき
この国では性暴力被害についての大規模調査が行われていない。女性も、男性も、そもそも性別を想定してもしなくても、あらゆる人口にとって性暴力は大きな影響を及ぼしていることは明確だ。しかし、その現状についてはほとんどが「氷山の一角」という言葉で濁され、明確な数値として出て来てはいない。男性の被害についても、セクシュアル・マイノリティの被害についてもそうだ。被害としての聞き取りが無い、被害としてのアウトプットが無い中では多くの人にとって「自分に起きたことは被害である」という認識が難しくなってしまう。被害を被害だと認めることは、多くの場合、自尊感情を必要とする。自分に起きた事は社会的に断罪してもいいことなのだ、相手が悪いのだと思うには、ある程度の他者承認が必要となるのだ。
早急に、性暴力についての大規模調査をするべきだと考えている。改正がなった今、この「強制性交等罪」には3年後の見直し要件がついた。形だけ作られたこの法律に対し、現実を見てあらたな修正を加えるとしたら、絶対的に「質的・数的調査」が必要となるだろう。
ぜひ、早急に、当事者たちの意見も踏まえ、実行してほしい。
「当事者の声を聞く」というのは容易いが、当事者数名から話しを聞いたというだけでは絶対的に足りないのだ。「誰も取り残さないために」は、現実的な数として、ニーズや現状を洗い出す必要がある。また、当事者に実名や顔を出して話させることが声を聞くことだとは限らない。出来る限り、負担を軽減した形で事実を抽出する方法はいくらでもあるのではないだろうか。それは、今回の改正議論の中で、特にメディアに対しても思ったことだった。
次回は、「改正された/されなかった論点」について、それぞれ詳しく考察していきたい。
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