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弁護士・元ロースクール教授宮武嶺の社会派リベラルブログです。

大久保賢一弁護士(日本反核法律家協会会長)がウクライナ危機に乗じる核共有論者や非核三原則見直し論者を弾劾する。「彼らは、人類社会に死をもたらす死神の手先なのだ」。

2022年03月08日 | 被爆者援護と核兵器廃絶
 

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 私が30年前の弁護士駆け出し時代からお慕いしている兄貴分の大久保 賢一先生。

 お会いしたころにすでに「憲法の大久保」の異名を取られていましたが、日本反核法律家協会会長として核兵器廃絶と被爆者援護についても積極的に発言されています。

 そんな大久保先生が、ロシアによるウクライナ侵攻を「好機」と捉えた安倍元首相や日本維新の会などが策動している、いわゆる「核共有」を議論すべきだという風潮について、一刀両断に切り捨てる原稿を発表されました。

 大久保先生のご快諾を得て、以下全文ご紹介いたします。

 平易な文章で深い内容が語られているので、是非お読みください。

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「軍隊のない国」はあるのだ!! by大久保賢一弁護士

 
 

 

「死神のパシリ」の妄動を許すな

大久保賢一

 

「死神のパシリ」

日本も「核共有」(核シェアリング)すべきだとか、「非核三原則」を見直せと主張する人が現れました。米国の核兵器を日本に常備したり、有事の際は持ち込めるようにしようというのです。そういう人は、憲法9条など無力だ、無用だ、改定しろとも言います。9条の非軍事平和主義を投げ捨てて、核兵器に頼れという主張です。安倍晋三元首相や高市早苗自民党政調会長など極右グループだけではなく、維新の会は党の正式な方針として政府に働きかけています。国民民主党も同類のようです。

私は、そういう主張をする連中を「死神のパシリ」と見なしています。死神とは「人を死に誘う神」、パシリとは「使い走り」の略語です。彼らは、人類社会に死をもたらす死神の手先なのです。なぜなら、彼らは「核戦争は全人類に惨禍をもたらす」(核拡散不拡散条約・NPT)とか「いかなる核兵器使用も壊滅的人道上の結末をもたらす」(核兵器禁止条約)という核兵器使用の危険性が国際法規範になっていることを無視しているからです。そして、「終末」まで残された時間は「100秒」という米国の科学者の真剣な警告があるにもかかわらず、核兵器に依存しようと叫んでいるからです。

なお、NPTは「核兵器やその管理を直接又は間接に移譲してはならない」(1条)としているので、米国の核兵器やその管理の委譲の提案はNPT体制への挑戦です。

彼らは、NPT体制も日本国憲法9条も否定して、核兵器への依存を主張しているのです。彼らの主張を検証してみましよう。

 

彼らの主張

彼らの主張のきっかけは、ロシアのウクライナ侵攻です。ウクライナには核兵器がなかったので、ロシアに侵略されたのだ。ウクライナのように侵略されないためには、米国の核爆弾を日本に常備しよう。そうしないと日本は北朝鮮、中国、ロシアなどから攻められてしまうというのです。彼らはどの国が、いつごろ、どのような理由で侵略して来るとは言わないのですが、侵略を前提としてものを言うのです。私には、その言説にいくつかの疑問があります。

第一に、その前提は絶対的なものなのか。その危険性はどの程度具体的なのかということです。第二に、日本に米国の核爆弾が存在していれば侵攻はないと保証できるのか。それは論理的なのか。経験則に合致するのかということです。第三に、その選択に危険性はないのか。効果がないだけではなく、むしろ危険性の方が高くなるのではないかということです。第四に、その侵略を避けるために、核に依存する以外の方法はないのか、非軍事の平和的手段はないのかということです。

彼らはこれらのことについては説明していません。ただ、「我が国を取り巻く安全保障環境は厳しい」、「それを認めないのは平和ボケだ」、「9条を変えろ」、「米国の核抑止力が必要だ」と声高に繰り返すだけです。

現在、これらの三国は日本に武力攻撃を仕掛ける意思は表明していません。意思は示していないとしても本当のところはどうなのでしょうか。各国ごとに検討してみましょう。

 

 

北朝鮮

 北朝鮮の脅威はある

朝鮮戦争は終結していません。休戦協定がありますが、北朝鮮と国連軍(米軍)との間の戦争は継続しているのです。休戦協定が崩れれば、北朝鮮による国連軍(米軍)の基地がある日本に対する攻撃はありえます。敵国の軍事施設を攻撃することは国際法上問題ないし、北朝鮮には日本を射程に収めるミサイルがあるからです。「熱い戦争」が再発すれば、金正恩の首はなくなるかもしれませんが、北朝鮮がなすすべもなく消滅することはないでしょうから、日本も返り血を浴びるでしょう。

そして、北朝鮮も核兵器を20から30発は保有しています。北朝鮮は、NPTからは脱退し、核兵器禁止条約の締約国ではありません。そして、国家存亡の危機における核兵器の使用は「国際法上違法とも合法ともいえない」というのが国際司法裁判所の見解ですから、北朝鮮が危殆に瀕した時、核兵器を使用しても、無法国家とならないのです。こうして、北朝鮮の在日国連軍基地への核攻撃は合法的に行われることになるのです。

ミサイル防衛システムはありますが、想定通り機能する保証はありません。「熱い戦争」の結果、北朝鮮は世界地図から消えるかもしれませんが、日本も危ないのです。「核戦争に勝者はない」という警句が現実化することになるのです。このように考えると北朝鮮の存在は脅威です。逆に、北朝鮮にとって日米韓は脅威でしょう。

 

「核共有」で脅威は消えない

では、米国の核兵器を日本に常備すればその脅威はなくなるのでしょうか。北朝鮮は、朝鮮戦争の勃発直後から米国の核で威嚇されてきました。韓国の米軍基地に核兵器が配備されたこともあります。にもかかわらず北朝鮮は降伏することはなかったのです。現在も、北朝鮮は米国の核で威嚇されています。米国のミサイルは北朝鮮を標的にしているし、米韓合同演習には核兵器搭載可能な爆撃機が参加しているのです。そういう北朝鮮にとって、日本に米国の核兵器が常備されていようがいまいが、事態は変化しないでしょう。北朝鮮の事情は何も変わらないのに日本の事情だけが好転するということはありえません。軍事的対立の当事者間の力関係は相関関係だからです。「核共有」は北朝鮮の脅威を減殺しないのです。それはこれまでの北朝鮮の態度を見れば明らかです。また、威嚇すれば敵国が都合よく動くということも必然ではないでしょう。パシリたちの主張は経験則に合わないだけではなく、没論理的でもあるのです。

 

核共有は事態を悪化させる

そして、むしろ、「核共有」は北朝鮮の日本に対する敵愾心を増幅するでしょう。日本の敵意が更にあらわになるからです。北朝鮮は、国連緊急特別総会におけるロシアのウクライナ侵略の非難決議に反対しました。そのロシアはウクライナの原発への攻撃や占拠までしています。危険極まりない行為です。同様に、北朝鮮による日本の原発へのミサイル攻撃はありうるでしょう。彼らを侮ってはなりません。戦争とはそういうものなのです。このように、「核共有」はむしろ日本の安全保障環境を悪くすることになるのです。

 

北朝鮮の脅威をなくす方法

では、北朝鮮の脅威を解消する方法はないのでしょうか。もちろんあります。朝鮮戦争を終結し、朝鮮半島を非核化すればいいのです。六者協議や米朝首脳会談の経験もあるのです。頓挫したとはいえ、北朝鮮はこれらの協議や会談の過程で、核の放棄に踏み出そうとしていたことは明らかです。その教訓に学ぶことです。

けれども、パシリたちはそのことなど見向きもせず「核共有」を言い立てるのです。彼らは「半島が平和になれば困る人」の一味なのでしょう。北朝鮮の脅威を除く方策があるにもかかわらず、それを無視して「核共有」を言い立てるのは、私たちと朝鮮半島で暮らす人たちだけではなく、全人類を核の惨禍へと導くことになるのです。

多くの日本人が北朝鮮に対する敵意や悪意を埋め込まれていますから事態の改善は困難かもしれませんが、その関係改善がない限り、私たちは北朝鮮からの核攻撃を含む軍事攻撃の悪夢から解放されないのです。

北朝鮮の脅威を解消する唯一の方法は、「核共有」論ではなく、北朝鮮と国交を樹立し、朝鮮戦争の終結を働きかける政府にすることです。

 

中国

対中関係の変化

中国はどうでしょう。現在の日中間には「主権及び領土保全の相互尊重、…平等及び互恵並びに平和共存の諸原則の基礎の上に、両国間の恒久的な平和友好関係を発展させる」という平和友好条約(1978年)があります。また、2018年5月、安倍首相(当時)は、日中首脳会談に際して「『戦略的互恵関係』の下、全面的な関係改善を進め、日中関係を新たな段階に押し上げたい」、「日中両国は、地域及び国際社会の平和と繁栄に大きな責任」がある、「両国関係の改善・発展は、各国の期待に応えることにもなる」と発言していました。それからまだ4年と経っていないのに「核共有論」を語っているのです。中国からすれば「手のひら返し」と映っているでしょう。

現在、日米両国は、「中国はインド太平洋地域と世界の平和に対して悪影響を及ぼしている」、「中国の軍事化及び威圧的な活動に強く反対し、地域における安定を損なう行動を抑止し、必要であれば対処する」としています。中国を悪者扱いして、その中国に対する抑止力と対処力の強化、即ち軍事的対応を強化しているのです。

「台湾海峡の平和的解決」もいわれていますが、「台湾有事」を念頭に日米共同での戦争準備が進められています。日本と中国の関係は「戦略的互恵関係」から「敵対関係」に変化しているのです。その「敵対関係」は、尖閣諸島だけてはなく、台湾をめぐっても顕在化しています。こういう状況下で、パシリのリーダーは「台湾有事は日本有事だ」、「核共有が必要だ」と叫んでいるのです。これが「日中関係の新たな段階」です。

 

 

中国の脅威とその解消方法

中国は、尖閣諸島付近で挑発活動を展開していますし、南沙諸島での強引な活動は覇権主義的です。また、台湾の独立を阻止するために軍事的行動を排除しないとしています。国内にはウイグルでの人権侵害や香港での民主化運動の弾圧などもあります。中国の国内外での行動に危険な兆候を見て取ることは当然です。

では、「核共有」をすればその脅威は解消できるのでしようか。日本が「核共有」すれば、中国の覇権主義は収まるし、台湾への武力侵攻の危険は解消されるのでしょうか。ウイグルの人たちの生命や自由は確保され、香港の民主化は進むのでしょうか。

パシリたちは、そのあたりの説明はしていません。それはできないからです。台湾の行く末は台湾人たちの選択の問題だし、人権や民主主義と「核共有」は関係ないのです。

東シナ海や南シナ海での中国の行動を抑えられるのでしょうか。QUADやAUKUSはもとよりNATO諸国まで動員しての圧力にもめげていない国ですから、米国の核兵器が日本にあるかどうかで動揺するようなことはないでしょう。これらの問題の解決にも「核共有」は役に立たないのです。

むしろ、「核共有」は日本に対する中国の不信を強め、友好関係を破壊し、緊張を高めるだけになることは目に見えています。中国との断交など考えられるのでしょうか。「核共有」は愚策中の愚策です。そんなことを議論しようとすること自体がナンセンスです。

中国の脅威を少しでも減少させるためには、毅然とその違法性や不当性を指摘することから始めなければならないのです。問題点の指摘もしないで「謝謝」と言えばいいのではないのです。そして、中国の圧力は受けつつも、米国の「核の傘」などに依存せず、中国との共存を模索するアジアの国々と連携することです。アジアで植民地支配や侵略をした日本の「核共有」などアジアのいかなる国も支持しないでしょう。「核共有」はこれまで努力を無駄にしてしまうでしょう。

 

ロシア

日ロ間に平和条約は存在しないし、領土問題も解決していません。外務省は「領土問題を解決して平和条約を締結するとの基本方針に基づき、ロシアとの交渉に粘り強く取り組んでいく」としています。また、安倍晋三元首相は「ウラジミール」とプーチン大統領をファストネームで呼ぶほどの関係でした。彼は、今回のウクライナ侵攻でプーチン氏に対する評価が変わったので、ロシアとの関係で「核共有」を言い出したのでしょうか。彼はそのことについては明言していません。むしろ今回の行動について「プーチンは領土的野心で起こしたわけではない」としているくらいですから、もしかすると「核共有」はロシア向けではないのかもしれません。いずれにしても、ロシアがウクライナへの侵略をしたからといって、日ロ両国の関係が軍事衝突間近という関係になったわけではないでしょう。

ただし、中ロの軍艦が共同して日本列島を一周する訓練をしている事実も忘れてはなりません。また、プーチンが危険な行動に出る人物であることも明らかになりました。

このように、ロシアとの関係でも、日本をめぐる安全保障環境が不安定であることは否定できないのです。

 

安全保障環境の不安定は否定できない

以上みてきたように、私たちの国をめぐる安全保障環境は不安定で危険な状況にあります。もちろんその不安定や危険性は、北朝鮮や中国やロシアが一方的に醸成しているのではなく、日米の行動との相関関係で形成されています。むしろ、北東アジアの安全保障環境の悪化の原因は、米国支配層の思惑が色濃く反映しています。北朝鮮を「悪の枢軸」と名指しし、中国やロシアを「専制主義の国」として対立を煽っているのは米国だからです。

そもそも、紛争は単独行為ではありません。必ず相手方を必要とします。およそ紛争が一方当事者だけが悪いということはありえません。それぞれの言い分があります。だから、その不安定や危険性の原因を他国のせいだけにするのは間違いです。それは偏狭なナショナリズムです。

 

それぞれの主張の衝突をどう解消するかが問われることになります。司法(裁判)制度が整えられている国家においては、裁判官による法の適用とその執行という形で紛争は解決されることになります。けれども、国際政治の現状では国連をはじめいくつかの国際機関はありますが、各国の主権を制約できる法規範と執行機関は存在していません。国連安全保障理事会がその役割を期待されていますが、常任理事国の拒否権がその役割を制約しています。その拒否権が、五大国を当事者とする紛争をむき出しの暴力優先にしてしまうからです。今回のロシアの行動もそうですし、米国はその気になれば国連など無視して世界各地で武力行使をしてきました。そして、小国政府は転覆されてきたのです。

このような事実を前にすると、他国からの侵攻の現実性などは冷静に考えないままに、米国との同盟が必要だと考える人たちも出でくるのです。そして、北朝鮮、中国、ロシアからすれば、日米の動きは危険極まりないと受け止め、その対応策を考えていることでしょう。その典型が、北朝鮮の核やミサイルの開発と実験です。それがまた私たちの不安材料として機能するのです。私たちは、そういう危険な状況の中で日々の生活を送っているのです。その不幸な状況から脱出するための営為が求められているのです。

 

「核の傘」と「核共有」の異同

 岸田文雄首相は、パシリたちの要求については、非核三原則は国是だとして拒否しています。それは当然の対応です。「国是」を軽く扱ってはなりません。けれども、米国の核兵器に依存するということでは、パシリたちと共通しているのです。違うのは、普段から日本の領域に米国の核爆弾を置いておくかどうかだけです。核兵器やその管理の移譲はNPT違反ですから大きな違いはあれますが、「核抑止力」信仰ということでは共通であることを忘れてはなりません。

結局、論点は「常備か傘か」ではなく、米国の核兵器は他国の軍事力行使を抑止する有効な手段なのかどうかということになります。核抑止とは、もし我が国を攻撃すれば核兵器で反撃されて重大な結果を招くという威嚇で、相手国の行動を抑止して、自国の安全を確保するという「理論」です。相手国の国民を人質にとっての威嚇ですから、一見効果的に思われるのです。ここでは、その理論にどの程度の普遍性があるのかを検討してみましょう。なお、保有するだけで使用しないなどという議論は「核抑止」を全く理解していない幼稚な議論ですからスルーします。

 

核抑止論は「集団的誤謬」

最初に、確認しておきたいことは、国連の包括的研究は、核兵器による抑止が平和と安全を確保するというのは「存在する最も危険な集団的誤謬」と結論していることです(1980年国連事務総長報告)。その上で、いくつかの論点で考えてみましよう。

第一に、核兵器がなくても他国から軍事攻撃を受けたことのない国はたくさん存在するし、インドとパキスタンのように核兵器国同士が軍事衝突することもあります。だから、核兵器を保有しているかいないかと軍事侵攻を受けるかどうかは論理的必然性があるわけではないのです。核兵器があれば攻められないというのは、そういう場合もあるというだけなのです。核兵器があっても責められる場合もあるのです。核兵器国が非核兵器国を侵略することや、非核兵器国間での軍事衝突があることも忘れてはならないでしょう。

第二に、北朝鮮、ベトナム、アフガニスタン、イラクなどの非核兵器国は米国やソ連のという核兵器国の脅しには屈しませんでした。現在、ウクライナもプーチンの核使用の威嚇にもかかわらず、戦闘を継続しています。核兵器の保有や使用するとの威嚇は相手国の戦闘意欲を奪うものではないのです。ここでは、核抑止論は破綻しているのです。そして、核による脅しは、水平的核拡散と核兵器の近代化競争(垂直的核軍拡)という核軍拡競争を激しくしただけなのです。

 

極めつけは、核抑止が破綻した場合です。抑止が破綻する可能性を否定する人はいません。だから、抑止力だけではなく対処力も併せて議論されるのです。核抑止力の破綻とは核兵器の使用を意味します。そこでは「全人類の惨禍」が現出するのです。安全保障の道具とされた核兵器が、自分の国も含め、人類滅亡の道具として機能するのです。安全を確保するための道具が確保すべき社会を破壊するという逆説です。核兵器を平和実現や維持の道具として使用することは没論理的な行為なのです。

そして、現在、最も危険性が指摘されているのが、核兵器の意図的ではない使用です。誤算や機械の故障で核兵器が発射される事態です。そのような事故は繰り返し起きていたのです。これまで地球が吹き飛ばなかったのは、単に「ラッキーだったからだ」と言われているのです。

結局、核兵器によって安全を確保しようとする核抑止論は、単に理論として破綻しているだけではなく、現実的効用が証明されているわけでもありません。むしろ、人類社会の破滅をもたらすことになるのです。だから、核兵器禁止条約は核兵器の廃絶を規定しているのです。核兵器は平和と安全を確保する道具ではないことは、条約国際法でも確認されているのです。

 

 

核兵器を平和や安全確保の道具として保有・使用することは危険

核兵器禁止条約は、核兵器のいかなる使用(意図的であれ、誤算や事故であれ)も「壊滅的な人道上の帰結」をもたらすので、核兵器が完全に廃絶されることがいかなる場合にも核兵器が決して再び使用されないことを保証する唯一の方法であるとしています。核抑止論を全面的に排除しているのです。そしてそのことが、核兵器国や日本政府がこの条約を敵視している理由なのです。

核兵器国はこの条約に署名をしていませんが、この条約は既に発効しているのです。私たちは「全人類の惨禍」、「壊滅的人道上の結末」を免れるために、この条約の普遍化を急がなくてはならないのです。

 

 

平和を愛する諸国民の公正と信義という考え方

ところで、武力による紛争解決が認められる限り、「最終兵器」である核兵器への依存はなくならないでしょう。現に、核兵器国や日本政府がそうしています。そして、核兵器が存在する限り「全人類の惨禍」や「壊滅的人道上の結末」を覚悟しなければならないのです。それは「終末」への道だということは、誰にでも理解できることです。

それと対極にあるのが日本国憲法の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、…安全と生存を保持する」という思想です。この思想にもとづいて、戦争を放棄する、一切の戦力を放棄する、交戦権は認めないという9条が生まれているのです。その背景には、原爆投下がもたらした「核のホロコースト」がありました。核兵器を使用する戦争を行えば「戦争が文明を滅ぼすことになる」、「戦争をしてはいけない」、「戦争をしないのなら戦力は無用だ」という論理です。当時の政府はその憲法を人々に広く知らせるための努力をしていました。そのひとつが「新しい憲法のはなし」です。

自民党などは「平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼する」などということはユートピア思想だと嘲笑します。けれども、軍隊のない国は世界に26ヵ国も存在します(国連加盟国は193ヵ国)。決して空想ではないのです。

 

 

今、ウクライナの人々に連帯して、ロシアにも、当局の厳しい弾圧にめげずに反戦行動に出でいる市民がいます。世界で日本でも多く市民がロシアの侵略犯罪を糾弾する行動に立ち上がっていますが、その手に武器はありません。平和を愛する諸国民は間違いなく存在するのです。

核兵器に依存しても、私たちの平和と安全を守れないことは明白です。むしろ逆に「壊滅的人道上の結末」をもたらすことになるのです。にもかかわらず、核兵器国や日本政府、そしてパシリたちは、核兵器に依存し続けようというのです。全人類を死神に引き渡してしまうのか、それとも、平和を愛する諸国民の公正と信義を信じて人類社会を形成するのか、今、私たちは大きな分岐点にあるのです。

死神のパシリたちの妄動を許さず、平和を愛する諸国民との連帯を希求し、核兵器を廃絶し、憲法9条のような非軍事平和の規範を世界に広げようではありませんか。(2022年3月6日記)

 

大久保先生の論考、いかがだったでしょうか。

深く突き詰めて考え続けると、こんな風にわかりやすい文章になるのだとあらためて感心致しました。

大久保先生のご著作から最近の2つを冒頭にご紹介しましたので、是非お手にとってご覧ください。

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以下、Googleの自動翻訳による。

声明:ロシアのウクライナ侵攻:侵略戦争

2022年2月25日

国際反核法家協会(IALANA)は、ロシアのウクライナへの攻撃を強く非難している。ロシアの侵略は明らかに国際法に違反しており、ウクライナの人々に恐怖、苦しみ、そして死を経験させています。意図的であろうと誤算によるものであろうと、核兵器使用のリスクが高まることを考えると、それはまた、地域と世界全体の人々を大規模な危害にさらすことになります。

I.ロシアのウクライナへの侵略は、不法な侵略戦争です。

  • 侵略は、「いかなる国の領土保全または政治的独立に対する脅威または武力の行使」を禁止する国連憲章第2条(4)の違反です。憲章第51条に基づく自衛行為として正当化することはできません。また、プーチンが提供する理論的根拠は、最小限の精査にも耐えられません。したがって、侵入が「ジェノサイド」を防ぐと主張する根拠はありません。
  • 侵略は、一般的な国際法の下での侵略行為を構成します。国際刑事裁判所のローマ法は、国家の侵略行為を「国家による主権、領土保全、または他の国家の政治的独立に対する武力の行使、または国連憲章と矛盾するその他の方法での使用」と定義しています。 。」侵略国家の指導者は、ローマ法に定められた中核犯罪の1つである侵略犯罪に個別に責任を負う可能性があります。国際軍事裁判所憲章(ニュルンベルク憲章)の下では、侵略戦争を行うことは平和に対する罪であり、第三帝国の指導者たちはその罪で有罪判決を受けました。

II。他の国家が軍事的に介入した場合に核兵器に訴えるというプーチンの薄く覆い隠された言及は、国連憲章第2条(4)に基づく違法な武力の脅威である。なぜなら、それらは違法な侵略の要素だからである。彼らはまた、違法行為、ここでは核兵器の使用を脅かしているため、一般的な国際法に反しています。

1996年の勧告的意見(第78項)で、国際司法裁判所は、武器の使用が戦争の実施を統治する国際人道法の要件を満たさない場合、そのような使用の脅威はその法律に反すると述べた。現在、核兵器の使用は人道法の下で違法であることが広く認識されています。これは、核兵器が軍事目標と民間人/インフラストラクチャとの間の差別の要件を満たすことができないためです。25年以上前、裁判所はそのような使用または脅迫された使用は違法であると認定しました。国家の存続が危機に瀕しているときに裁判所が結論に達することができなかった主な状況は、現在の危機においてロシアにとって問題ではありません。

2022年1月5日の共同声明で、核不拡散条約によって認められたロシアと他の4つの核兵器国は、「核戦争に勝つことはできず、決して戦ってはならない」というレーガン・ゴルバチョフの原則を確認した。ロシアの核兵器使用の可能性についてのプーチンの最近の言及は、その主張と一致させることはできません。

III。1990年代半ば以降のロシアに関するいくつかの米国とNATOの行動、特に2008年のウクライナのNATO加盟への扉を開くことは、ロシアの安全保障上の懸念を無視することにおいて賢明ではなく、無謀でさえありました。それは、法的にも道徳的にも、ロシアのウクライナに対する侵略戦争を正当化するのに役立つものではありません。

IV。侵略に先立つ数ヶ月間、危機に関与した国連と国家は、憲章第1条(1)に定められた国連の目的を達成することができなかった。正義と国際法の…国際紛争の解決…それは治安妨害につながるかもしれない。」停戦をもたらし、憲章第2条(3)に従って差異を解決することは、現在、これらの国の義務であり、加盟国は、「国際紛争を平和的手段により、国際的な方法で解決することを求めている。平和と安全、そして正義は危険にさらされていません。」国際の平和と安全を回復することも国連安全保障理事会の責任です。

IALANAは、ロシアの違法な戦争行為と核力の脅威に反対しています。私たちは、双方が国際人道法を遵守し、人権を尊重し、人道援助へのアクセスを提供することを求めます。私たちはさらに、即時の停止、対話と外交、そして国連憲章の要件の履行を求めます。

フォン・ヴァン・デン・ビーセンと佐々木武也

IALANAの共同会長

 

 

 

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