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心のふるさと「伊勢の神宮」と神道のあれこれ@れーじん

日本人の心のふるさとといわれる伊勢の神宮。
伊勢国のれーじんが伊勢の神宮や神道、それに関連することをお伝えします。

豊受大神宮(外宮)12 ~五丈殿<ごじょうでん>~

2015-08-22 23:30:00 | 神宮
以前の記事で述べた石原の奥の方(北側)にある板葺、切妻造りの建物が五丈殿<ごじょうでん>です。


ここでは、雨天のときに修祓<しゅはつ>(=お祓い)が行われます。
ちなみに、晴天時に修祓が行われるのは、第二鳥居の手前等です。

また、20年に一度の社殿を建て替え行事である式年遷宮に関連する祭祀である遷宮諸祭の饗膳<きょうぜん>なども、ここで行われます。
饗膳とは、儀式としての祝宴です。
神様と一緒にお祝いの宴会を行うということですね。

豊受大神宮(外宮)11 ~九丈殿<くじょうでん>~

2015-08-11 23:45:00 | 神宮
前回記事の石原には、切妻屋根<きりづまやね>の建物が2つあります。
向かって右手前の建物が九丈殿<くじょうでん>です。


九丈殿では、外宮の摂社<せっしゃ>・末社<まっしゃ>・所管社<しょかんしゃ>の遙祀<ようし>が行われます。
遙祀とは、当該地へ足を運ばず遠く離れた別の場所で祭祀をすることです。

伊勢の神宮は、ご正宮2社、別宮<べつぐう>14社、摂社43社、末社24社、所管社42社のあわせて125社の総称です。
そのうち、別宮4社、摂社16社、末社8社、所管社4社が、外宮の管轄です。
数多くのお社は、ご正宮の近所にご鎮座するものもあれば、車で2時間以上もかかる遠く離れた所にご鎮座するものもあります。
遠いところにあるお社の日々の清掃等は地元の方々の奉職によるものもありますが、祭祀等は神宮の神職さんが奉職なさいます。
しかし、時間や人員等には限りがあり、全ての祭祀を全てのお社に出向いて行うことは、現実的に少し無理があります。
そこで、意識や気持ちを該当のお社に向けて、この九丈殿で祭祀を行うのです。

※別宮、摂社、末社、所管社については、後日別途記事にします。

豊受大神宮(外宮)10 ~四至神<みやのめぐりのかみ>~

2015-08-01 09:00:00 | 神宮
外宮表参道を歩き、神楽殿を過ぎると、右手に石原があります。


右手前の石畳に1本の榊が植えられ、その前に3つの石が並んでいます。
これが四至神<みやのめぐりのかみ>で、外宮の境界をお護りになっている神様です。


もともと、四至神は神宮のお社それぞれの敷地の四隅にお祀りされていました。
延暦23年(西暦804年)の記録には、200座以上お祀りしていたとあるそうです。
125社ある神宮のお社の敷地の境界に数多くお祀りされていたということですね。

中世には44所にまとめられ(=合祀<ごうし>)、さらに時代が進むと16所となりました。
現在は、皇大神宮(内宮)、豊受大神宮(外宮)それぞれ1所でお祀りされています。

では、昔は四至神はどのようにお祀りされていたのでしょうか。
その名残が、皇大神宮(内宮)域内にご鎮座する別宮、風日祈宮<かざひのみのみや>の四隅にあります。


このように4つの角それぞれに石で囲みを作り、四至神をお祀りしていたとのことです。

豊受大神宮(外宮)9 ~神楽殿<かぐらでん>~

2015-07-21 15:00:00 | 神宮
表参道の第二鳥居をすぎると、右手に神楽殿があります。


「は?!。なんで?。伊勢の神宮って古式ゆかしい素木<しらき>の建物じゃないの?」
と、思う方もいらっしゃるでしょう。
実は、神楽殿はもともと神宮の域内にあるものではなかったのです。

古来より、伊勢の神宮は天皇のみが奉幣(=お供え物をたてまつること)あそばされる神社でした。
一般庶民が何かをお供えすることは禁じられていたのです。
でも、日本人の祖先であり、日本の総氏神<そううじがみ>というべき伊勢の神宮です。
昔はどれだけ遠くても、庶民は徒歩での参拝です。
一生に一度のチャンスです。
お詣りをするなら、庶民であってもご祈祷や御神楽<みかぐら>・御饌<みけ>をお供えしたいと思うのは自然なことだと思います。
 ※神楽=神様にお供えする音楽や舞
  御饌=神様にお供えする食事
そこで、御師<おんし>とよばれる神宮の神職が、自宅等に神楽殿や宿泊施設を造りました。
御師が全国からの参拝者を一旦そこに受け入れ、御神楽や御饌を奏上やご祈祷をして、庶民の要望に応えたのです。
そして、そのとき御師が使用した大麻<おおぬさ>を参拝者に配布し、参拝者はそれを自宅で手厚くお祀りしました。
 ※御師や大麻については過去の記事をご参考ください。
参拝者は、神宮ではお詣りをするだけで、お賽銭等のお供えやご祈祷はしなかったのです。

明治時代になり御師制度が廃止され、一般市民が祈祷奉賽する場を設けるため、明治6年(西暦1873年)に神宮域内に初めて神楽殿が竣工されました。
そんな訳で、神楽殿は現代工法で造られた新しい建物なのです。

神楽殿の向かって左手には神札授与所<おふだじゅよしょ>があります。
神札授与所は撮影禁止のため、残念ながら写真はありません。
授与所では、御神楽・御饌を奏上してのご祈祷の受付や、お札・お守りの授与がされています。
ご朱印もこちらでいただくことができます。

なお、ご祈祷、お札・お守り・ご朱印をお受けするのは、参拝の後にしましょう。

豊受大神宮(外宮)8 ~第二鳥居~

2015-07-11 23:40:00 | 神宮
祓所<はらえど>をすぎると、大きな鳥居があります。
表参道の第二鳥居です。


奉幣の祭祀の際、幣帛<へいはく>や勅使の方々の修祓<しゅばつ>(=お祓い)を、この鳥居の手前で行います。
また、皇族方がご参拝の折には、この鳥居の手前で車をお降りになり、修祓をお受けになるそうです。

神宮で執り行われる祭祀は大小さまざまあります。
その中でも特に重要な祭祀では、奉幣が行われます。
天皇陛下のお使いとして宮内庁から勅使が派遣され、神宮に幣帛をたてまつるのです。
こちら↓は、2月17日に行われた祈年祭<きねんさい>での奉幣の儀の参進の様子です。


黒や緑の装束の神職さんが、宮内庁から派遣された勅使や神職の方々です。
幣帛が納められた唐櫃<からびつ>には、黄色い布が掛けられています。
この布の色は「黄櫨染<こうろぜん>」といいます。
少し赤みがかった黄色で、黄土色に近い色です。
この色は、天皇陛下のみがお使いになる、特別なものです。

日本では、古来より冠位により装束の色が定められていました。
聖徳太子が定められたとされる、冠位十二階でも、装束の色が決められていましたよね。
平安時代初期、嵯峨天皇が黄櫨染を「天皇のみが第一礼装として着用する御袍<ごほう>」と定めました。
それ以来、黄櫨染は禁色<きんじき>とされ、天皇陛下以外の下位の者が使用するのを禁じられています。
袍<ほう>とは、束帯装束における上衣のことです。
平たくいえば、伝統的なひな人形のお内裏様の上着ですね。