霊犀社2

第2霊犀社(元祖第一は、田中逸平主宰の私塾)@霊際社@P。ネタ帳・メモ書きなど、まあガラクタ。嫌疑76件わざと表示拒否中

森の余白「何用あっての真理の押し売り。求めてもいないのに向こうからやって来るのは、余計なお世話」

2007-08-02 04:59:57 | LinkRecords
森の余白「何用あっての真理の押し売り。求めてもいないのに向こうからやって来るのは、余計なお世話」
http://b.hatena.ne.jp/raycy/20090915#bookmark-16031973
http://blogs.dion.ne.jp/yohaku/archives/3284522.html リンク切れ
http://morinoyohaku.seesaa.net/article/387568802.html
何用あっての真理の押し売り
おしつけがましい 生活のためであるセールスマンなど 情状酌量の余地
勧誘、布教のたぐい まったくもって勘弁しがたい

勧誘、布教に熱心な諸輩は、「真理」はただ一つだと思っていますので、彼らからすると、世の中の人は「真理」を知った祝福された人々と、まだ「真理」を知らない不幸な人々に二分されます。そこで親切な彼らは、俄然、不幸な人々を救いだそうと活動を始めるわけです。彼らの行為は、言葉の正しい意味での「確信犯」です。

果たして、その「真理」が真理であるかどうかは、それこそ神のみぞ知ることです。もし、その「真理」が真理であるにしても、真理を探究していった結果、自らが、その真理にたどり着く分にはいっこう構わないのですが、求めてもいないのに向こうからやって来るのは、余計なお世話というものです。

真理に至るには「機(会)」というものがあって、こちらにも、それを受け入れる「機」ができていないと、結局は真理に至ることなど出来ないのです。

恐らくは、ご親切な諸輩は「真理」とは誰かが与えてくれるものだと思っているのでしょう。従って、今度は、自分たちが誰かに与えてやらないといけないという理屈になります。

『マタイによる福音書』(第7章)に見えるDo unto others as you would have others do unto you.(己の欲する所を人に施せ。)などは、こうした「真理」の横暴さのよい例です。

上記の「聖書」の言葉と、『論語』「衛霊公篇」の「己所不欲勿施於人。(己の欲せざる所を人に施すなかれ。)」とは、同じことを言っているようで、その積極と消極との差は、計りがたいものがあります。

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抜書き
何用あっての真理の押し売り。求めてもいないのに向こうからやって来るのは、余計なお世話
「真理」はただ一つだと思っています
「真理」を知った祝福された人々 まだ「真理」を知らない不幸な人々
こちらにも、受け入れる「機」ができていないと、結局は真理に至ることなど出来ないのです。
ご親切な諸輩は「真理」とは誰かが与えてくれるものだと思っている
「真理」の横暴
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